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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第六十一回〉

二〇二四年九月一五日

 生活が慌ただしい。図書館で借りた本を読み、ノートに書き写したり、帰国の挨拶をしたり、友達に会ったり、作業の遅さや自分の将来に頭を抱えたりしながら、自分自身の生活をする。大変だ。 
 そして作業も進めている。現在は、雑誌「朝鮮と建築」(1932年)に掲載された《建築無限六面角体》のテキストデータを作成している。いまさっき、九割五分終わった。コツコツやれば作業は終わるというものだが、自分の命が終わるが先か、作業が終わるが先かといつも考える。

 テキストデータ作成は、原本資料の文字をIllustratorで原本資料通りの寸法で構成し直す作業である。ただ単に写真を掲載するだけでは読みづらく、画質も粗いため、この手間が必要になってくる。金先生にもいつか「写真か印刷したものを貼ればそんな面倒な作業をしなくても簡単でいい」と言われたが、私は少し迷って「わかっていますが、この苦労をしてみたいと思って、やってみます」と言ったのだった。想像以上に面倒だし飽きるし途方もない。

《建築無限六面角体》テキスト一部分
左側に影が見える。これは雑誌をひろげたときに紙上に生じる曲線。


 原本資料データを透明化、黒味を濃くする作業を終えるとこのように、デジタル資料を下敷きに文字を少しずつ配置していく。その過程で最も面倒なのが写真のようなケースだ。写真を注視すると、左側に影がかっているのがわかる。そして右に向かって白くなっていく。これは雑誌をひろげたときに綴じ部分が原因となって生じる紙面の膨らみである。デジタル資料の状態は良いものの、物質に生じる膨らみはどうすることもできず、紙の波うつ様子はそのままデジタル化されてしまっているのだ。
平坦になっていれば、私が編集した文字データを5文字ほど一気に配置できるが、この写真のように紙面の膨らみが強ければ、下敷きと文字にズレが生じてしまう(例:”生理”の部分、”生理”以下縦文字列)

 そうすると、文字データを一文字ずつ傾きを変えたり、奥行きを操作して、配置しなくてはならない。しかし印刷時からすでに活字が歪んで配置され、活版印刷にかけられた可能性もあるため、デジタル資料の状態も確認しながら作業を進める。

という作業を雑誌「朝鮮と建築」に掲載された詩作品に対して9割ほど終えた。まだ細かい確認は残っているが、やっとだ。

区切りがついたら、一旦この作業は一休みしたい。
テキストデータ完成→先生に進捗報告→通常入力版テキストデータ作成
→他全集と比較して注釈作業
というふうに進めようかと考えている。

その次は李箱の執筆活動初期に掲載された、いくつかの小説に関する作業を進めていこうと思う。これはさすがに文字数が多すぎるし、デジタル資料、紙資料が韓国でも収集できなかった作品も含まれているため一文字一文字のはできない。しかし寸法の正確さを諦めない。やり方を試行錯誤していこう。

二〇二四年九月一六日

そういえば2週間ほど前に金先生から連絡が来た。
関西に接近していた台風を心配する挨拶と共に、一つの依頼があった。
《恐怖の記録 序章》に関する依頼だった。
《恐怖の記録》は1937年、毎日申報に計6回連載された小説である。このテキストには続きがある。李箱の死後1986年 雑誌「文学思想」10月号にて遺稿特集が組まれた。肉筆で書かれた《恐怖の記録 序章》が発見されたのだ。その肉筆は日本語で書かれていた。金先生は、簡単な日本語漢字は読めるが日本語はできない。以前の全集作業時には、日本語作品に関してはソウル大の日本文学研究者に協力してもらったのだと話してくださった。しかし先生は今回は私に依頼をしてくださった。

 《恐怖の記録 序章》に書かれた肉筆原稿を解読してほしい。

とのことだった。先生はすでに8割ほど解読し終わっていたが、やはり日本語の文法的観点からみて不十分な点や、漢字が解読不可能だった箇所、空欄だった箇所はいくつかあり、私はそれを補完、確認する作業を務めた。一字を除いてほとんど解読できた。依頼から1週間後に解読結果を送信した。
 先生の期待に応えられているかは知り得ないが、頼っていただいて嬉しい。先生は依頼するときもしないときも腰が低い文章を送ってくださる。

 正直、期待以上の仕事をするよりも、頼まれたことをきっちりできていたら十分だ。別に断ることがあってもいいが、やるならば丁寧かつ確実に。
 この調子でやっていこう。

二〇二四年九月二十日

《建築無限六面角体》のテキストデータが完成した。原本データ自体に歪みが多かったため、データを配置する作業にかなり時間がかかったし、やる気も削がれた。韓国から帰国してゆっくり休みながらとはいえ、少しスローペースすぎたかなと反省する。
雑誌「朝鮮と建築」では残すところ、巻頭言15篇ほどだろうか。
しかしテキスト配置作業に飽きたので、現代人にとって読みやすく編集したバージョンのテキスト作成(《建築無限六面角体》、《鳥瞰図》、《異常ナ可逆反応》、《三次角設計図》)をする。これはただ文字を打ち込み、原本データに類似していることと読みやすさを重視したフォントを選べば良いので時間は要しない。要してはならない。一日で終わらせよう。
それが終われば、それぞれの注釈文を書いていく。これが骨の折れる作業だ。韓国語の海にまた溺れなくてはならない。

二〇二四年九月二十三日

 打ち込みデータだけ終わらせた。次はフォント選定に取り掛かる。本来はテキストデータ入力からフォント選定までを一日で終わらせる予定だったが、部屋の片付けをしていたら時間がなかった。

 韓国に帰ってきてすぐ模様替えをしたのだが、自宅の隣の家が外壁塗装をした。その色が黒というナンセンスな色だったので、日差しが入りにくくなってしまった。大丈夫だろうと思っていたが、机について作業をしてみたところ苛々して仕様が無かった。すぐさま模様替えを決意した。
模様替えする前の配置に模様替え。
私の部屋の配置や雰囲気は、映画「君たちはどう生きるか」の少年の部屋に少し似ているから嫌いではない。日に焼けるのは嫌だが、日が遮られた部屋はもっと我慢ならない。

 ついでに帰国寸前に韓国から郵送した資料やお土産も整理した。ポストカードはポストカードケースに、シールはシールケースに、フライヤーはフライヤーファイルに。それぞれに帰る場所を与えた。あまりに様々な場所からポストカードやシールが出てくるので混乱していたので、整理整頓をすることにした。

 9月22日頃の台風以降、京都は一気に秋の空気にいれかわった。夏はクーラー代を節約するために家族で雑魚寝していたが、そろそろ自室で作業して、自室で寝られる時期になりそうだ。気分が高揚しつつある。最近は、韓国語、英語、漢検、書誌学、書物学、映画の勉強に没頭している。均等に勉強するのが難しいが、食べ物を食べるように知識がついていく語学と、食べ物を食べて排泄されても知識となっているかわからない学問領域の勉強を両方やっていると将来が気になる。楽しみというよりも気になる。身についているのか、身についていないのか、運用できるまでになっているか、自分の言葉に変換できる日がきているのか。気になる。亀の歩みでも継続してほしいものだ。


二〇二四年九月二四日、更新

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