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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第三十三回〉

 昨日は4時まで起きていた。映画の感想文を書きたくなって没頭したらそんなことになった。起きたのは9時55分。遅い。10分で家を出た。
 最近は、下宿先でしゃもじ二掬い分のご飯をラップに包んで、図書館の最寄り瑞草駅の地上に出たら、すみっこぐらしのふりかけをかけて食べながら歩くことにした。そうすることで、朝ごはんを取れるし、ご飯に注ぐ感情や時間も極限まで減らすことができると気がついた。いちごジャムを塗った食パンを図書館前で食べる週間は、食パンがもともと好きではなかったのも関係して、長続きしなかった。

 『朝鮮と建築』1931年10月に掲載されていた「三次角設計図」の計測作業とテキストデータ作成が終わったことにより、『朝鮮と建築』1931年〜1932年掲載の李箱のテキストは全て計測・テキストデータ作成が終了した。あとは、細かなフォント変更と文字の太さの変更、縮小倍率を元に戻す作業、最終確認2回が残っている。自宅作業に移行できるということは、バイトがある日でも家でガンガン作業を進められるということだ。

 そして、1931年分の巻頭言における計測方法の記録も終えた。テキスト複写物の裏面に計測方法を大まかに書く作業で、もし数年後に似たような形式の計測作業が出現したときに、1から方法を構築し直す手間を省くために記録している。

 しかし私は、韓国における出版の権利関係、翻訳権関係、編集文献学の系譜を勉強したいし、「定本李箱文学全集」の註解者の論文も途中で止まっているので読まなくてはならないため、図書館に通うことはやめてはならない。作業は全くはやい方ではないが、コツコツやれば終わるものは終わるなあ。


 
 勉強したいと言っても、まず資料探しから始める必要がある。資料探しが別に嫌いも苦でもないが、私は基本的にいつ何時も、作業で手一杯で、帰っても作業を進めなくてはいけない状況にある。なので最近は勉強したい分野の資料収集は図書館の司書さんに任せることにしている。
 以前は、「そういうのも自分でやってこそ調査上手になって、成長できるんだ」と考え、全部自分でやっていた。しかし、図書館に詳しい職員さんが資料を集めてくれるなら全部お願いしてしまった方が効率が良いのでお願いするようになった。


 正直言って、韓国の国立中央図書館のレファレンスと日本の国立国会図書館のレファレンスはレベルが違うなと感じた。


 韓国の方は、中には粘り強く話を聞き、不十分であれば聞き出して調査してくれる職員さんもいるにはいるが、その確率は低いと感じる。まず粘り強さがなく、要望を聞き出す質問も特にしない。一言でいうと雑で諦めの早い職員さんに当たることもしばしば、である。
 「相談室」という場所で資料に関する問い合わせが可能だが、毎回職員さんが違い、数時間ごとに頻繁に職員さんの顔ぶれも変わることを考えると、シフトで回しているだけかなあと感じる。一般人だと大学図書館も入館できない、貴重資料はどんな手続きをしても接触できないとなると、図書館の司書さんが頼りなのにその程度で諦めちゃ話にならないですよ…と思うくらい諦めるのが早い職員さんの割合が多い。

 一方、日本の国立国会図書館は基本的に粘り強く調べてくれた。司書さんと二人で資料を調べても求めていた資料がなかったり、サイトがなかったりする。私が肩を落として「ありがとうございます…自分でもう少し調べてみます…」と言って席を後にすると、その30分後くらいに「あの、こちらのサイトはどうでしょうか。求めていらっしゃるものと違うとは思いますが、何か手掛かりになるかと思いまして…」と何かしら成果を出すまで頑張ってくれる司書さんが多かった。京都府立図書館のレファレンスサービスも素晴らしかった。電話相談して、「1時間後掛け直します」と言って、本当に1時間後電話が鳴り、書籍、雑誌など様々なジャンルのものを片っ端から見つけて提案してくレ、取り置き手続きまでしてくれた。一切ストレスがなくて感嘆する。

 レファレンスサービスは、その仕事量に応じて報酬がもらえるわけでもない、中には時間と労力のかかる無茶な要望もあるだろう。そして私のように(自分で調べろよ)と思われそうな相談内容もあるだろう。でもやっぱり、「資料相談に乗ります」という設定で相談室に滞在している職員である以上、その設定を全うしてサービスをしてくれと思う。


 なぜこんなことを突然記したかというと、今日は相談室で良い職員さんに巡り会えなかったからだ。またか…今日はハズレか…程度にしか思っていないが、もうその割合が高くて腹が立ったのだ。


 国立中央図書館内の検索エンジンを使用して資料検索するのは、館内のどの階においても変わり無いのに、私の要望の伝え方が少し不足していただけで「この階じゃなくて上の階の相談室に行ってください」と言われた。調べるのに何が必要か聞いてくれればこちらも話せるのに、聞き出す技術もないようだった。残念。相談室に入る前に、男性が相談役だったのに加え(人にもよるけど私は男性と話すのがちょ〜〜っとニガテ)、面構えが腑抜けていたので踵を返そうとしたが、目が合ってしまいできなかった。相談内容も腑抜けていたので第一印象は侮れない。
 
 今思えば帰れば良かった。腹がたったので、相談室から出ていつも私のことを少し気にかけてくれている雰囲気のある女性職員さんのところに行って、全部事情を話して、明日一緒に資料を探してもらえることになった。職員さんの対応を話している時に、大きく顔を歪めていたので面白くて内心小躍りした。やっぱりこの人信頼できるなあ。その職員さんは、私が高校3年で担任を持ってくれた今井先生というとても良い先生に似ているから話しかけやすかった。今井先生には、20歳になったら連絡してと連絡先を渡されたけど、自分は20歳になっても何も変わっていない何も知識も教養も得ていないような気がして連絡できずじまい。申し訳ないなとよく思い出す。申し訳ないことをした、していると思い出す過去のできごとが多分50個くらいあって、毎日その50個から日替わりで4つ、5つを取り出してお手玉する。
 一生こうなんだろう。


 明日、その女性職員さんと資料探しをすることになった。10時半からは図書館で資料探しに取り掛かりたい。その方は、私の話を待って聞いてくれるし、話しやすい。クオリティ高い状態で技術を提供するのもサービスの一つだが、そんなこと関係なく人間力だけでサービスをやってのける格好良い人もいるもんだなあと思う。


二〇二四年一月一五日、執筆、更新。

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