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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第十四回〉

 今日はソウル大学に行く。前回は、国民大学の図書館に『朝鮮と建築』の原典があると聞いて訪問したものの、関係者以外立ち入り禁止でとぼとぼ帰った苦い思い出がある大学図書館訪問編。果たして今回はどうか。

 ソウル大入口駅に到着。マップを広げてみると図書館まで徒歩1時間。降りる駅を間違えた。冠岳山駅が最寄りだったのをすっかり忘れていました。駅員さんに降りる駅を間違えたと伝えて、改札を通してもらったはいいが下車履歴を消す作業をなぜかサボった駅員さんのおかげで乗り換えできない。韓国語を聞き取るのもままならないのに、顧客安全サービスの通話で聞き取れるわけがない。そこでご老人をつかまえて助けてもらった。その方も聞き取りにくそうだったので、駅構内にある電話のやりとりは私だけが聞き取りにくいわけではないようだ。本当に良い方で、面倒な顔一つせずに手伝ってくれた。目的地も一緒だったから話しながら向かった。私のわずか一ヶ月の韓国生活で感じた、若者は別に優しくないけど年配の方の世話の焼き具合や優しさは高確率だなということが証明されつつあるような日だった。案内してくれたご老人はこれから冠岳山駅に行って高校時代の友達四人と相当な距離を散歩してからご飯を食べに行くそうだ。60年の付き合いらしい。お別れする時に、ピースした手を左右に振って「気をつけて〜」と言って見送ってくださった。「감사합니다~!」と礼を伝えるだけでは足りないくらい良い時間だった。


 冠岳山駅から徒歩5分ほどでソウル大学の正門をくぐる。しかし図書館までは徒歩30分。大学校内がかなり広いらしい。気温はほぼ0度に近づいているが、冠岳山の紅葉はまだ気温には追いついておらず、まだまだ秋の装いで綺麗だった。一瞬、本当にここに通って勉強できたら楽しいだろうなと思った。


 図書館には無事入場できた!身分証明書があれば入場できるとのことで、私はパスポートを提出。身分証明書と一次交換する形で利用者カードを受け取る。


 さあここからが本題。

 『朝鮮と建築』が蔵書されていることは事前に調べたからわかっている。しかしそれが影印版なのか、原典なのかがまだ明確ではない。館内の検索機で調べてみるとやはり存在する。では一般人でも閲覧可能かが次の問題となる。司書さんに尋ねたところ、「閲覧できる」とのことだった。嬉しくて平然とできず(私は嬉しいです!)という表情をして喜んだ。担当職員さんの昼休憩が終わるのを待ち、話を伺って、閲覧申請をする。本当に、閲覧できてしまうのか…順調すぎないか…大丈夫か…?

 そして渡された本は、おそらく国立中央図書館で見た影印版と同じものだった。職員さんに質問してみる。

 「これは影印版ですよね?」

 「いや、印刷して一つにまとめたものです」

 という回答。意味がわからない。それを影印版っていうんじゃないの?影印版という言葉を知らないの?そんなことってある?それとも別のものなの?どういうこと?しかしこの紺色の布地に金色の印字という装丁は確かに国立中央図書館で見て、計測したものに違いない。いやそうだろう。書誌情報もまともに記載されていないが、多分そう(以下、紺色影印版)。依然として混乱しつつも、重ねてきく。

 「私、原文が見たいんです。さっき司書さんに原文がみられると聞いてここにきたんですけど、不可能なんでしょうか?」

 「少々お待ちください」

 そうして少し待機すると、

 「上の階にある、古文資料室に案内いたします」

 と言われて案内された。やっぱり影印版だったようだ。ちなみに韓国では、原典とはあまり言わず、“原文”という方が伝わりやすいらしい。
 職員さんに丁寧に引き継ぎをしてもらった。礼を告げて、古文資料の職員さんに質問する。

 「『朝鮮と建築』という雑誌の、1931年、1932年の分を閲覧したいのですが、可能ですか?」

 「探してきます」

 と言って書庫の方に消えていった。すると、朱色の装丁が施された、見たことがない本が二冊出てきた(以下、朱色影印版)。月刊誌なのに本で二冊出てきたということはすでに原典ではないと推測できる。やっぱりだめかと軽く項垂れつつ、期待していなかったのですぐに気を持ち直してとりあえず閲覧してみることに。

 パラパラと頁をめくっていくと、あった。
 《異常ナ可逆󠄁反應》の文字。《破片ノ景色》《▽ノ遊戯》《ひげ》《BOITEUX・BOITEUSE》《空󠄁腹》もあった(※遊、戯は旧字体)。『朝鮮と建築』に寄せた巻頭言14頁分はまだ確認していない。しかし書誌情報は掲載されていない。似たようなことが日本の国立国会図書館関西館所蔵の影印版でも起こった。

 半分くらいしか信じてないけど、朱色影印版を受け取ったときに縮小倍率のことを聞いた。すると、「サイズが変更されることはあまりないと思います」とのことだった。ただただ情報をストックするような聞き方で、機械みたいに自分の体にその言葉インプットする。そういうこともあるかもしれないけど、そうじゃないかもしれないから。
 だが体感として、今手に持っている朱色影印版の方が紺色影印版より原典に近い気がする。

 ここで、またしても問題が二つ発生している。

一つ、以前国立中央図書館で計測した影印版と違うということは再計測の必要があること

二つ、書誌情報がわからないこと

三つ、書誌情報不明となれば引用の方法をわかりやすい形で新たに構築する必要があること

四つ、書誌情報不明となれば縮小印刷あるいは拡大印刷をしていた場合の縮小倍率がわからないこと

 現在図書館で所蔵されている書誌情報の中には、本のサイズが情報の一つに含まれている。しかしそのサイズというのは、“縦のみ”。しかもその縦の情報というのは表紙や装丁など、つまり書籍の一番表にある一番長いサイズを計測した数字なので紙のサイズを知りたい私には当てにならないのだ。ちなみになぜ表紙の縦しか計測しないかというと、書籍を本棚に直す際にサイズをみて本棚に収納あるいは整理するためらしい。おそらく世界共通で統一されている。私にとっては最悪の共通事項。一応、図書館も役所仕事の部分もあるし、無駄な計測なんてしないよなあ、そりゃあ。図書の管理に紙のサイズなんて必要ないよな。

 でも怒ったり拗ねたりしていても作業は進んでくれないのでやるしかない。先ほどエンカウントした紺色影印版からとりあえず《異常ナ可逆󠄁反應》のコピーをとる。そして、ここに再計測の数字を書き込んで記録していく。

 このような作業を行なっているということは、そう、“再計測の必要がある”ということ。

 紺色影印版の計測記録を見返してみた。すると縦全長25.5cm/横全長18.8cmだった。一方、朱色影印版は縦全長25.1cm/横全長18.7cmだった。まるで違う。軽く流す感じで、文字のサイズも測ってみたがサイズは異なっている。完全に再計測の必要“有”という烙印が網膜に押されたような感覚。めっちゃ面倒。なにこれ統一しとけよ頼むわマジで…と日本語でボソボソ愚痴を漏らしながら、作業を進める。

 《ひげ》の序盤まで計測を終えて、次の用事があったのでソウル大図書館を飛び出す。帰り際、出版社と縮小倍率を古文資料室の職員さんにあらためて聞いてみると

 「ホームページから確認してください」

 とのことだった。それがわからないから聞いていると伝えると、「わからない」という。

 あー!!!!もう!!14時くらいから18時までで3頁くらいしか進んでない!!!!あーあーあーあー、本当に終わらない。外に出る。寒すぎる。ソウル大前のバス停にある電光掲示板を見ると気温1℃と表示されている。クラクションうるさい。車のヘッドライト眩しい。ミニストップが煌々と営業中。儲かるだろうなと思いつつ、冠岳山駅のエスカレーターを下る。

 もう、『朝鮮と建築』の原典を探せるのは今の私の身分と権力では、ソウル大と国立中央図書館しかない。何もできない。国立中央図書館では原典の閲覧は何度も拒否されているからもう完全にだめ。ソウル大はもう少し粘ってみるけど、期待はできない、しても良いことなんてない。そうなると、諦め方をどうするか考える必要がある。

 「諦める」というと、世の中では妥協とか、手抜きとか、頑張りが足りないとかマイナスなイメージが付与されがちだが、私はそのイメージの付与が心底理解できない。様々な方法を試してぜんぶ駄目だったときに、じゃあどこまでならこの最悪な状況に譲歩できるかを考えることは、私はかなり美しい態度だなと思う。有限性の中で自分がどれだけその枠に反発しながら自分の納得する形をつくれるか、それが私の使う「諦める」という言葉だ。


帰宅。
これは簡単に命を巣食われる作業。自分で自分を励ましてやらないといけない。大丈夫、自分を信じて、自分の可能性を信じなきゃ何も始まらないよ。今の私は、そういう言葉を鼻で笑えない。
飯を食う。

 そして国立中央図書館のホームページで、『朝鮮と建築』の縦サイズを再度調べてみた。26cm。

 私はいま装丁をデザインし、この影印版を編集している。『朝鮮と建築』を後世に末永く遺すために、影印版を作成して、誰でも手に取りやすく、一括で閲覧できる素晴らしい書籍をつくる。表紙の縦全長は26cm。これが決定事項であとは未定。紙の縦サイズは2択。25.5cmと25.1cmがある。どっちを選ぶ。どちらが美しく、中身の紙たちを保護できるサイズになるか。

 25.5cmの場合、紙が表紙に保護される余白は5mm。単純計算で上下の余白は2.5mm。25.1cmの場合、紙が表紙に保護される余白は9mm。単純計算で上下の余白は4.5mm。私は後者を選ぶ。紙が表紙に保護され、デザイン的にも優れているのは後者だ。つまり朱色影印版のサイズがより原典に近いか、あるいは同等のサイズなのではないか。現時点で私が諦めて決めた最大の決定はこれだ。しかしまだ原典に近づく方法はある。だがひとまず、

 『朝鮮と建築』のサイズは朱色影印版を基本として進めることにした。この決定により、さらに計測を進められ、テキストデータの作成の工程に入ることができそうだ。

 まだ諦めることを先延ばしして、もう少しやれることがありそうなのでやってみる。それはまた記録するとして今日はここまで。


二〇二三年、一一月一一日執筆、二〇二三年一一月一六日更新。


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