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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第ニ回〉

 李箱のテキストは、全集においては執筆順に並べて刊行したい。
テキストに付される年月日は、外部の時間や都合に大きく左右されることがあるから、私はテキスト自体がどうなのかということを扱いたい。よって、執筆年順に並べたいのだ。

 テキストには執筆年月日が明記されているケースがある。私はそれを期待している。もちろん、それが絶対的に正しい年月日とは限らない。書き上げた日よりも早く記されている場合もあるし、書き終えた後に思い立って記したかもしれない。日付の明記には虚偽の可能性も含まれているのだ。
ところが、日本国内で確認できる李箱のテキスト(韓国語)を確認しても、執筆年月日が記されていない場合も多くあった。
 記されていないばかりでなく、記された日付には虚偽可能性があるのだ。しかし作家以外の人間はテキストに何が書かれているかを見るしかないので、明記された日付を信じる他ない。

 全集のテキスト順に関しては、もう一つ方法がある。
 原稿初出年順にテキストを並べることだ。李箱のテキストはほとんどの場合、1930年代にちょうど盛んに発行されていた文学雑誌各所に掲載されていた。「発行、販売されていた」ということは、複数個体が印刷・出版され、少なくとも複数箇所に流布していたと想定できる。するとテキスト初出年数が正確かどうか知るためには、テキストが掲載されていたという雑誌を一種類につき最低3冊ほど確認して、刊行年月日にブレがなければそこそこに信頼に値すると考えられる。
だが、現時点の日本国内で確認できる李箱のテキスト初出年代順は、年度は同じでも月日に多少のブレがある。このブレに関してはまた詳細を追記するとして。

 とにかく「これは順番に並べたテキストです」と言い切るためには、前者はそもそも執筆年月日という事実に欠損が多く不確かな範囲が広い。一方で後者の方が複数の根拠をもってテキスト情報を集めやすい。よって、李箱のテキストの場合は「原稿初出年順」に配列するのが妥当ではないかと考えている。
 本当に執筆年月日はわからないのかどうか、自分の目で、韓国国内の図書館をたしかめてみる必要がある。だがおそらくはこの消極的で、くやしい判断を選ばざるをえない気がする。だが私自身の欲望を捻じ曲げずに、テキストを捻じ曲げることなどあってはならない。テキストに逆らわない。
 安牌を恐れず選び取ることも覚えよう。



二〇二三、、七、二二

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