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"成熟とは、あなたのコメントを必要としないものがどれだけあるか理解すること"

妊娠してから、たくさんの育児や出産に関する情報をたくさん見ているけれど、育児や出産ってほんとうにいろーんな意見がある。

母乳で育てる、ミルクで育てる、いつから子供を預けるのかetc etc....


いろんな情報を日本語でも英語でも見て思うことは、これ!という正解なんてない。場所が変われば、時代が変われば常識なんてすぐに覆る。

それでも、ある情報に対して反発するコメントを見た時、例えば生後半年から子供を預けている人に対して、子供がかわいそうと相手を攻撃したり、自分の意見を正当化する様なコメントを見た時、ずっと前に目にした言葉がいつも頭をよぎる。

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"Maturity is realizing how many things don't require your comment" (成熟とは、あなたのコメントを必要としないものがどれだけあるか理解すること)

どんな場所でも、誰にでも匿名で自分の”コメント”を残せる今、いつ発言をするべきかなのかということを私はよく考える。

その発言で、私は何がしたいのか。


自分の意見が正しいんだと思ってほしい?

その相手に変わって欲しい?

自分が立派な意見を持ってると思って欲しい?

相手に対して責任を持てる?


そんな思いが少しでもよぎったら、コメントするのをやめる。

特に最後の発言に対しての責任は、相手の人生に責任を持てるなら別だけど、自分が相手の人生に対して責任を持てないなら、相手の選択に対して何かを言う権利はないと私は思っている。

これはインターネット上のみだけではなく、実際の人間関係に対しても同じ考え。責任が持てないなら言わない、そして責任をとってくれない人の言葉はスルーする。だって私の子育てに何を言われても、他人が代わりに自分の子供を育てたり、責任をとってくれるわけではないのだから。


じゃあ、自分のコメントが必要な時っていつだろう。

それはやっぱり、自分の生活の範囲の中で、自分がその行動の結果に責任を持たなければいけないとき(英語で言う”Own it"に近い)だと私は思う。


他人の選択や行動に対してコメントする前に、自分の行動に責任を持って、明確なコメントを残せる人でありたいな。全てのひとが、他人の行動にコメントするだけではなく、自分の行動に考えと責任をもっていれば、日本も大きく変わるのでは。

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