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「シャーロック・ホームズの凱旋」(森見登美彦)

森見登美彦がヴィクトリア朝京都を舞台にシャーロック・ホームズの物語を書いた、ということなら、おもしろくないわけがない、と思い、さっそく、読んだ。

予想通り・・・ではなく、予想以上に、おもしろかった。

舞台は、ヴィクトリア朝京都。
シャーロック・ホームズの下宿は寺町通221Bにあり、京都警視庁と書いてスコットランドヤードと読み、街の中を辻馬車が走り、「四人の署名」事件で、犯人を船で追跡するのはテムズ川ではなく鴨川である、という世界だ。

そのヴィクトリア朝京都で、シャーロック・ホームズはスランプにおちいっている。
彼は「赤毛連盟事件」で大きな失敗をしたことで「デイリー・クロニクル」紙で叩かれ、世間には悪評が広まってしまった。
そのためホームズは気力をなくし、下宿にこもるようになってしまった。

ホームズのスランプは、ワトソンにとっても大問題であった。
ホームズが事件の依頼を受けず解決もしないならば、ワトソンも、彼の活躍を記録することがなくなる。
つまりそれはワトソン自身の生活にも影響が出る、ということであった。経済的にも、そして、妻メアリとの関係にも。

ワトソンは友人のことが心配でたびたびホームズの様子を見に行くが、彼の様子に変化は見られない。
それどころかホームズは、ワトソンに対して「親身になってくれない」などと決めつけ、夜店で買ってきた金魚に「ワトソン」と名づけて、この金魚を新しい相棒に抜擢する、などと言い出す始末。

序盤の、スランプ状態のホームズの様子は滑稽で、かわいいくらいだ。
しかし、そんなホームズのもとへ新たな依頼が舞い込み、不承不承引き受けたところじょじょに元気を取り戻し事件を見事解決してめでたくスランプ脱出、ということになるのだろう・・・と思いきや、そういう流れには、ならないのである。

ワトソンはあるとき、ひょんなことから、彼のスランプは「赤毛連盟事件」のせいではなく、どうやら別の事件がきっかけらしい、ということを知る。
それは12年前、マスグレーヴ家で起きた令嬢失踪事件であった。
マスグレーヴ家で、いったい、何があったのか?
12年前の事件を掘り返そうとワトソンが動きすあたりから、物語は複雑になりはじめ、話は思いがけないほうへと進み、そして、おもしろさもどんどん加速してゆく。

読み進むにつれ、序盤と雰囲気はがらりと変わり、現実と夢の境界線がどこにあるのか、わからなくなってくる。
あやしげな霊媒師リッチボロウ夫人なる人物も登場してくるのだが、その彼女の、「現世は夢のようなもの」という台詞が、読者である自分に向かってささやかれているように感じてしまった。
読みながら、今、この「シャーロック・ホームズの凱旋」という本を読んでいる自分がいる世界は現実なのだろうか?と、頭がくらくらするほどだった。

本作の魅力を語っていたらきりがないが、ワトソンの妻メアリの描かれ方について、感想を述べておく。彼女は、「ワトソンの妻」として、ただの添え物として扱われておらず、存在感あふれる女性として描かれている。
ホームズの存在、そして彼のスランプによってぎくしゃくしていたワトソンとメアリが、じょじょに信頼関係を取り戻していく過程が、とてもいい。
この小説は、ホームズとワトソンの友情物語であると同時に、ワトソンとメアリの、あたたかい夫婦愛の物語にも、なっているのである。

気に入ったキャラクターとして、「淋しい自転車乗り」のヴァイオレット・スミスのことを書いておく。
彼女は本作において、なんと、「ストランド・マガジン」の編集者として登場してくるのだ。
ヴァイオレットは、ワトソンの書いたものの評判を伝えるために、自転車をえっさえっさとこいで診療所までやってくるのだから、なんともおかしい。

この作品にはアイリーン・アドラーも探偵として登場するのだが、彼女と、ワトソンの妻メアリ、そして失踪したマスグレーブ家の令嬢レイチェルは、同じ寄宿学校の出身、という設定になっている。
その寄宿学校の校長先生の名前が「アップルヤード」なのだが、あれ?どこかで聞いた名前…と思ったら、ピクニックの日に起きた少女失踪事件を描いた「ピクニック・アット・ハンギングロック」の寄宿学校の校長と、同じ名前であった。

そして、この「シャーロック・ホームズの凱旋」にも・・・どのあたりに、とか、どういった流れでこのシーンがあるのか、ということは伏せておくが、ピクニックのシーンが、ある。
5月上旬のよく晴れた日、馬車にバスケットや毛布、パラソルを詰め込んで、みんなでお出かけするのだ。
毛布に腰を下ろして、ハドソン夫人が用意したサンドイッチ、スコーンを食べながら、お茶を飲む・・・いいなあ、できることなら、私もこの物語の中に入り込んで、ピクニックに参加したい、などと思いながら、読んでいた。
「もしかして、今、本を読んでいる自分がいる世界はニセモノで、ホームズたちが楽しくピクニックしている世界、そちらのほうが、本物かもね?」などと、とちらり、と思ったりもして。

















はじめ。ゆるゆる・・・負け犬同盟。
面白さ加速。
四人の署名。



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