見出し画像

定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第三十五回〉

 2024年1月24日午後3時

ソウル地下鉄2号線市庁駅11番出口すぐ TWO SOME PLASEにて


 パク先生とお会いした。私が原典資料をローラー作戦でネットを徘徊しているうちに、たどり着いた資料アーカイブの代表者の方である。李箱文学研究学会で何人かの先生とお会いしたものの、自分でメールを送り、何度も誤字がないか、失礼がないか確認して、期待してはいけない返信に緊張しながら会う約束まで漕ぎつけたのは、韓国ではこれがはじめてだった。

李箱文学研究学会の先生方からは送るといったメールが送られて来なかったので、もう期待してはいけないと思っていた。諦めようと努力していたところ、先生から返信があった。腰が抜けた。


 

 このところ、人と関わるのにもテキストに関わるのにも疲れ切ってしまっていたので、SNSを遮断していた。自分への脅迫が聞こえる、いつもより少し静かな空間に、先生に会うという緊張が加わった。しかし不思議と苦しくはなかった。むしろ精神状態は研ぎ澄まされていき、決戦前夜という落ち着き方をしていた。



 私が送ったメールは、

自分が韓国で行っている研究内容や全集に関することを簡潔に、しかし熱を込めて話した上で

「そちらで所蔵されている雑誌の原本で閲覧できるものがありますか?もしできなくてもどういった方法があるか、少しご相談させてください」と聞いた。切実さが伝わればいいなと思った。



 返ってきたメールには、

「原本を閲覧することはできません。しかし、資料があるかを探すことはできますので、先生の求めている資料を送ってください。また、直接お話しすることもできます。」

という旨の連絡があった。結論から言えば「原本閲覧不可」だが、先生のメールは年下でよくわからない身分の外国人である私に対しても、隅々まで敬意が払われていて、見惚れてしまうものだった。この先生なら、何か話を聞いてくれるかもしれない。何か、協力してもらえるかもしれない。そうでなくても、何かが進んだり、この方法ではないということがわかる進み方をするかもしれないと直感して、私はすぐに会える日程を送信した。


 先生の所属する団体(作業者は先生を含め二人だと伺った)は、個人所蔵の雑誌や新聞などを収集し、書誌情報の詳細な記録と、デジタル化作業を中心とした作業を行っているそう。現在はデジタルデータ化にかなり時間がかかってるため、全てがホームページに掲載できないが、ゆくゆくは国立中央図書館に行かなければ確認できない資料、デジタル化されていない資料、閲覧不可の資料も、ホームページからアクセスできるようになるそうだ。韓国人だけでなく、世界中からアクセスできるようになる。先生は人文学、文学、社会学諸々の学問と韓国の人々の歴史が詰まったメディアを半永久的に世界中で共有できるような、夢のような作業を行なっているのだ。そんな方が私と会ってくれるなんて、背筋が伸び切って仕方ない。




 迎えた、1月24日午後3時。

氷点下13度あって、体感温度は氷点下20度だった。

あまりに寒い。寒いというより痛くて、全部投げ出して暴れたくなるような痛みを感じる。痛みに腹が立つ。ひとごろしひとごろしと呟きながら歩いた。



 パク先生はカフェの隅っこにいた。

スマホもパソコンもいじらず、まっすぐ何処かをみつめていたので、「きょうはだいじょうぶな気がする」と思った。私は先生のそばに近づいて、ペコペコ挨拶をした。目上の人になんと言えば礼儀正しいのかわからないのでとにかくペコペコして挨拶をした後、堂々と話すという戦術をとっている。

「男性かと思っていました」と言っていた。これは得な勘違いになるのか、損なのかどっちだろうか気になる。お得であってほしい。



 先生は私の分のコーヒーも買ってくださった。

すっと立ち上がりコーヒーを受け取りに行ってくださり、コーヒーを運んで机に並べる手つき、お盆を自分の座っているソファにさっと避ける仕草も、全てが丁寧でどこかがぎこちない。緊張されているのだろうか。物腰も柔らかい。居心地も悪くないし、沈黙も特につらくない。でも戦いなんだよな、と思い直して単刀直入に話し始めることにした。


「そちらに所蔵されている資料を直接見ることはできないんですよね」


 まあなんと失礼なと、今考えても思う。すると先生は、両掌を机に向けて、上下させながら

「ゆっくり、ゆっくり話していきましょう」

と私に話した。

 それから、先生が私に、「韓国にはいつきたのか」「韓国ではどんなバイトをしているのか」「バイトがない日はどんなことをしているのか」など私がすぐ答えられるような質問からはじまり、「韓国ではすでに李箱全集が出版されているのになぜ全集を作ろうと思ったのか」「かたちの再現というけれど、雑誌のサイズも新聞のサイズも違うのにどうやってやるのか」「なぜかたちを再現したいのか」「モウリさん一人でその作業をしているのか」「われわれにどういうことをしてほしいのか」など論理的に説明しないと会話にならない場面も多々あって、かなり焦ったが、先生は私の辿々しい説明をじっと待って聞いてくださった。韓国に来て、この全集についてここまで真摯にきこうとした人はパク先生が初めてだった。そう正直に伝えた。ありがとうございますと。

 正直、李箱文学研究の問題点を指摘し、なぜこの全集を出すのが妥当かを説明する機会なんてほとんどないと思っていた。でも準備しておいたのは、機会の可能性を考慮しておいたからだ。毎日が、来るときのための準備。



しかし、先生の質問量に負けず劣らず私も多くの「質問をした。

「パク先生は大学でどんなことを学んでいたのですか」「大学院にも行かれましたか」

「なぜこのアーカイブ作業をされているのですか」「仕事は楽しいですか」

「1日どんな感じで過ごされているのですか」「資料のデジタル化はどういう手順で行うのですか」「先生は一人でこの作業をされているのですか、助手の方がいますか?」「資料の状態を確認するときどういう点をみていますか」などなど、本当に色々お話ししていただいた。


 そのうち、多くの割合を占めたのは私のつくろうとしている全集についての話だったのは、嬉しいとしか表現しようがない。私の先生はここにもいたのだと心が震えるような気持ちで先生のアーカイブ作業の手順をきいていたら、本当に涙が出そうになった。


 パク先生は親切なだけでなく非常に聡明で、五感も研ぎ澄まされている人のようにみえた。「計測作業をしている」と私が話した時点で、「じゃあ、縦横のサイズが必要ってことでしょう?それも表紙紙じゃなくて誌面でしょ」という。


「はい、そうです。」


「それなら、直接資料をみることはできないですが、計測データを送ることはできますよ」


と言ってくださった。私はため息混じりで、何度もお礼を伝えると先生は笑っていた。しかし欲が多い私はその15秒後、


「あ、あとですね、すみませんが、この…」と言いながら、あるページのテキストの右端の文字を指さして説明しようとした。すると、


「誌面サイズだけじゃなく、中のテキストのサイズもいるんですね」


と笑っていた。

私は、謝って文字を指さしただけなのに先生は私は正式にお願いする前に全部察して理解してくださった。さすがに理解が早すぎて、二人して笑った。先生の早とちりかもしれない気がして、念の為丁寧に説明したが、先生は(はいはいわかってますよ)という具合でコーヒーを啜りながら私の話をきいていた。結果、私たちの間に大きな齟齬はなかった。





なぜこんなにも察しがいいのか考えてみたが、答えはすぐに出た。

先生は毎日、私と同じように誌面の景色を見ている。二頁からなる誌面を隅々までみて、記録する。破れていないか、印字が掠れていないか、いつ出版されたか、誰が刊行したのか、編集者は誰か、雑誌や新聞などのメディアからわかる情報をよくみて、記録する。「徹底的にみている」人なのだ。物事や人の言動を観察するのは完全にパク先生の主戦場であると同時に、私の主戦場でもあるのだ。





パク先生は少し申し訳なさそうに、「全てを協力できるわけではありません。モウリさんが探している資料すべてを私たちが持っているわけではないので。ですが、その度に、どこにあるか調査して、サイズも計測して協力できることはあると思います」と伝えてくださった。

こんな、こんなに人の力を借りてもいいんだっけ?と足がすくんでしまうほどの対応をすると宣言してくださった。



毎日、私が依頼した作業をすべてできるわけではない。が、時間をかけてでも少しでも進んだら十分だ。パク先生と過ごした時間は、心の底から有意義だと思える時間だった。それは先生が「協力する」といっただけではなく、パク先生という人間が生活しながら行う仕事も面白く、先生の話も私の興味関心に近く、丁寧に説明してくれ、できないこと・わからないことははっきり言ってくださる優しい方だったからに他ならない。




帰る方向が途中まで同じだったので、二人で帰ることになった。

先生はこれから漢文の勉強会に行くらしい。漢文の先生がいる塾のようなところかと思ってたら、そうではなく、漢文に興味のある人があつまり、漢文を読み、ご飯をたべ、お酒を飲むという集まりらしい。飲食が何よりも楽しみなのだろうとわかったが、漢文をまだまだ学びたいと思っている先生の好奇心に圧倒されて話を聞いていた。もう10年近く通っているそうだ。


ぽつぽつと話をしながら先生と別れた。

先生が降りる直前、握手した。

「お忙しい中ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。お気をつけて」

「はい、ありがとうございます。お気をつけてね」





先生は忠武路駅の人混みに消えていった。

良い日だった。久しぶりに良い日。先生に会うことができてよかった。


私は帰って、「サイズ計測方法」という、計測の方法やルールを図解した計7枚のデータを作成して、明日のバイトの昼休みに送れるように準備して眠りについた。あまり寝付けなかった。


なにか命拾いした気がする。この関係が続くことを祈るばかりでなく努力しようと思う。

細心の注意を払い、最大限の敬意を示しながら、素直に関わるのがいい。

戦友であり尊敬する先生にまたお会いしたい。



2024年1月24日執筆、2024年1月27日更新。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?