編集スパルタ塾は大人の遊び場

4月11日から、編集スパルタ塾 第11期が始まる。
あらゆる分野で応用可能な編集力を身につけたい人。スパルタな環境に身を置いて自分を変えたいと思っている人。各業界のトップランナーとして活躍する講師に顔を覚えてもらいたい人。迷っているならぜひ申し込んでほしい。どのような動機であれ、得るものは多い。
私は第10期生として参加して、ただただ楽しかった。夢中になった。
編集スパルタ塾は、大人の遊び場だと思う。編集スパルタ塾で何を得たいか、明白な目的がなかったとしても、本気で遊んだら多くの事が変わると思う。

編集スパルタ塾では広義の編集を学ぶ

編集スパルタ塾では、広義の編集を学ぶ。主催者で編集者の菅付雅信さんは、アートやカルチャーに造詣が深く、数多くの書籍や雑誌、教育サービスを手がけてきた。東北芸術工科大学の教授でもある。
菅付さんは、書籍や雑誌に限らず、ウェブサイト、イベント、アプリ、商品開発等々、「企画を立て、人を集め、モノを作る」ならば何でも編集であると定義し、編集の概念を拡張的に捉えている。編集力は創造するための頭のOSであり、専門技術はアプリに相当するという。
編集スパルタ塾で目指すものは、その頭のOSをアップデートしていくことだ。出版業界の編集者向けというよりは、業界・職種を問わず使える汎用性の高い編集力・思考力を身につける場である。手取り足取りで専門的なスキルを磨くのではなく、講師陣からの講評や同期生からの励ましも頼りにしながら、自分自身で大量のインプットとアウトプットを繰り返し、応用のきく編集力を身につけていく。やる・やらないは完全に本人に任されるので、そういう意味で残酷かもしれない。

実践的かつ夢中で遊べる課題

編集スパルタ塾は、「菅付さんが編集について講義する日(講義日)」と、「ゲスト講師が出した課題に対して受講生がプレゼンする日(ゲスト回)」で構成されている。

現時点で決定している第11期のゲスト講師は以下の通り。

#西田善太:マガジンハウス取締役/ブランドビジネス領域担当
#深澤直人:プロダクトデザイナー
#高崎卓馬:電通グロース・オフィサー/エグゼクティブ・クリエーティブ・ディレクター
#菅野薫:(つづく)クリエーティブ・ディレクター、クリエーティブ・テクノロジスト
#新谷学:『文藝春秋』編集長
#中村勇吾:ウェブデザイナー/インターフェースデザイナー/映像ディレクター
#朝吹真理子:作家
#小野直紀:博報堂クリエイティブ・ディレクター/プロダクトデザイナー
#柿内芳文:編集者
#河瀬大作:株式会社Days代表取締役/元NHKプロデューサー
#井上未雪:朝日新聞メディア戦略室専任部長
#嶋浩一郎:博報堂 執行役員 兼 株式会社博報堂ケトル 取締役/クリエイティブ・ディレクター
#内沼晋太郎:NUMABOOKS代表、ブック・コーディネーター

こういった業界のトップランナーの前でプレゼンできる機会は、そうそうない。ただし、全受講生がプレゼンできるわけではなく、第10期の場合は毎回7〜10人程度に限定されていた。プレゼンターの中から最も良い提案をした1人がゲスト賞に選ばれる。編集スパルタ塾は、同期と競う場でもある。

ゲスト講師からの課題を1つ紹介する。
個人的に好みの課題で、取り組んでいる間ずっと楽しかったのは、高崎卓馬さんの回だった。

課題
藤井風の「grace」という歌を聴いて浮かんだ短編映画のプロットを書いてみてください。MVではなく、オリジナルのストーリーを。(この歌を映像で使用しないという前提で)
A4の紙1枚に、イメージする画像と、タイトルと、あらすじを書いてみてください。

楽しくないわけがない。
はじめてgraceを聴いた時の印象をまず書き出した。その後も繰り返し聴きながら、頭の中に浮かんできた映像や、歌詞から読み取ったことをメモした。藤井風さんの他の曲を聴いて、どういう世界観を持っている人なのかを考えた。

graceから着想した新graceのストーリーをMacでタイピングしている時は、ランナーズハイのような状態になって、多幸感があった。作曲しようとピアノの鍵盤を叩いている時に、メロディーが降りて来る感覚とは、このようなものではないかと思った。

高崎さんから私のプレゼンに対する講評は「最初の3行が面白い」「自分だったらエンタメに振り切っていた」だった。(パワポは恥ずかしいから貼らない)
私の短編映画の設定を元にして高崎さんがストーリーを作るとしたら、こうするかもしれない、という視点を共有していただいた。
自分が知っていることは何でも受講生に教えてあげよう、という高崎さんの姿勢は、著書「表現の技術」(中公文庫)を読んでも感じられると思う。仕事現場で教えていた事、高崎さん自身が見つけた制作のプロセスが具体的に書かれている。

ゲスト講師からの課題は、講師が実際に抱えている課題だったり、これから仕事でやろうとしている事だったり、実践的で難しいものばかりだ。
課題はゲスト回のおよそ2週間前に通知されるので、私の場合は土日を全て費やすくらい時間を充てたが、提出はいつも締切ギリギリだった。本当はもっとブラッシュアップしたいのに、という悔しい気持ちが常にあった。課題はそれだけ取り組み甲斐があって、自分なりに解が出せた時は大きな達成感を味わった。

編集スパルタ塾は大人の遊び場

最初に、編集スパルタ塾は大人の遊び場だと思う、と書いた。遊びというのは、楽しさだけでなく、真剣さや緊張、闘争の要素も含んでいる。ヨハン・ホイジンガ「 ホモ・ルーデンス 文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み」(講談社学術文庫)では、遊びを次のように定義している。

遊びは自発的な行為もしくは業務であって、それはあるきちんと決まった時間と場所の限界の中で、自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的をもち、緊張と歓喜の感情に満たされ、しかも「ありきたりの生活」とは「違うものである」という意識を伴っている。

ヨハン・ホイジンガ『 ホモ・ルーデンス 文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み』(講談社学術文庫)

第2・第4火曜日の20時、編集スパルタ塾が近づくと、私はそわそわしていた。仕事を中心に回る日常とは切り離された特別な時間・空間。
課題を時間内に終わらせられないのではないか、プレゼンターに選ばれないのではないか、という焦燥や緊張。
課題に取り組んでいる時は、自分の頭で考えて自由にアウトプットする楽しさと興奮。

私は仕事で、クリエイティブ職ということにはなってはいる。でも実際は、自分の頭で考えて創造的な提案をする機会がほぼない。自分は本当にクリエイティブなアウトプットができるのだろうかと漠然とした不安があった。
だから、私にとって編集スパルタ塾は特別な場所になった。自分の頭で自由に考えること。それを人に見てもらうこと。課題をやっている最中は、それ以外全て忘れてしまうくらい熱中できた。こんなに何かに真剣になれたのは、最後はいつだったのだろう?

ただ、そんなに楽しんでおきながら、私はドロップアウトしそうな受講生だった。課題提出の機会が12回あったうち5回も提出しなかった。編集スパルタ塾の一年が終わって、その事が後悔として残っている。あんなに楽しんでいたはずなのに、もっとできたはずなのに、なんで出さなかったのだろう。今は、そのことばかり頭にある。

プロならば、特別な努力をしろ。自分を愛しているなら自分を鍛えろ。そう菅付さんは言っていた。大事なのは覚悟の日常化。自分がインプットしているものは自分を賢くしているか、そうでないなら一切やめろ、と。

いつも眠っているような、意思の弱さが自分の中にはあった。
「もっとやらなければ」という焦りは、編集スパルタ塾の火曜日が終わると、少しずつ萎んでいった。それが、次の受講日になると、菅付さんの姿、いつでも好奇心が立っている、とも形容できそうな、起きっぱなしの姿を見て、私も目が覚めるということを繰り返していた。
やり続けなければならない、という覚悟が弱いのだと、編集スパルタ塾の一年間で痛感した。

この記事は最初、編集スパルタ塾の歴代の成績優秀者のような、向上心と勢いに溢れる内容になるはずだった。でも、頑張りきれなかった私からは言葉が出てこなかった。
我を忘れて遊ぶ事ができなくなった人も、講師陣の顔ぶれに圧倒されて躊躇している人も、編集スパルタ塾に挑戦してみてほしいと思う。楽しいから。

編集スパルタ塾の詳細は本屋B&Bのサイトで確認を。申し込みもこちらから。
https://bookandbeer.com/news/bb23sparta/

編集スパルタ塾のガイダンス動画。講師や受講生の熱意が伝わってくる。

執筆者:編集スパルタ塾10期生 Zoom草背景


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