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【手記】貴族世界に生かされた僕

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父親から両親の事は「お父様」「お母様」兄弟にすら敬語や丁寧語で話す事を強いられた。それなりに裕福な家庭であった。 車係、料理人、庭師、世話係、教育係など住み込みで多くの「他人」…
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2021年3月の記事一覧

「ママ」と呼ばれたかった「お母様」

 僕は、幼少期から成人した今でもずっと両親を「お父様」「お母様」と呼ぶように、そして必ず敬語で話すように教育された。  マナーは全て雇われた教育係に習った。周りが流行りのヒーローやヒロインアニメを観る中、習い事の詰め込みで、そんな自由もなかった。当然、幼稚園や小学校ではクラスメイトと流行りの話題には馴染めず浮いていた。  両性具有でありながら、家柄の為に僕は「長男」となった。幼い頃に性別を合わせる手術だけは、お母様が必死にお父様を説得し止めさせたのだと大人になってから聞い

縁側の香り、桜色のテディベア

 春になると思い出す事がある。曾おばあ様の葬送、僕がとても幼い頃の話だ。  葬列で柩を抱えた人達の後ろについて幼い僕は早足で歩いてゆく。「あの箱の中で曾おばあ様が寝ている」それしか分からなかった。  周りの人達の多くは外国人で、彼らの会話も葬式も当時の自分にはさっぱり分からなかった。きらきらとしたステンドグラスを眺めていた。  敬虔なカトリック教徒であった彼女は、故郷英国で永い静寂を望んだ。緑が特別に美しい4月だった。確か墓地の近くの桜も咲いていた。僕は兵隊を初めて見た

「好奇心」という病と嘘、札束心中

 バンドをやっている。昔はギターボーカルだったが、今はボーカルになった。結成時から今まで、ずっと休む期間なく続けてきた。  何枚もアルバムを出し、MVを出し、TVやインターネットTVにも出させていただいた。若手の頃はライブハウスで手売りしたり、メンバーと一緒に撮影できる権利を売ったりした。  ワンマンで1000席以上、2階以上のホールでライブが行える迄になったのは比較的早かった、丁度そんな時代だったのだ。所謂、黄金時代、黄金世代。更に大きく有名なホールや海外でもライブが出

死に遂げた部屋(事故物件)

※事故物件・死に関する実話です(写真はイメージです)  あまりに自分の話ばかり書くのも退屈なので、僕の不動産投資の仲間との少し最近の、そして一番他人の話を書き留める。詳しい日や場所は書かないでおこう、事故物件(自殺)の話だ。  友人が持っているアパートの一室で、故人は見事に死にきった。誰にも見つからず、自然に還ろうとするまで、この悲劇は沈黙を貫いた。  近くには独特な匂いの発生する施設があった。特別悪臭でもなかったのだが、一軒家は殆どなく土地も安く、お陰で市営アパートや