見出し画像

馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない


久しぶりに書きます。

題名が馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない。

<意味>

その気のない人間は、周囲がいくら心配したり気をもんだりしても無駄であるというたとえ。


このことわざをふと頭に浮かんで書いています。

サッカー活動の今を水辺と馬、そして馬を連れてくる人に例えて色々考えていました。

そのままの意味で周りが心配してもその本人の行動や目的は変えることが難しいし無駄なことだったりします。

では、登場人物をサッカーに例えてみましょう。

馬は選手(子ども)、馬を連れてくるのは保護者かな、水辺の水はサッカーと考えてみましょう。

馬が喉が渇く(サッカーがしたい)と例え、馬を連れて行くは、保護者の送迎でしょうか、水辺の水を準備するのは指導者これなら馬(選手)は水(サッカー)を欲してスムーズにサッカーができる状態だと考えます。

喉が渇いた時に連れて行く(保護者の準備)があり、水辺があります。

今のサッカー環境では、選手がトレーニングしすぎて体や心を壊す選手がたくさんいます。

これは、水の飲み過ぎでお腹いっぱいなのに水を飲ませ続ける滝のような水辺と、そこに連れて行くこと(保護者)でしょうか。

逆に馬が喉が渇いているけど、連れて行かない、いけないと水辺があっても水を飲むことはできません。

そんな中、スクールや〇〇特化指導みたいなスクールを考えると水飲み場にコカコー○の自動販売機を置いて待ち構えていますね。

こっちは砂糖の甘みで美味しいよと待ち構えています。

同じように飲料水ですが、シンプルな水とそれ以外の添加物が入ったジュースとでも言いましょうか。

僕は水を飲ませてあげたいと思います。

サッカーという競技をシンプルに味わってほしい。

砂糖や添加物で味を変えた飲料で喉を潤すことは難しいですから。

まさに後味ですね。

なんの話やねんと思う方もいると思いますが、私が指導するときにこれをすごく大事にしています。

彼らは、喉が渇いているか?

この水は安全か?

水飲み場(サッカー)として何を準備すべきか?

何が必要ないか?

味のついた水

行く気はないけどベルトコンベアで運ばれてくる馬

喉の渇いていない馬

何が必要か?

澄み切った水

一緒に歩いてきて来てくれる人

喉の渇いた馬ではないでしょうか?

さあ今日もサッカー活動、

どんな馬たちが水飲み場にやってくるでしょう😌

綺麗な水を準備して待つことにしたいと思います。

水が飲みたかったか、水遊びしたかったかはまた別の話😅

今日は馬の話でした✋

よろしければサポートよろしくお願いします! サポートいただければクラブの運営に役立てたいです!