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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第四十回〉


 私は、計画内容をマインドマップにまとめたデジタル資料、完成させたテキストデータ、自分の考えを整理する用のノートを持っていき、その闘いに挑んだ。
 しかし、結局どれも使うことがなかった。

 先生と二人で着席。窓からソウル大に走る車がみえる。この国は学校構内でもそれなりのスピードを出して走行している。全員教習所からやり直した方がいい。先生とわたし、どちらから話し始めたか、何から話し始めたかよく覚えていないが、まずは生活の話をしたと思う。

 ソウルのどこに住んでいるの?
 何をして生計を立てているの?
 休みの日は何しているの?

 そういった生活に関する質問に答えていった。その間も物腰は柔らかなままだったが、目の奥にかすかな警戒心がみえた。当然だ。外国から来た小僧が、自分の仕事に共感・賞賛しながらも批判するメールを突然送ってきて「会いたい」と言う。自分が長年積み上げてきた研究の何かを何の苦労も無しに盗もうとする可能性もある。その上初対面。警戒は当然である。
なので私は「で、本題なんですけど。私は全集を作ろうと思ってるんですよね」と切り出した。


 先生はまだ本題近辺の話をしつつ、「手伝えることがあるなら〜」と何度か仰っていたが、警戒心があるうちに本題を切り出した方が良いなと判断してそうした。

 なぜ全集を作ろうと思ったか。いつ思ったか。先生の編纂した全集と他の全集の差は何か。李箱の学会に参加したとき「内容がわかればいいんだけどね、僕は」といっている教授もいるが、なぜその姿勢では駄目だと思うのか。先生の全集の欠点は何か。その欠点を私が作ろうとしている全集ではどう乗り越えようとするか。なぜその乗り越え方が妥当だと思うのか。相手の警戒の最中で、全部の装備を脱ぎ捨ててみせた。かなり怖いけどこれも怖くて当然。


 羅列するとさぞ流暢に語ったように見えるが、現実は、小学生でも知っているような単語を並べて、容易な言い換えをして、なんとか話し切ったという拙さだった。語学を勉強したことがある人ならわかるが、論文を読めても論文の言語レベルでその言語を話せないことは大いにあり得て、私は典型的なそのパターンだ。
 では聞き取りはどうか。先生は標準語ではなく大邱や釜山の訛りがあるのでイントネーションが韓国語の教科書とは異なる。だがそこまで強い方言ではないので9割くらい聞き取ることはできた。
 よって「専門家であり現役で教鞭をとる、定本全集を完成させるという大仕事を成し遂げた先生」と、「先生と対等に会話できるだけの李箱全集に関する課題点やこれからやるべきことを知識として蓄えている喋り下手な幼稚園児」がカフェで闘っているという状況だった。


 この闘いのために準備してきたものを使わずに闘えたのは、準備している過程で、起こり得る状況に対する返答内容や話すべき内容とその手順などが細胞に染み込んでいたため、すべて自然に反応して話すことができたため、準備物を見る必要も見せる必要もなかったこと。そして、先生が私のやろうとしている「かたちを再現する」ということを普段から悩んでいた点であり、理解してくださる速度が非常に早かったことが挙げられる。

 闘いなので、先生が「うんうん」ではなく文章で相槌を取ろうとしてきたときは、それに返答するでもなくこちらの話を押し切る強さで望んだ。図々しく行け、ここが正念場と身体が理解しているようだった。

 先生の目つきは話し始めた当初と比較してまったく異なっていた。外国からきて貧乏な生活を送りながら研究する私を助けてやりたい慈悲のまなざしと、研究者として対等な人間と会話する平穏な空気を漂わせており、警戒心はほとんどなくなっていた。途中から定本作業の苦労や李箱が著者であると確定するのが難しいテキストについての話も自然と話題になった。そこまで踏み込んだ話をしてくださったことも、その苦悩を韓国語で理解できたことも嬉しかった。

先生と会う直前まで眺めていたソウル大の綺麗なグラウンド


 ところが、話している途中に気がついたことがある。それは、準備していったはいいものの先生に何をして欲しいのか、何を頼みたいのか、が明確ではなかったことだ。率直にいって、今、先生に手伝って欲しいことは特になかった。先生に何かを手伝ってもらうためには十分に作業が進んでいる必要がある。
 先生は私に対して何をすれば良いのか困っている様子だったが、一言で言えば「先生がどうやって定本全集をつくったのか」詳しく知りたかった。私という存在がいることを知らせて縁をつくりたかったのだ。後者は叶った。しかし前者は叶っていない。
どうしたら叶うかな?と考えた末、先生に

「引越ししてでも、先生の仕事を手伝ったり、近くで見たいと思っています」

 と伝えた。その言葉を伝えるまで考えることも許されず、韓国語の音声になって漏れていた。本心ではある。しかしもう少し練りたかった。
「いや思い切ったね〜」
「どうなるのこれ」
と声が聞こえた。背後からなにかが見守っていたみたいだ。引越しで環境が変わることへの恐怖が一気に押し寄せてくる。おそらく軽度か中度かの適応障害がある私は、背後の愉快な声とは真逆に内心どんどん気持ちが落ちていくのを感じた。しかしこの落ち込みも恐怖も先生に悟られてはならないという命令が細胞に伝えられているので、細胞に生かされている私は従う以外に選択肢もなく。この不安が長引くくらいならいっそ早く引っ越して、早めに不安と鬱に打たれて、早く慣れて、早く先生の仕事を手伝える方がいい。生殺しが一番堪える。


 その後も何度か先生とメールでやり取りをして、ズームの面談もした。

 この縁が続くように努力しなければならない。文献学の勉強や資料整理、テキストデータの制作が主な作業になるだろう。

 ソウルにいつまでいられるかまだわからないから、観光や散歩も畳み掛けるようにしつつ、頑張ってほしいなと思う。韓国に来てからもうすぐ5ヶ月。今年の冬は暖冬で氷点下になる日の方が少なくてつまらない。

たまに見に行くハンガンの夕暮れ。この瞬間は皆おなじ方向をみていて良い。


二〇二四年三月七日執筆、更新。

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