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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第十八回〉

 
 東京から返事が来ない。
24時間くらい待った。あ、やっぱり正直に言いすぎたかな…と脅しみたいになったかな…もう一緒に作業してくれないか…仕方ない彼には彼の人生が…と心配事が膨れ上がり、やや諦めかけて塞ぎ込もうかというタイミングで、東京の名前が通知にあらわれた。
 
1.  論文について
2. 作業への協力について
3. 僕のことについて
 
と3つのパートに分かれた返事をくれた。これも全文掲載してしまいたいが、また要約してみることにする。

「1.論文について」ではかなりクリティカルな批判点をあげてくれた。まっとうな批判というのは、テキストをテキスト通りに読んだ上で多角的に思考されないと出てこないので、安易な賞賛よりもよほど嬉しいものだ。痛いところを突かれたなぁと甘やかな痛みを感じつつ、卒論執筆当時の思考を覚えている限り丁寧に返答した。

「2. 作業への協力について」
では、僕でよければぜひ協力したいとのことだった。私は「胸を撫で下ろす」という言葉を体感した。さらに東京はこうも書いてくれた。

協力していく上での困難にも気を向けてくれたうえで、それでもその先の得難い経験への期待を増してくれる言葉に、僕は胸を打たれました。毛利さんほど誠実な人には、会ったことがない気がします。怖気付くどころか、ますます協力させていただきたくなりました。

 この人、どんな遺書を書くんだろう?引用した言葉は単に私という人間の機嫌が良くなったから載せた。恐る恐る書いた正直さをこう評してもらえると、馬鹿正直で居続けてみるものだなと思わされる。

 「3. 僕のことについて」では、「なんで全集編纂したいと思ったのか」という出発点や、自分が小説を書いたり、翻訳作業も実験的に試みているところだということを簡潔に書いてくれた。
 

 私はたまに考えていた。この先、誰の目にも止まらずこうやって記事を更新し続け、一進一退の定本作業を一人で行って、誰の関心も集められず、完成もせずにこの道のりは途絶えてしまうのではないか。ご飯は食べるけど、風邪を引いても病院には行かず、資料収集にお金を使う、生活を一番にしない性格が体も心もボロボロにして、もうテキストと向き合っていないと自分ではないような、テキストを目の前にしていない身体は全部藁人形のような感覚になり、まもなく死ぬのではないか。友達も少ないから死体を見つけるまでに一週間くらいかかって孤独死。今、たまたま生きながらえているだけで、図書館のある時間、ある椅子、その背もたれ、ある力でもたれかかったときに、そういう未来にゴロゴロごろっと止められない速さで転がっていってしまうような気がする。それは、自宅の椅子かもしれない。狭い部屋に倒れた椅子と私の遺体が、ぽわわあんと脳裏によぎることは決して少なくない。


 突然、李箱のテキストから私のところまで転がってきた仲間が嬉しい。自分がリードしていく立場になるとびっくりするが、やることは変わらない。東京は、無理のない範囲で、自分の生活を大切にしながら末長く私とこの旅路を共にしてくれればと思う。いつか、分かれ道があらわれるのかもしれないが、せめてその時まで一緒に作業してくれると私も少しはマシな気持ちになる。ここから先は、誰しもが見過ごしてしまう些細で不思議な現象がたくさん転がっていると思う。
というか、そう信じることでやり切れる作業もある。
 

 なんだか最近咳が止まらない。いつか李箱のように、この咳に血が混じっていたらどうしようと思いながら咳き込む。



一一月一四日執筆、一一月二六日更新
 

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