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【私見】『鹿の王 ユナと約束の旅』は内容とは裏腹なる排除の映画~公開までの道のり~

当初、アニメーション映画作品『鹿の王 ユナと約束の旅』の公開予定は2020年9月18日でしたが、”諸般の事情”により2021年の公開へと延期され、来る2021年9月10日の公開も”新型コロナウイルスの感染状況に鑑み”とされ2度目の公開延期となり、”近日公開”と打たれながらも翌年の2022年2月4日に全国公開されようやく日の目を見る事となった約1年と半年という長い公開までの道のりがあり、制作側の大きな計画のズレがあったのではないか、そしてそれを公開に結ぶまでに並々ならぬ苦労があったことと思います。

しかし、公開されるまでのその道のり、心待ちにした映画本編そのものについても私の中で抱き、蓄積され続けた疑問符が解消される事はありませんでした。

では、『鹿の王 ユナと約束の旅』という作品は何であったのか?

私が感じた全てを残すと共に、やはりこの作品を通して同じ様な疑問符を持った方達へ何かの答えに近づけるよう、繋がるようにと思い、読み辛い文章になるとは思いますが、ここに記録と私的見解を残します。


2019年12月10日、以前より映画化の話が進んでいた上橋菜穂子著書『鹿の王』は、最初の公開予定日の発表と共に『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『君の名は。』で作画監督を務めたアニメーター・安藤雅司さんが初監督をする…と、”邦画歴代興行収入上位4作品のうち3作品の作画監督”がついにメガホンを取る!と謳い、次いで『千と千尋の神隠し』で監督助手、『伏 鉄砲娘の捕り物帳』で映画初監督を務めた宮地昌幸さんの共同監督と『ハイキュー!!』『僕だけがいない街』の脚本を務めた岸本卓さんの参加とアニメーション制作スタジオProduction I.Gの発表が打たれましたが、何よりも大きく安藤雅司さんの初監督の文が前面に展開されていました。

確かに、このスタッフの布陣から連想出来るであろう、ネームバリューのある”スタジオジブリ”に関連付けさせ、アニメ映画異例のヒットを記録した新海誠監督『君の名は。』を出しての宣伝方法は当然なのかなと思いつつも、何処か安直すぎるのではないかと引っ掛かるものがありました。

2020年8月16日、公開翌月まで迫ったこの日に”諸般の事情”として公開日を2021年に公開としたが、これには当年の社会情勢で大きな世界的問題となった「新型コロナウイルス」の感染拡大と作品内容との共通性等が指摘されていましたが詳しくは何も分からず。制作の遅れなのか?公開・プロモーションスケジュールの再調整なのか?様々な憶測が飛び交っていましたが、原作者・上橋菜穂子さんのブログでは制作の遅れでは無い旨が書かれていました。

続報には随分と時間が空き、2021年4月1日に延期先の公開日9月10日と堤真一さん、竹内涼真さん、杏さんの俳優陣が主演キャストを務める事が発表され、専業声優起用では無いところの話題もまた純粋に期待値を膨らませるものでは無く、あくまでも宣伝上での名義としてしか受け取れませんでした。

何より疑問に感じたのは、同日出たティザービジュアルにバッチリと書かれている脇を固める力のある声優陣の面々には何も触れられず、語られることすら無く、更には映画の正式タイトルが『鹿の王 ユナと約束の旅』とも発表され、副題が付くというのは原作からかなり脚色してくるであろう事は分かっていたのでそこまで疑問には思わなかったのですが、その副題に名のある「ユナ」役の木村日翠さんについても全く何も語られないのは不思議でなりませんでした。

タレント、俳優等の声優起用に様々な意見があるのは承知しております。

製作委員会やスポンサーのクリエイターが関与出来ない意向も勿論あるのでしょうが、私としてはプロがいるのにプロを使わない理由は、起用した職種の方の土俵での「宣伝」を主とし、声優の技術云々や声の力よりも「作品の中に見せたい別の側面」があるからなのだと思っていますし、そこに納得が無くてもアフレコ前での練習等で一歩でも理想に近づける事が「アニメーションを作るよりも短時間である程度の調整が出来る」箇所だから…と思っています。

素晴らしい技術を持ったプロ声優の方達がいる中で皮肉にも、声優という枠は実はアニメーション作品の中で(悲しいかな)唯一遊びを利かすことの出来るポジションと捉えられている現状なのでは…とも思います。



少し話が脱線しましたので戻します。

それからフランスで行われている世界最大規模の映画祭・アヌシー国際アニメーション映画祭にて長編部門のコンペティションに『鹿の王 ユナと約束の旅』が選出と報道され、奇しくも本国より先に海外で試写されるという奇妙な状況が出来てしまっていました。

更には『鹿の王 ユナと約束の旅』のコミカライズ版が発表され、映画本編とほぼ同じプロットやデザインのものが映画より先にWebコミックとして無料公開されるという状況も不可思議なものでした。

「新型コロナウイルス」のパンデミックであらゆるものが混乱をきたし、当作品へも大きな影響が出たと思いますが、それを踏まえても「作品」と「宣伝」のバランスが何処かで歯車のズレが生まれてしまったように噛み合わなくなってきているのを感じていました。


来る公開予定の9月10日に向けてプロモーション活動が本格化する中で、「安藤雅司初監督作品」「もののけ姫・千と千尋の神隠し・君の名は。」「主演キャストは豪華俳優陣」これらの文字が余りに大きく取り上げられ続け、古臭い手法の主演キャストを用いたテレビ番組への僅かな時間のプロモーションが繰り返され、主演キャストの土俵で展開する各誌では俳優陣のアフレコ秘話を中心に語られていましたが、そのアフレコに一緒に参加していたであろうと匂わせる専業声優さん達の名には全く触れられず、ある一定の統制された情報だけが繰り返し、繰り返し、ネット、雑誌、テレビ等の各メディアで取り扱われるだけで、本来のアニメーションのファン、映画ファン、原作ファンに向けて放たれる魅力的な情報は非常に少なかった様に感じていますし、それがどうやら意図的なものなのでは?とも思うようになりました。

語れない裏側、切り捨てている事柄。気持ちの悪い強い圧力。

その原因で最も大きなものになったのは、情報露出が増えるごとに「監督・安藤雅司」の文字が更に肥大化し、共同監督であるはずの宮地昌幸監督の文字が事あるごとに陰に消えていったことが非常に大きく、私にはもどかしくて、もどかしくてたまらない気持ちにさせた為でした。


2度目の公開延期を発表してより、そのプロモーションのスタンスは全く変わることなく進行していきました。

そして2回目の新ティザービジュアルが披露されたとき、そのデザインは既にこの映画の作品性を示すものからブレたものになってしまったような、そんな感覚を覚えました。

既にヴァンの腕の中にユナは収まっていなかったのです。

極め付けに、公開間近で大きな販促として日テレ「金曜ロードショー」で放送された『千と千尋の神隠し』では、まるでジブリ×安藤監督のコラボレーションかと思う程の追い込みを見せましたが、ここでも該当作で助監督をされ、リン役の玉井夕海さんを『亡念のザムド』の紅皮伊舟というキーキャラクターにセッティングした、宮地昌幸監督のその名が出る事はありませんでした。


スタジオジブリ作品を背景に語られる本作は既に「作家・上橋菜穂子さん」の作品から離れ、そこに社会的問題を多方面から内包する作家性ある重厚な原作面は語られず、主演キャスト起用の俳優陣がオーバーグラウンド向けに華々しく利用され、「高畑勲監督・宮崎駿監督」を継承するポスト・ジブリ作品の様に語られ始め、何処か崇高なる作品の様に屈折し変化していったように見えました。


───映画本編①へ続く───


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