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翻訳作業日誌 —『定本版 李箱全集 翻訳版』のために—

 李箱全集出版のために、私は今、何をしているかを記述しておこう。

現時点で翻訳完了しているテキストはまだ7つ。翻訳途中のテキストもいくつかあり、終わっているテキストも多分あるはずだけれど、「完了」と言い切れるのはまだたったの七作。

 全集に向けて本格的に作業し始めたのは2023年の6月から。
 5月までは働きながらということもあり、全集を見据えていなくとも趣味で李箱のテキストを翻訳したり、途中でやめたりして、散漫な状態を続けていた。翻訳は世間で想像される以上に時間がかかる作業だが、多分私は他の翻訳者よりも作業ペースは遅いのではないかと焦っている。原因としては、

・調べ出したらキリがなく、どこまでも調べてしまう
・極端に不安症なため一言一句調べる勢いで調べてしまう
・調べまくってから、文章生成に入るので、またその支離滅裂な文章を直すターンがある
・集中力が本当に長続きしない、すぐ別のことをし始めてしまう
・語学力の欠如

 などなど、色々挙げられる。でも言い訳してもどうせやらないといけないのだから、と言い聞かせて、毎日コツコツ休まず翻訳作業をするようにしているのだ。

 たまに見かける翻訳者の翻訳ペースに関する話を聞くと1日で30頁とかは翻訳できるらしく。自分の翻訳能力と比較して、(ああ凄いなあ、いいなあ)などとくだらないことを考えてしまう。比較するなんて傲慢極まりない行為だとわかっているのに。もう作業フローに対してあれこれ改善することがあるというより、タイマーを使いながら時間管理を厳しくやろうかなと思っている。

私の翻訳作業フローは大きく分けて三段階に分かれている。

・第一周…
 とにかく一言一句漏らさず訳す。文章として大体整えながら訳す。
 30分調べてもわからない場合は飛ばして、放置、手をひたすら動かす

・第二周…
 第一周目のテキストを印刷し、赤入れをする。その際、文章を整え、
 第一周で飛ばした部分を全て訳す。注釈挿入。体裁も整える

・第三周…
 第一周、第二周でわからなかった部分に付箋を貼ったり、線を引いて
 申し送り事項を作成する


第二周の翻訳作業を終えた紙(《休業と事情》p. 1~p. 4)。正直、気持ち悪いくらいの書き込み。
こんなに無能なのかと落ち込むくらいの書き込み。はあ。嫌になるね。


 先日翻訳し終えたテキスト《休業と事情》は20頁もないのに、一週間以上かかってしまった。
 古語表現が全体にわたって使用されているテキストを翻訳するのは初めてで、最初は一頁翻訳するのに二時間以上かかるほどだった。最終的には一頁あたり一時間半くらいにまで短縮させることができた。

 けれど、仕上がったテキストを見ると、正直【翻訳完了】フォルダに入れるほどのテキストではないと、一段落読んですぐわかるほど拙い翻訳テキストだった。まだChat GPTの方が優秀なのではないかとうなだれるほど酷い。あれだけ時間をかけて考えたけれど、拙いことがよくわかって、達成感より嫌気が勝る。ただ、少し面白いのは一つの翻訳作業のなかでも翻訳者は少しずつ成長するということだ!上の写真は《休業と事情》一頁目から四頁目の第二周目翻訳作業の写真。下は五頁目から八頁目までの第二周目翻訳作業の写真だ。つまり、要領を掴んで、習得していったことが増え、調べ方もわかってきたから、第二周目の作業量が減っているのだ。特に一頁目と八頁目の差は歴然である。


第二周の翻訳作業を終えた紙(《休業と事情》p. 5~p. 8)。量が変わらないように見えるかもしれないが、右下の七頁目の右余白にあるような、知らない単語や古語や方言のメモが大半を占める。


 ただ一頁翻訳するのに二時間以上かかっていた翻訳作業の中でも学ぶことはあった。それはそれとして大切してみたい。

 まず古語表現を翻訳する際には、まず目でその「字をよくよく観察する」ことだ。形が似ているからといって、現代韓国語の似た単語を並べて、前後の文脈から見て推測してしまうなんてことはいつかうまくいかなくなる。まずその古語らしきあるいは方言らしきハングルをよく「みる」。
 「어떻게(オットッケ)」という言葉が現代韓国語にはある。韓国ドラマをよく観る人ならば登場人物が「 어떡해?(オットッケ?)」と騒いでいるのをみたことがあるはずだ。あの台詞に関連するのがこの「어떻게」だ。だが、《休業と事情》では「엇더게」と記されている。最初は見たと気は「ハァ?」と言ったがまず私はよくみることにした。

 次に、「声に出してみる」のがいいだろう。「엇더게」にしてもそうだ。この表記を声に出してみれば「オットッケ」なのだ!!
 文字を目で見てさっぱりわからなくても、声に出して読めば現代語でいうところのあの語かな?と検討がついてくる。そこで一旦検討は検討のまま置いておき、音声と文字情報の比重を変えながらネットや辞書で検索していく。多分、検討は必要だが信用しないのが肝。結局辞書を引くのが重要なのだろうと思った。万が一、声に出しても難しい語に出会した場合は忍耐と検索能力で乗り切るしかないと今は思っている(ちなみに私は古語や方言に関しては豊富に掲載されている辞書はまだ未所持なのでネットで調べることが多かった)。

 次に、「万が一ある語や表現に複数の該当可能性がある場合は、全て書き出しておく」ことも勧めたい。2023年8月にアクセスしたサイトである語の意味を突き止めたとしよう。しかしそこには三つの意味が載っていて、どの可能性もあり得た。そこで無理やりに選ぶのではなく、全ての可能性を手元に書き留めておくのだ。2025年8月にそのサイトにアクセスしても削除されている可能性があるし、再度検索する際にも検索材料は多い方が便利だ。辞書で見つけた場合もページ数や行数などを記しておくと後々、過去の自分に感謝することになるだろう。

第三周目を終えた紙。シャーペンで書き込んである。まだこんなに書き込みの量が多いと凹む。

 そして第一周、第二周を経ると、修正事項が減ってくる。その「減ってきた」段階で可視化される訳文の違和感がある。それを捕まえるためにも第三周のチェックは効果的だ。

 第三周のチェックでも学んだことがあった。それは「違和感を無視しない」ことだ。第三周にもなると疲れるし、飽きるし、もう直したくなーいと内心思ってしまうのだが、(なんかこれ読みにくっ)(なんかびみょ〜)(え、なにもっかい読み直そう)(これ、それってどこにかかってたっけ)と少しでも思ったら、訳文の上で何んとか繋ぎ合わせようとしないこと、無視しないことだが重要だった。これだけでどれだけ誤訳が減らせたことか。ただ、妙な感じを覚えた訳文に対して、まず訳文の上だけでかるく修正してみて、その後ソーステキストと付き合わせながら辞書を引き、訳し直すのは一つの動きとして考えて良いと思う。

 
〈ソーステキストを見る、訳文を書いていくシートを見る、ソーステキストを見る、辞書をひく、辞書を見る、ソーステキストをみる…〉

 そんな運動の繰り返しだが、繰り返しは慣れを生んでしまうのでたまには違う身体運動のリズムを入れる必要がある。そんな時は辞書をみずにざーっと訳して後で一気に調べたり、あるいは第三周目で約分だけでリズム調節をしてから辞書を引くなど、「不規則を生み出す」のも飽きっぽい私にとっては重要な措置のようだ。次、翻訳予定のテキストも古語だらけのようなので不安で仕方ない。頑張ります。



〈余談〉
 私は音楽(歌詞なし)聴きながら作業すると結構捗る方なのだが作業内容によってその効率は変わる。それを記録しておこうと思う。

第一周…音楽ありでも可

第二周…文章を整える作業では文章のリズムを感じないといけないので音楽を聴くのは難しいが、ジャズはなぜか可。注釈や体裁作業は音楽ありでも可

第三周…音楽不要。雑音でしかない。違和感の音がかなり小さい場合もあるため、ジャズであれなんであれ外部のリズムに流されて違和感を聞き逃すとまずい

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