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定本作業日誌 —『定本版 李箱全集』のために—〈第十五回〉

 朝8時に起きてソウル大学に行こうと思ったのに、起きたのは9時半。寝たのが4時頃だったから、寝坊した。やっぱり5時間半は寝ないとだめらしい。

 ソウル大学図書館に着いたのは11時頃。そこから事の展開は早かった。

 まず外国人登録証と館内利用カードを交換して、四階の古文献資料室に突き進む。トイレで歯磨きを済ませて、『朝鮮と建築』の朱色影印版を閲覧申請する。前回は、この朱色影印版と紺色版影印版のどちらが原本に近いのか推測する段階で計測作業は止まっていた。今日はまず、「四階古文献資料室において、最も影印版資料に詳しい方はいるか」という質問から作業を始める計画だ。答えは

「よくわかりません」
まあそうかと思いつつ、答えてくれた職員さんがこう続ける。
「もし、影印版資料について質問したければ三階に行って聞いてみると良いです」

とのこと。
 言われるがまま、紙とペンを持って三階まで駆け下りる。
 この前対応して、紺色影印版を出してくれた職員さんが「あ、以前の!」と言ってくれて嬉しい。今日も健康的で麗しい。また厄介なことを頼む奴ですみませんと心の中で謝罪しつつ、尋ねる。

「以前案内していただいた四階で閲覧した資料(朱色影印版)は原本ではありませんでした。今日は、影印本自体に詳しい方がいないか、もしいればお話ししたいのですが可能でしょうか?」
「影印本に詳しい方…」

 動きが止まって、少しズレた回答が返ってくる。
「以前見たのが影印版じゃないとおっしゃりましたが、影印版のどういった点について質問したいのでしょうか?」
「あー、影印版がどういった場合においてサイズの変更が行われるのか、なぜサイズが変わるのか、どういった場合にサイズが変わらないのか、などを知りたいんです」
「影印本は、書籍ごとによってサイズは異なります、まず保存するために影印本は作られるのですが、文字が小さいので印刷する時に文字を拡大することもあれば、そのまま、一月ごとの雑誌を製本する場合もあります。目的によって異なります。やはり原本が見たいんですよね」
「はい、でもそれができないならば影印本と原本の差異を知りたいです」「うーん、お待ちください」

 職員さんはパソコンで何やら作業を始めた。この職員さんは一般人の私にも本当に丁寧に対応して、しつこく質問しても実直に答えてくださるので以前も今日も感謝の気持ちでいっぱいだ。何やら私と職員さんが云々唸りながら話し込んでいると別の職員さんもやってきた。職員さんはパソコンに何かをタイピングし終えて、何やら印刷をした。デスクの仕切りに貼られたイラストや映画のワンシーンが可愛らしい。


職員さんが印刷したのはソウル大学の『朝鮮と建築』所蔵情報についてだ。

  ソウル大学図書館中央図書館 連続刊行物室 (三階 複写)
ソウル大学図書館中央図書館 古文献資料室 (四階)
ソウル大学図書館中央図書館 古文献資料室 (四階)
ソウル大学図書館中央図書館 古文献資料室 (四階)
  建築学科          資料室   (39棟538号)


 と表に書かれている。建築学科?私はあることを思い出した。初めてソウル大学中央図書館を訪ねたとき、貸出カウンターにいる職員さんがぼそっと「建築学科」といっていたのだ。なんでその時に確認してくれないんだよいや私がもっと問いただしていればよかったのかというかもっと早起きしろよと自責しつつ、合わせて書いてくれた建築学科資料室の電話番号を見る。これは手伝ってもらおう。それがいい。

 また三階から一階に駆け降りて、貸出カウンターにいる女性の学生らしき人に跪いて、切羽詰まった感じで話しかける。

「すみません。私この『朝鮮と建築』という資料を探しているのですが、この二つ“一月ごとに出版されていた『朝鮮と建築』の原本はあるか”、また“一般人は利用可能か”を質問していただきたいんです。私、外国人で、電話がうまくできるかわからないので助けてください」と縋った。

 彼女は私が話している間頷いて話をよく聞いてくれて、言葉が詰まった時は補うように話を進めてくれた。話し終えると、読んでいた本を閉じてすぐ携帯を取り出し、電話番号を入力し始めた。理解がはやい。閉じた本は全て英語の本で、「I M A G E」と書いていたけど、誰の本か何の本か何もわからなかった。
 建築学科までのマップも出してくれた学生さん、ありがとう。本を中断させられるのは嫌だったろうに真摯に対応してくれて助かりました。


 バイト先でもらったブリ大根と家で入れてきた白米を弁当にたべ、この作業日誌を半分ほど書いて建築学科を目指す。


 建築学科の資料室に行き、カウンターにいる方に「こんにちは。私一般人なんですけど、『朝鮮と建築』という資料がみたくてきました」と伝えると、「あ、さっきの電話の?」といい、すぐ本のある場所まで案内してくださった。原本があると聞いてここまできた。
やはり、という感想が正直なところだった。案内された先にあるのは見覚えのある紺色影印版だった。
職員さんが本を一冊取り出してくれるが、

「原本だと聞いてきたんですけど、この本はきっと違いますよね」
「そうだね、複写版だね」

 今思い返しても、失礼なくらい落胆していた気がする。
探していた本と違うとわかった職員さんは、「ありませんね」と言って仕事に戻ってしまうんだろうと思っていた。今までそういう対応が多かったし、それは当然のことだろうなと思っていた。しかし建築学科資料室にいた職員さんは資料室のパソコンの前まで私を案内し、ソウル大学内に所蔵されている『朝鮮と建築』を検索し、「これはみた?」「この資料もあるみたいだけど、みた?」とあれこれ質問してまだ見捨てないでいてくださった。資料が見つからなくてもその親切さだけで私は嬉しい。

 国立中央図書館にある本のサイズも調べて、建築学科資料室にある複写版のサイズも測ってくださった。結局サイズはわからなかった。もうだめだなと思って礼を告げた。自動ドアに向かって歩き出す私の背中に向かって、職員さんが「この時代の雑誌はそんなにサイズは変わっていないと思うよ」と声をかけてくれた。
私は、

「もしかしてこちらに、朝鮮建築学会が出版した別の本もありますか?」と質問した。
「あるよ」

 と言って、すぐさま案内してくださる。朝鮮建築学会は大韓建築学会へと改名している(何年かはまだ調べていないがおそらく植民地解放後ではないか)。それ以降は『朝鮮と建築』ではなく『朝鮮建築』という雑誌に改名して出版されていたそう。職員さんと『朝鮮建築』のページを開く。これも複写版だというが、上部は綺麗に収まっているものの下部が途切れているので、印刷に失敗しているか、紙サイズの設定が甘い書籍だと言える。しかし、この職員さんはかなり信頼できる方だと思った。朝鮮建築学会の他の本を〜と言ってから私にその本を案内するまで滞りが一切なかった。そして一般人の私にもかなり親切に接してくれる。ありがたいことだ。
『朝鮮建築』は複写版だが、その不正確さが目立つ。しかし職員さんの意見と私の意見は一致した。下手に拡大して綴じられた本より『朝鮮建築』の本がもっとも原本と近いサイズとして考えられるのではないか、ということだ。

 職員さんはさらに調べてくれた。ネットに『朝鮮と建築』が売られているという。おそらく中古ネットショッピングのサイトか何かを見ているのだろう。

 では、表紙のサイズもまた同じだろうと再び紺色影印版の表紙や誌面サイズを測ることになった。職員さんとパラパラとぺーじをめくっている間に、あるページに辿り着く。

 その頁には、頁の上部に一つの薄れた淡い線が印字されていた。いや、文字のように黒く印字されていたというより、その線を境に色が変わっている。線より下は綺麗な白みがかった紙、線より上も同じように白みがかった紙。その線付近だけが、茶色っぽく薄く汚れている。これは多分、複写版を印刷した際に印刷されて“しまった”印刷元、つまり原典ではないだろうか。古本屋さんに立ち寄って古い本を手に取ればわかる。本は端から劣化する。端は最も外気に晒され埃や皮脂に接触する箇所だからだ。この複写版に印刷された淡い線は、「この複写版資料に対して原典の誌面サイズはこうだったんだ」と主張せんばかりの佇まい。じっとこちらを見据えてたまま、淡い境界が震え続けているようだ。複写しても、この線はデータになり得なかった。書物でしかみられない蜃気楼を目の当たりにしていたのかもしれない。
資料室には私と職員さんだけ。私は「わああ!」「感動した!」「これは本当にすごいことですよ!」という言葉を拙い韓国語に変換して叫んだ。職員さんは笑っていた。笑ってくれてよかった。私は今からこの職員さんと仲良くしなければ、この資料を計測したり、複写することもできない。
「写真撮ってもいいよ」「綺麗に、こう全体を撮りな」
と快く許可していただき、写真を撮影した。iPhoneとなると、さすがの蜃気楼も映る。無事、証明材料を獲得した。

 バイトが17時から始まるので、1時間半くらいしか作業できないがやってみる。
 韓国に来て、一ヶ月と少し。毎日『朝鮮と建築』の原典について調べ、電話をかけ、そうでない日もどうしようか、もうダメなのかなと考えていたが、やっと原典に近づいた気がする。うれしいのか?幸せなのか?いやそうではない。もっと不安になった。一ヶ月かかったとはいえ、これは早い方だと私は思う。日本で十分に調査できないまま韓国に来てしまった後悔もある。これから、もっと苦労するかもしれない。
 会社員とは違うから、無断欠勤して叱責メールを送信してくれる人もいない。私がどこかで折れれば、全部終わる。ほんとうに、全部終わる。
今まで集めた資料も、書籍も、翻訳作業の集積も、簡単になかったことにできる。私の意思でもそうできるし、もしかするとその終わりは私の意思とは反して、終わっていくのを私は黙ってみているだけかもしれない。
そういうことを考えて、バイトへ向かった。

けれど、
あの淡い線を目にしたあとすぐ、「私はこれよりここで作業する」と1秒足らずで決断した。建築学科がある39棟から早歩きで中央図書館四階に置きっぱなしの荷物を取りに戻った。その時、走っているのか歩いているのかわからない速度で来た道を戻った。自分の体が何かに引っ張られてただ進むような身体感覚、その真ん中に四畳半の茶室がひらかれ、私は一人ぽつんと正座している。身体は進む、進む。瞬きもせず、開いたままの口が塞がらず、マスクをしていてもわかるきっと異様な表情。何かに引かれて追いつけない器としての身体を、茶室がぐるぐる回転して、私はその中で転がる。まだ死にたくない死にたくない。死ねない。いま私を轢いた車、運転手は末代まで呪い殺すと思いながらぐるんぐるん。呪い殺すイメージに反して目は進行方向を確かめるためだけにある、みたいな。

 そこからあまり記憶がない。でもちゃんと作業はしていた。歩行者優先もできない馬鹿みたいな車の数々と、スマホばかり見て歩く危機感の薄い歩行者と、市街地道路の真ん中に立つ「ソウル市内交通事故」「死亡者1名」「負傷者56名」といういつかの表示が脳裏によぎる。あの数字になりたくない。まだ死ぬのは先がいい。頼む頼む。やらなきゃいけないことがある。
1時間半前にソウル大を出て、ギリギリバイトに間に合った。
またバイトで叱られたがなんとかなった。帰り道、おばあちゃんのことを思い出してケンタッキーの横で泣き崩れてから帰宅。ばあちゃんは私のことを見守らなくていい。守る必要もない。次は自分のためを一番に思って生きてくれたらいい。

ソウル大周辺はとても景色がよい。

二〇二三、一一月、二一日執筆、更新。


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