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「変身前」というエモーション

先日、2年ぶりに行われた46時間TVが無事終了しまして。46時間のうちの1秒も余さず希少かつ楽しい尊い時間であったことはご存じの通りです。

例えば恒例の「乃木坂電視台」ひとつ取っても、四度目である1,2期生にせよ、二度目の3期生、初参加の4期生にせよ、非常にクオリティ高いものばかり。しっかり準備した完成品を披露する場としても、「ユルい10分間」としても、最高のものばかりでございました。

(という感想をみっちり書いたものがコチラ)

(ベストアクトはやはり、10分間をしっかり持て余したみなみちゃんでしょう)

しかし、それだけではないのです。短い46時間という中でもとりわけ注目したい箇所がございまして。私が今回の46時間TVを受けてひっそりと興奮していたこと、それが夜の恒例行事・乃木坂人狼は第2夜。

しかししかし、興奮の理由はそのゲーム内容ではないのです(でも山・珠の人狼の立ち回り、久保ちゃんの裏切者としての働きっぷり、凄まじかったですね)。

それは参加メンバー10人のうち過半数がセーラー戦士であるということ!過半数がセーラー戦士であるということ!

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その事に気付いた瞬間、この乃木坂人狼という企画が「変身前」という熱いエモーションを纏い始めたのであります。

上に貼りつけた画像で、ばかみたいに赤丸を付けさせていただいた6人。奥の2人は特に遠くて見づらいのがたいへん心苦しいが、梅澤・向井・山下・久保・田村・早川の6人は何を隠そうセーラー戦士である。

※個人的に気が付いたのが第2夜だったため今回こちらを取り上げているが、第1夜もまた三分の一がセーラー戦士である。

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そう、この深夜にパジャマでのんびり人狼を、セーラー戦士達が楽しんでいるのだ。お泊り会の様相を呈したパジャマを着こんだお楽しみの時間を、あのセーラー戦士達が過ごしているのだ。

「乃木坂46版 ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』」、2018年のTeam MOON、STAR、そして2019の公演を目撃したならばわかっているだろう、彼女達は命を掛けてこの世界を破滅から救った戦士達だ。いや、5人のいずれも一度は命を落としながらも戦い、この世界を救った。

その様子はご記憶の通り。血を、涙を、絶えず流しながらも、この世界を、愛を、悪の手から守るために彼女達は何度くじけても立ち上がった。

そして遂に全てを終わらせ、”普通の中学生”として平和な日常に戻った時の安堵感、充足感はこれまたご記憶の通りだ。最終盤、空から「何か」がうさぎの頭に落ちてきて新たな物語の始まりを予感させたが、それはまた別のお話。

そんな!戦士達が!今こうしてただただ友達と楽しくゲームに興じるなんでもない時間を過ごしている。

気の合う仲間集まりゃ楽しいよ、そんな何気なく楽しい夜更かしを過ごしている。これがエモーション!

幅広いメディアミックスを見せるセーラームーン作品の中でも特に評価が高いとされている一つに、劇場版『美少女戦士セーラームーンR』がある。

作品でも一貫して大きく取り上げているテーマ・「愛」、そしてうさぎと衛、また四戦士、ちびうさ達との関係をテーマに沿う形で的確にフォーカスを当て、かつそれを僅か1時間ちょっとという短い上映時間で描き上げたこの映画は、今なお名作として語り継がれている。

そのプロットの一部は「乃木坂46版 ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』」でも引用されており、そういった意味でも重要な一作である。

(Amazon Prime等で無料視聴可能!まだの方はこんなもの読んでないですぐ観よう!)

詳しい内容はここでは割愛するが、そんな本作品の名シーンをひとつだけ挙げたい。

クライマックスとか、戦う決意を固め地球から旅立つシーンとか、もちろんそれらも当てはまるが、今回はそこではない。

それはOPシーン。『ムーンライト伝説』に乗るその映像のうち、冒頭の舞台となる植物園に五戦士+ちびうさで向かうバスの中である!

そこでほんの数秒映される6人の様子。レイちゃん・美奈子ちゃんが隣り合わせて座り、お喋りに興じている。その後ろではうさぎとちびうさがお菓子の取り合い(当然うさぎが優勢)、最後尾では亜美ちゃんが静かに本を読み、その隣でまこちゃんは窓の外を眺めている。

この感じ!6人のこの感じ!戦士としてではなく、女の子同士の絶妙な関係性の感じ!

(うさぎはちびうさと年甲斐もなく揉めているが、一方で保護者としてすぐ隣の位置を担っていて云々)

伝わりにくいかもしれないが、つまりはプライベートの何気ない一場面の中に五戦士の普段の姿が凝縮されている。個人のキャラクターも、他人への関わりの具合も、非常に秀逸に現れている。かつ、休日もこのメンツで過ごしているという事実もまた良い。

そう。これこそが「変身前」のエモーション。

いや待て、乃木坂メンバー達はあくまでミュージカルでセーラー戦士役を演じただけじゃないか。

そうお思いの方もいる事だろう。ハッキリ言ってしまえばその通りだ。しかし全く違う。

何が違うかと言うと、それは確かに事実だが、そう考えること自体が違う。こちらの提示した論点を見誤っている。

確かにそもそも別人だが、敢えて行う演者とキャラクターの同一視。それこそが『「変身前」のエモーション』なのだ。

『美少女戦士セーラームーン』はご存じの通り漫画を原作とし、アニメ作品もまた広く知れ渡っている。セーラームーン/うさぎを始め、それぞれのキャラクター達が一つの独立した存在として認知されていると言っても過言ではない。

しかし、それらは漫画でありアニメだ。どれだけこちらが想像しようとも、その中で描かれた姿・物語しか存在しえないのだ。戦う姿以外の日常は、描かれない限り存在しない。

故に「見い出す」。本来存在しないそれを求め、取っ掛かりから見い出す。山下や久保を始め、セーラー戦士を演じた彼女達はその見い出しの依代なのだ。

これは例が少なからず見留められる。例えば『けいおん!』『THE IDOLM@STER』『ラブライブ!』等のアニメ作品は作中のバンドやアイドル活動を再現するように、キャラクターを演じた声優の方々が自らステージに立ってライブ公演を行っている。

これも、演者とキャラクターを同一視した(その"役割"を任せたと表現すべきだろうか)ケースと言っていいだろう。髪型も衣装なども基のキャラクターに寄せる形で、その本人としてではなくキャラクターを担う存在としてステージに立っている。

時には、その演じたキャラクターのセリフを発する等なりきることも求められつつ、その一方で演者自身の個性もまた愛されることがある。キャラクターに単に寄せるのではなく、どちらも同居することこそが「同一視」のキモだ。

このほかにも、スーパー戦隊シリーズ・仮面ライダーシリーズに出演した俳優は、特にメインの視聴者層である子ども達と街中で出会うなどした場合、俳優としてではなくキャラクター本人として認識されることがあるだろう。

『仮面ライダーオーズ』に出演していた三浦涼介氏は、演じた役柄が作中設定上メダルが体の構成組織となっており、数が不足すると命に危険が及ぶ。オフの時、そのことを心配した子どもにメダルをプレゼントされた(三浦氏本人はそれに感涙した)というエピソードがある。

ある意味これこそが、本質的な「変身前」のエモーション。

「演じた」からこそ「その本人である」と認識される業。それは時にプレッシャーにもなり得るが、転じて、戦士たる宿命という作中の設定ともつい重ねて見てしまう。そうでなくとも演者自身がそのことを誇りとして抱きしめている場合も大いにある。

更に言えば、こちらはそれに乗じて、進んで重ねて見てしまう。彼・彼女らの姿に進んで「見い出し」を求めてしまう。

もちろん実際は別人だ。当たり前に「見い出し」が成立するものではないし、ましてそれを強いることはあってはならない。

しかし、何気ないタイミングでその「見い出し」が成立してしまった時、その時はとても嬉しい。テンションが上がる。より「この子はやっぱり●●なんだ」と確信を強めてしまう。そういう事もある。

そう、これが「変身前」のエモーション。

そして今回は、乃木坂人狼を通して、メンバー達からセーラー戦士の何気ない夜を見出すことに成功したのだ。

そんなセーラー戦士達による人狼。引き続きゲーム内容については割愛するが、しかし一部は是非取り上げたい。

特に上でもサラッと挙げた第2夜は第二戦、人狼が山・珠、裏切者が久保ちゃんだったゲームでのことである。というか、その役割である。

セーラー戦士の中でも特にムーンである山下と久保ちゃんの2人。五戦士の中でも中心的存在であることは言わずもがな。

そんな2人が(そして珠ちゃんが)、友達の皆を騙し、欺き、命を奪い、そして華麗に勝利する。そんな狡猾な一面を見せるのである(久保ちゃんに至っては、自らの命を犠牲に2人を勝利に導く)。

文字ヅラだけではあまりにも残酷なその行いを、ゲームだからこそ、お泊り会でのゲームだからこそ、朗らかな笑顔で実行するのだ!「騙し切ったぜ!」というその笑顔こそエモーション!

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変身し命を掛けて敵と戦う場であればとても出来ない所業だ。しかし人狼というゲームにおいては躊躇いなくできる。なぜならば変身前の遊びだからだ。これこそがエモーション!

いや、違う。そんな遊びをしている様そのものがエモーション。変身前の一時の楽しい時間がひっそりとこの仲間たちの間で流れている。

誰もが体験しうるその楽しい時間、何も特別なことは起きていない尊い時間、それを彼女達が戦士としてではなく、普通の女の子として寄り集まって当たり前に体験しているその事実。

逆に言うならば、そんな当たり前の風景の中にいる少女達が、しかしセーラー戦士であるという事実。それこそがエモーション!

そしてそれは乃木坂人狼の場には限らない。例えば「乃木坂電視台」、セーラーマーズことレイちゃんこと寺田蘭世の電視台を取り上げてみよう。

彼女の電視台はメンバーを迎えたファッションショー。その内容の秀逸さは冒頭でリンクを貼った感想noteにしこたま書いたのでそちらをご参考いただきたいが、今回注目するのはその人選。

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蘭世本人含め、セーラー戦士ばかりなのがお分かりだろう!うさぎ!レイ!レイ!時空を超えたうさぎちゃんとレイちゃんの共演、レイちゃんとしての先輩後輩の邂逅。

VSシリーズをはじめとした共闘モノに見られるエモーションがここでも発生している!それが実現しているのが、「戦い」というある種必然の場ではなく、私服紹介というさながら一話完結のスピンオフエピソード!あぁ、「変身前」のエモーション!

ここで、林瑠奈ちゃんがひとり仲間外れのようにお思いだろう、しかしよく見てほしい。彼女の綺麗な黒髪。切りそろえられたボブカット。その個性的な存在感。あれ?これ……あれ?

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はい。

という事で、そうした近い未来への予感も含め、この「蘭世コレクション2020」は多大なる「変身前」のエモーションを纏った企画なのである。

それこそ今回のエモーションを引き出した久保ちゃん・早川ちゃんの存在、詳しく言うならば、蘭世の参加したTeam STAR、またMOONが2018年に上演され、それで終わりかと思いきやその1年後に彼女らによって2019に上演された事実がまた、未来への希望を確かなものにしている。

その事を踏まえた上でのこの変身前の共演が、変身後への希望をも放っているのだ。一度は「別のお話」とされた空から降って来たアレ……期待してますよぉ。

このままいくと永遠に書くことが出てきてしまうので、一旦ここらへんにしておきたい。

本当はまだまだ色々ある。2年通してのトリプルキャストについてとか。

例えば、かずみん、蘭世、早川ちゃんという三人三様の全くキャラクターの異なるこのメンバーが、いずれもセーラーマーズなのだ!ということとか。

逆に、セーラーヴィーナスはひなちま、かなりん、真佑ちゃんなのだ!ということとか。

葉月はセーラーマーキュリーなのだ!ということとか。セーラー戦士に選ばれたこと、またムーンでもなくマーズでもなくジュピターでもなくヴィーナスでもなくマーキュリーなのだ!ということね。

そういった、戦士の性質と変身者の素質のエモーションについては、また機会があったらそん時にさせていただきたい。多分永遠に書ける。

そして最早余談だが、こういう変身前の集合写真とかは堪らないわけです。

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原典と違って、変身前と後で髪型や色が変わる設定なんだなぁ彼女達の場合は、とか(キューティーハニーと同じタイプですね)。私服の傾向もそれぞれの変身後とはまた結構イメージが違うなあとか。

5人でいる時の役割や立ち位置、関係性がそれぞれのチームでちょっとずつ違うのもまたエモーション。それでいて、共通する部分もしっかりあるのがエモーション。

同期として元々仲が良かった早川ちゃんと真佑ちゃんがセラミュ出演を通して更に仲が深まり、今や隙あらばイチャイチャしてることもまた「変身前」のエモーションだ。

最後に一つだけ挙げたい話がある。

今回書いた変身前についての内容の「セーラー戦士」(ないし同じ意味を示す語)は、そのまま「アイドル」「乃木坂46」に置き換えられるだろう、ということ。

乃木坂46として決して”ふつう”ではない日常を過ごす彼女達が、46時間TVという機会に際し、仲間達で夜な夜な楽しい人狼遊びに興じるというその事実。それこそが何よりのエモーション!乃木坂人狼の意義とはそれなのだ!

早出さんへの愛と感謝と共に以上。



セラミュに関するnote↓。



明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。