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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第十三回〉

 二〇二三、一一月、二日。
 国立中央図書館で作業をしていた時に薄々思っていたことがある。それは(私は私の計測結果を信用できないかもしれない)ということだ。
 私はもともと複数の不安に襲われることがよくある。生活でも、仕事でも。家を出るのにも大変なことがある。コンロの火消したかな。コンロ使ったっけ。使ってないよな。使っていないけど、服に引っかかってついてたらどうしよう。あれ、窓閉めたっけ。窓、どこ閉めてないっけ。泥棒入っちゃうな。入られたらあそこにお金置きっぱなしだ。じゃなくてコンロ消したっけ。あれ?—— 家を一歩でた途端にこうした不安がどっと襲ってくることがよくある。
 それは、計測作業でも言えることらしい。計測している時は、雑にやったことはない。「3.43cm にするか3.45cmにするか」と悩むようなことはあってもその際の決断の速さは雑のそれとは違う。丁寧に計測していると言える。なのに、家に帰って計測結果をはらりと広げてみた時には

「えっ、あってるのかなこの数字」
「cmとmm間違っていないかな」
「モヤモヤする、もう一回測りたいな」

 どんどん不安になっていく。でも、毎回この不安に付き合っている暇がないことは自分でもわかっている。なので、無視しないといけない。この根本的不安を取り除く方法はない。あるのは「作業中に適宜再確認し、再確認したというマークを申し送りとして記すこと」「自分を励まし続けること」だろう。


 その数日前、本屋に行った。
 韓国には現在、個人営業の本屋は下火である。大きな書店がネット通販と店舗販売でシェアを占めており、ネット通販を行わない個人営業者やその通販規模が小さい営業者はなかなか利益を得られていないそう。個人営業店の行きつけ本屋を作りたかったのだが、そもそもないので大手書店に行って「정본 이상 문학 전집」の註解者・김주현氏が1999年소명춯판より刊行した「이상 소설 연구」を求めて行ったが、絶版とのこと。確認してくれた店員さんの目の前で項垂れつつ、ただで帰れねえと思い「정본 이상 문학 전집」の第一巻を取り寄せて予約することにした。

二日後、到着した本を取りに行った。

「정본 이상 문학 전집」を受け取り、翌日向かった国立中央図書館前のベンチで撮影した書籍近影。
読めば読むほど素晴らしい仕事だなあと思う。

 「정본 이상 문학 전집」を手にして私がまず行ったことは、
現在調査中の『朝鮮と建築』に掲載されていた《異常ナ可逆反応》(1931年)が、「정본 이상 문학 전집」では誤字脱字がないか、改行位置や空白がずれている箇所はないか、影印版の複写物と手に入れた本を比較しながら仔細に確認していった。

 テキスト内容自体に誤りはないが、旧字体であるべき漢字が旧字体に変換されていなかったり、旧字体の複雑な形があまりに見づらいため誤字が確認できた。粗探しみたいで嫌だなと思ったけど、定本作業は粗探しする過程も仕事の一つだと開き直って比較していった。この調子だと他のテキストにも誤字脱字やかたち的な不一致は多く見られるだろうと確信できるほどにはミスがあった。

 この本の中身を見れば察することができるが、おそらく校正作業や校閲作業はきちんとなされていたはずだ。それなのにこれだけのミスが見受けられるなんて、本当に恐ろしいことだ。定本作業者が必死に神経を研ぎ澄ませて整えたテキストがこれなら、読者は一体何を読むことができるというのだろうか。


 自分が粗探しされる日を夢見つつも恐ろしくなった。粗探しするなら、徹底的に、執拗に、意地悪にやるのがせめてもの礼儀だと痛感する恐ろしさを感じた。みても、みても、見落としてしまうんだな。


二〇二三年、一一月三日執筆。二〇二三年一一月一五日更新。

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