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『全部夢のまま』/乃木坂46の歌詞について考える

27thシングル『ごめんねFingers crossed』にカップリング収録された、3期生・与田祐希ちゃんがセンターを務めた楽曲『全部夢のまま』。作曲は、AKB48などにも多く楽曲提供している成瀬英樹氏(今回はyou-me名義)。

センターを挟むフロントポジションには星野みなみちゃん、筒井あやめちゃん。ディスコファンク的な軽快なサウンド、切なくも高揚する美メロ、星空のような衣装、しとやかでありつつダンサブルな振付、夢見的なMVと、構成要素が一通り完成度高く、そして評判のいい印象があるこの曲。

ここではやはり歌詞に注目したい。いざ歌詞を書き出してつぶさに読んでみると、ある一箇所で思わずホロホロリと来てしまったので、今回はその部分に向けて書いていく。

この曲の歌詞を全体通して見ると、『ひと夏の長さより』に近い印象を受ける。

あちらの歌詞は、過ぎゆく夏の幻影に、手離してしまった〈君〉の姿を重ねて憂いたセンチメンタルな詩……のようで、よくよく読んだら惚けた〈僕〉の一歩足らない行動力が招いた失敗録と呼べるものであった。

詳しくは以下を参照していただきたいとして、なんとも情けない、しかしなんだか〈僕〉のことを頭ごなしに否定はできない、そんなやりきれない痛みを内包した楽曲であった。

そして今回の『全部夢のまま』の〈僕〉もまた『ひと夏~』の〈僕〉に近く、こちらも失敗録と呼べそうなものだ。

あちらの場合〈僕〉視点で描かれているが故に、大事なところが盲目になっており読み解きを必要としていたが、こちらはその「後悔」そのものが一つの題材になっている。

なので、歌詞をそのまま読めば〈僕〉と〈君〉に何があったかおおよそわかる。

そう
ちょっとした口喧嘩
今までもあったけど
今夜の僕はいらいらしてて
遂に爆発したんだ

いつでもわがまま言い放題
なだめるのに疲れたし
直球すぎる言い方
何故君に合わせて自分を殺さなきゃいけない?

他人の目ひと め気にせずに気まぐれで、行動が予測できないよ、そんな〈君〉に対する我慢の限界が来てしまった〈僕〉の方から別れを切り出してしまったわけだが、それを他ならぬ〈僕〉自身が悔やんでいる。

皆が見てるのに抱き着いたり
泣き叫んで怒ったり
激しすぎる感情
そう受け止めることに疲れちゃったんだ
ごめん

そんなつくりになっているこの歌詞だが、タイトルにもある〈夢〉はサビを始めとした要所にのみ現れる。

それぞれ以下である。

全部夢のまま
恋が終わってしまえば楽なのに
百万回キスをしたことさえも

全部夢だった
ハッと目が覚めるように別れてから
百万回後悔なんかしなかった

夢なのかそれとも現実かのその隙間で
僕たちは何も言わず歩いた

いつまでも夢のまま
恋が続くのならば幸せだね
百万回出会ったり別れたり
僕の想像上で君を愛していたい

〈百万回〉がかかっている言葉の変遷に想い馳せるとまたグッときてやまないが、ここでまず取り上げるは〈夢〉である。

1サビは「そうだったら良かったのに」という悲しい願望、2サビは「確かにそうだった」と思い込もうとしている危うい状態、落ちサビは言葉通り、大サビは一つ突き抜けた客観的な物言いと、それぞれの用いられ方で示される意味に違いはあれど、言葉そのものは共通している。

最後まで行き着いた段階では、〈僕〉はどこか吹っ切れた様子を見せている。しかし彼は、確かに〈百万回後悔〉していた。

全部夢だった
ハッと目が覚めるように別れてから
百万回後悔なんかしなかった

だからこそ、〈全部夢だった〉と思い込もうと、〈後悔なんかしなかった〉と自らに言い聞かせていたのだ。

元の2人のように友達として

時計逆回転して
2人出会った頃の

別れ(と、その際の自身の言動)を悔やむ〈僕〉は、せめて全部が夢であれば友人関係だったあの頃に戻ることができるのに、と思う。もちろん、本心で望んでいるのは〈恋〉が今なお続いていることだった。

〈君〉と本当は一緒にいたい、それが彼の願いである。それが叶わないのなら、全部が夢で、無かった事になればいい。そう言うのだ。

つまり1サビ、2サビで現れる〈夢〉は、起きてしまった現実に対して「夢であれば」と〈僕〉が言葉として用いていた願いに過ぎなかった。

しかしながら、それを繰り返せば繰り返すほど、これは現実のことだと〈僕〉は突き付けられていた。

そんな〈僕〉が不意に見たビジョン。

夢なのかそれとも現実かのその隙間で
僕たちは何も言わず歩いた

それは、手を取り合い並んで歩く〈僕たち〉であった。

この〈夢〉のみ、唯一の「眠った〈僕〉が見ている夢」である。

あれほど望んでいた〈夢〉を今まさに見ている。にもかかわらず、まどろみの中でぼんやりした彼の頭では、今回の歌詞中で唯一本当の〈夢〉を、〈夢なのかそれとも現実か〉と区別が付けられないでいる。

ここがもう、あまりにも悲しい。

逃避の言葉として散々繰り返していた〈夢〉という言葉。それは、忘れよう、忘れようとする〈僕〉の想いが現れたものだったが、実際見てしまった〈夢〉の中では、彼は〈君〉と2人でいるのだ。それを〈現実〉とばかり思いながら。

眠りから覚めたときの〈僕〉の気持ちを想うと、とにかく胸が締め付けられる。

それこそ〈ハッと目が覚め〉たと同時に、彼の幸せだった時間は消えてしまうのだ。その時、彼は一体何を感じただろう。ああ切ない。

楽曲を聴くとこの箇所に間隔はほぼ無いが、そのほんの僅かな行間には、〈夢〉と〈現実〉を理解した彼の想いが多分に詰まっているのだ。ああ切ない。

いや、だがむしろ、〈僕〉はそれを経てこそ〈全部夢〉であることの悲しさを思い知ったかもしれない。そんな"都合の良さ"はすぐに水泡に帰してしまうと理解したからこそ、大サビに描かれた以下の境地に辿り着いた、と見ることも出来る。

だけどそういうのって身勝手だよね
全部夢だったなんてズルい結末じゃなく
もっと現実的に傷つかなきゃ恋じゃない

最後に当たるこの箇所を当初読んだ時は、明確すぎるくらい明確に答えを出してしまっているようにも感じたが、彼が体験したあまりにも悲しい瞬間を鑑みれば、「その先」に進ませてやりたい気持ちに駆られても無理はない。

歌い終わりから続く、希望を感じさせるアウトロも同様だろう。楽し気なイントロとも異なるながら、より前向きで高まっていくニュアンスを感じるあのアウトロは〈僕〉の背中を押すものだ。

いや、実際のところは曲先に作られており、歌詞は後から書かれたものであるが、奇しくもそのサウンドが〈僕〉の顛末としてささやかな希望を見出せる形に完成されている。

そうした要素も相まって、この曲には〈僕〉の後悔だけではなく、その辛さを乗り越えた先の未来を予感されるところまでが閉じ込められている。

そうであるならば、彼は〈現実的〉に、元の友達として普通の関係に戻ることくらいなら出来るのかもしれない。

Oh! Baby

という感じで、改めて歌詞を読んでみると、思いのほか現実的かつ具体的な描写や心情が描かれていた。曲を聴いた限りの印象はもっと幻想的なイメージであったが、むしろそれとは反するくらいの内容であったと言える。

MVの印象が強いところも多分にあるが、いやしかし歌詞からも、実は幻想的なイメージを強く受けている。その正体は歌いだしの部分にあった。

星空の帰り道
雲行きが怪しい
満月も不機嫌で
君の表情解らない

〈星空〉〈満月〉といった言葉選びがファンタジックな匂いを醸している。〈満月も不機嫌で〉というフレーズからは、なおさら絵本のようなヴィジュアルを想像してしまう。

こうした導入の、やはり一言目の威力が特に強い。2人が帰路に着く夜道の場面設定でありながら、「街灯」とか「ネオン」とか、あるいは「レストラン」、「繁華街」、「住宅街」などは用いずに、まず〈星空の帰り道〉との表現でこちらのイメージをファンタジックに誘導している。

その実、上記の通り現実的な内容が続くわけだが、隣を歩いている〈君〉の顔に注目するにあたって、〈星空〉⇒ 立ち込める〈雲行き〉⇒ 雲に隠される〈満月〉⇒ 月光が遮られてよく見えない〈君の表情〉、とフォーカスが当たっている対象が連動してスライドしていく描写も、なるほど上手い。

かつ、これらは画を誘導するだけではなく、同時に〈君〉の様子を表す比喩としても成立しており、それに続くストーリーにも違和感なく繋がっている。この歌い出し1ブロックだけでも、秀逸な点がいくつも見て取れるのだ。康はたまにこういうことをするから侮れない。

そして、今回作曲を手掛けたyou-me氏もまた、ご自身のYouTubeで『全部夢のまま』の歌詞の秀逸な点を挙げている。

(6:35頃~)

you-me氏は、サビの歌い出し、つまり〈全部夢のまま〉とタイトルが歌詞として用いられている箇所のインパクトを、続くストーリー展開も含めて「感服いたしました」と称賛されている。

特に〈全部〉の部分を推している。専門用語で言うところの「弱起」「アウフタクト」※と呼ばれる部分だ。

※歌い出しが1拍目以外から始まること。『Lemon』〈(あの日の)悲しみさえ〉、『歌うたいのバラッド』〈(今日)だってあなたを〉、『ごめんねFingers crossed』〈(い)まだってもちろん〉など。

デモの段階では異なる歌詞であったそうだが、このアウフタクトの箇所の〈全部〉が良いとyou-me氏は語る。実際、ここは非常に良い。

メロディとしてのインパクトが「全部」という言葉の意味自体と強烈にリンクしており、〈全部〉という歌詞が含めようとしている範囲が、まさしく「全部」であるという説得力を後押ししている。

そして、〈全部〉が含める範囲が広ければ広いほど、それは同時に〈僕〉の心情を示すわけである。

〈全部〉が強まるだけ、『全部夢のまま』のストーリーがより悲しく思える。〈僕〉は、思い出深いあれも、些細なそれも、忘れかけていたこれも、もう全部夢であれと思ってしまっていたのだ。

康の書く歌詞は、メロディ乗りが悪く仕上がることがままあるが、一方でこういう秀作がぽんと生まれることもある。たまにこういうことをするから侮れない(今回のシングルで言えば『ごめんねFingers crossed』のサビ終わり、〈Fingers crossedフィンガズクローォス〉の箇所もまた鮮やかである)。

まとめ

ざっくばらんに書いてしまいましたが、こんな感じです。

こういったストーリーを見出してしまったがために、曲を通して聴いていると、落ちサビの部分でどうにも泣きそうになる。〈夢〉を見ている〈僕〉が、それは〈夢〉であると気付いていない物悲しさに、胸がいっぱいになるのです。

以上。






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