手記2023年2月26日 No.8

 昨日は、韓国語教室に行った。ライティングの課題があったので、授業冒頭にそれを音読発表する。読んでいるときから、他の受講生が聴くのに疲れている感じがする。文法も、単語も間違っている箇所っもあったけれど、最も聴衆の興味を奪ったのは、書いた内容の複雑さだろう。一文がやや長く、書いている内容も小論文というより、読み進めるとどんどん内容が繋がるタイプの文章にしたから、ついてこられなくなると、全てがわからなくなってしまうのだろう。

 音読の途中で、落ち込みはじめた。私の悪い癖だ。
 つまらない思いをさせてしまっている。全然わからないだろうな、申し訳ないな、と思いつつ、発表を続ける。途中、悪あがきとして意識的に身振り手振りをいれてみた。すると、なんとなく教室内の空気がふわっと熱くなったのを感じる。高校生のとき、オーストラリアの語学研修に行って、拙い英語でもなんとかやりきったことを思い出した。あのときと同じだ。言語はもちろん、基本文法や単語の知識量は重要である。これは間違いない。だが、それらを扱うのは結局、「私は、あなたに、私の言葉を伝える」という意思であり、それが表面化するかどうかなのだ。その姿勢だけで、聞こうとしてくれる人も世界にはいる。
なるほど、と思ってから身振り手振りで話すことにした。

 今回の敗因は、まず日本語で書いた文章を韓国語に直したことだった。私は気を抜けば複雑でわかりにくい文章を書いてしまうため、それがそのまま韓国語にも移行されてしまったのだろう。
そして、「できるだけ調べずに書いてみよう」と思ったことだった。単語を間違えたことんい対して、先生からは「ちゃんと調べて書くように」と注意された。私はそれに納得しつつも、全く後悔をしていない様子だった。どうしても自分の実力を試してみたくなるときがあって、今回の課題がその時だった。他の受講生には申し訳ないと思いつつ、「もっと単語を調べていれば」とは思わない。やはり自分は図太い鬱病患者だなと思う。

 言語の勉強には終わりがない。教室に行くと、周りのレベルの高さに腹がたつし落ち込む、先生の言葉を聞き取れないことも多い。すると、毎週肩を落として車に乗るのだ。だけど、落ち込む暇などないことはよくわかっている。落ち込んでも別に何も上達しない。とにかく、毎日やることリストを作って、それをロボットみたいに消化していく。それが淡々とできれば、もっと知識量は増えると思う。23歳にもなって落ちこむことがよくあるなんて、まだまだ自分への余計な興味を捨てきれていないのだろう。

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