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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第五十三回〉

二〇二四年六月二六日

 消しゴムハンコのショップを開くことにした。早速そのために準備を進めている。私は渡韓する時にも消しゴムハンコをたんまりと持ってきたほど消しゴムハンコにのめり込んでいて、やりだすと3時間ぶっ続けでやってしまうこともしばしば。勉強や研究に集中したくないときも、まず消しゴムを手に取ればなんとかなる。日本にいたとき、好きなラジを聴きながら彫ること、好きなテレビ番組をみながら彫ることが私の何にも代え難い至福のひとときだった。月500円くらいでも稼ぎになればいいなと思ってそう決断した。
 決断してから、図案を描いたり、その計画を友達に話していたら1日が終わった。お腹が痛かったが、入場特典のポスターがどうしても欲しくて「鬼太郎誕生」を観に行った。もう3回目なのに同じところでボロボロ泣いている。大河ドラマ「光る君へ」も視聴スタート。骨太なラブストーリーなのに、ドロドロの政権争いも丁寧に描かれている。映画「汚名」を思い出す。

二〇二四年六月二七日

 腰と頭が痛い。動けない。昼ごはんは焼きスパム。スパムは前のバイト先でお歳暮ボックスのようなものをいただき、それをちまちまと食べていた。今日初めて焼いてみたのだが、初めからこうしていればよかった。美味しい。
 今日はとりあえず消しゴムハンコの図案を4つほど描き上げて、出かけないといけない。映画館に行くのだ。フラフラしながら映画館に着いたら、今日は金曜日ではなく木曜日らしい。1日早くきてしまった。しかしここまで来て黙って帰るのは腹が立つので、もう映画を観てしまうことにした。本日の映画館は韓国のソウルアートシネマ。現在「日本映画の現在」と題して日本映画の特集イベントを行なっている。日本でもロングランできなかったものの注目すべき作品を取り上げて上映してくれるらしい。この映画館は教育的、文化的目的を重要視した非営利の映画館で、6月にん1000ウォン値上げしてしまったが9000ウォンで映画が観られる上、毎月の上映チョイスもセンスが輝いている。9000ウォンを日本円換算するなら0を一つ減らせば良いと言われている。ということで今日は想定外の「マイ・スモール・ワールド」を鑑賞。なんだよ!と思わされるくらい、観てよかった。明日もくる。土曜日、日曜日も来る。4日連続でここに来るらしい。労働日数より多いではないか。韓国へは確か研究をしにきたはずなのに、毎週毎週映画館に通い、映画に金を払う。家に帰ってもサブスクで映画を観る。まるで余生を謳歌する石油王のようだ。


二〇二四年六月二八日

 今日も予定通り映画館に行った。しかしこれではいけない。今日は絶対に研究作業もするし、消しゴムハンコの図案も描くという強い意志でどちらも達成した。
 今日の研究作業は、資料整理と確認。大河ドラマを観ながら行なったのだが、私は自分の作業の丁寧さにとにかく感服した。元々、大して几帳面な方ではない。むしろ面倒くさがりで、口でも「ああ、めんどくさい」とよく言う。だが、現時点で資料に不足点はほとんど見つからない。書誌情報も各テキストに応じて丁寧にファイリングされている。韓国で出版されている全集において出版年数に不揃いが発生しているならそれも記録されているし、影印版の複写物しか所有していない場合は、原本の書誌情報に加えて影印版の書誌情報まで記録されていた。私が驚いたのは、ソウル大で入手した複写物の記録だ。その資料はA3サイズで、ソウル大で作成された影印版資料集を私の手で複写したものだった。これは原本と影印版の情報だけ書いてあれば十分なのだが、ソウル大のどの棟、どの棚、管理番号、影印版作成者、年月日に関する情報なども細かく記されていた。記録しすぎることなどはないが、必要ない情報だ。これは記録しすぎだと、クスッと笑ってしまうほどだった。
 しかしとても嬉しかった。この丁寧さは、私が心配性だから生まれた産物ではない。韓国に来る前、来てすぐ、来てしばらく、私が私自身との対話を徹底的に積み重ね、実験し、改善してきた痕跡だった。何日か空くと、進捗状況を全て忘れてしまい、それをメモした紙まで無くしてしまう私のことを私はよく知っていた。だから全てExcelに記録し、全てのファイルポケットに資料の収集状況がわかるようになっていった。それだけではない。書誌情報も必要最低限の基準を定め、それ以上に満ちていない書誌情報は基準を満たすまで調査した。それにより「書誌情報が不足」することはほとんどなく、「書誌情報あり」「書誌情報なし」のどちらかになった。申し送りもしやすい。でもまだまだ情報や資料は整理できる。日本に帰るとその作業が待っている。それにまだ資料整理と確認が全て終わったわけではないから、大きなミスも見つかるかもしれない。でもなんだか、複写物の上に貼られた大きな付箋に、何も取りこぼすまいとビッシリ書き込まれた書誌情報を見つけて嬉しくなった。私は、私の魂の声をちゃんと聞いてくれる人がそばにいるんだなあ。


小森はるか作品を鑑賞して感想をコツコツ書いていたのだが、作業日誌に書くのではなく、分けて書いた方がいい気がしてきた。余計な遠回りをしてしまった。


二〇二四年、七月、五日

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