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『君に叱られた』/乃木坂46の歌詞について考える

9月22日についに発売となった28thシングル『君に叱られた』。

4期生・賀喜遥香ちゃんがセンターを務めるこの曲は、乃木坂46のシングル表題曲にしては珍しくかなりストレートにキャッチーなポップソングである。

歌詞については、サビの〈わかったわっかーあたっ〉〈言葉がこっとーばがっ〉という譜割が軽妙で好きなんだけれども、今回はそこではなく。注目したいのはその内容である。

賀喜ちゃんは「"自分のことを叱ってくれる人の大切さ"を謳ったもの」と紹介時に語る。実際それは正しく、しかしもう一つ、見落としてはならないポイントがある。

『君に叱られた』を深く理解するにあたっての補助線として、この曲は『僕は僕を好きになる』の地続きにある、という認識を持つ必要がある。

僕は僕を好きになる

2020年10月にグループの中心的存在であったメンバー・白石麻衣ちゃんを送り出した乃木坂46。

彼女の卒業は25thシングル『しあわせの保護色』に重ねられ、それは同時に、結成から続いてきた1期生時代の幕引きを示した。

そして、続く26thシングル『僕は僕を好きになる』。

センターを3期生・山下美月ちゃん、両隣のフロントメンバーも同じく3期生・梅澤美波ちゃん、久保史緒里ちゃんが務めたことなど、采配ひとつ取っても代替わりの印象がある。

しかし重要なのは歌詞の内容。『君の名は希望』から続いた愛と救済が『Sing Out!』で最高地点に達し、その後の新章のはじまりとして配されたのが『僕は僕を好きになる』である。

その歌詞は『Sing Out!』を経て一巡したかように、新たな主人公としての〈僕〉が苦悩する様が描かれている。

真っ白なノートの1ページに書いてみるんだ
今一番嫌いな人の名前とその理由を

友達なんかいらないって思ってたずっと

いや、苦悩と言うよりむしろ、〈僕〉自身が周りに対して心を閉ざしているように見て取れる。

例えば、『君の名は希望』にあった〈僕〉が孤独から救い出される様子や、『シンクロニシティ』のような〈誰か〉に手を差し伸べる様子ではなく、〈僕〉の自問自答でこの曲の冒頭は終始している。

無視されたら無視してれば良い
だけど消えてしまった笑顔はどうする?

誰にも気付かれない胸の叫びや痛みを
書き出したら
なんて陳腐な言葉の羅列なんだ?

自問自答の末に〈僕〉は自身のスタンスを顧みて、他人のせいにしていたネガティブな感情の要因は、心を閉ざして壁を作っていた自分自身にあったのだと答えを出す。

傷つきたくなくてバリア張ってただけ
ほっといてと

やっとわかったんだ
一番嫌いなのは自分ってこと

裏切っていたのは誰でもない僕だ
輪の中に入ろうとしなかった意地のせいさ

雲が晴れたような気持ちのままに、〈僕〉の心情がひとつ前を向く。そんな"きざし"としての結末を迎えたところで『僕は僕を好きになる』は幕を閉じる。

言ってしまえば、〈僕〉は自己対話を経たことでゼロ地点に戻ることができ、ここでやっとスタートラインに立ったのだ。おそらく最後のフレーズの前には「これから、」が本来的に付くのだろう。

僕は僕を好きになる

おおまかにまとめると、『僕は僕を好きになる』で描かれていることは「コミュニケーションの拒否、他者の拒絶(と、そこからの解放・脱却)」である。

それは、上でも挙げた〈傷つきたくなくてバリア張ってただけ〉のラインがキモとしてある。1サビの〈友達なんかいらないって思ってた/ずっと〉も同じ背景に起因するものだ。

誰かと関わって辛い思いをするくらいなら、最初から誰とも関わらなければいいんだ。どうせ傷付くなら、最初から何もしない方が良いんだ。皆嫌いだ。僕を傷付けるかもしれない皆のことが、僕は嫌いだ。

そんな風に、CV:緒方おがた恵美えみで声が聞こえてきそうなくらいである。

そうした他者の拒絶、コミュニケーションの断絶は、自ら理由を作っていたと〈僕〉が気付いたところで幕を閉じるのは上に書いた通り。その先〈僕〉がどう変わってゆくのかは知る由もない。

ないのだが、それは『僕は僕を好きになる』の世界のみに注目した場合。

そこで新曲『君に叱られた』を取り上げてみる。この2曲を並べると、〈僕〉を通して『僕は僕を好きになる』で描かれたものと地続きとなる心情が描かれていると見ることができる。

やっとわかった

と言っても、何も『僕は僕を好きになる』と同じ人物の続編が『君に叱られた』だと言いたい訳ではない。

しかし、少しばかり抽象度を上げてみると、この2曲は深い部分で繋がっているように思えるのだ。

『僕は僕を好きになる』を経て得たヒントから進んだ"その先"が『君に叱られた』に明確に込められている。『君に~』では、かつて拒否していた「他者とのコミュニケーション、他者の言葉」を〈僕〉が徐々に受け入れていく様子が描かれているように見ることができる。

僕のどこが間違ってるんだ?

やっとわかった
わかった
君の存在
当たり前すぎて気付かなかった

どこか足りないジグソーパズル
そっと互いに埋め合うのが
相手への思いやりとか優しさとか
それがごく自然な関係なんだって思う

言葉が
言葉が刺さってるのに
ずっと素直になれなくてごめん

プライドなんかどうでもいいよ
それより僕は君に叱られて嬉しい

個々のフレーズ単位でも、『僕は~』と『君に~』は対比になっている箇所がしばしばある。

だけど消えてしまった笑顔はどうする?
その背中向けた世界は狭くなる

そんなに世界を狭くしてどうするの?
僕は頭を殴られたようで

やっとわかったんだ
一番嫌いなのは自分ってこと

わかった
わかった
自分のことが

許せない嘘や誤解が招いた孤独

人の話聞こうとせずに
自分の答えを押し付けた

こうして並べると、それぞれ同じような背景がある上で、『君に叱られた』における〈僕〉は、更に認識を改めようとしていることがわかるのだ。

『僕は僕を好きになる』の〈僕〉は自己防衛の為に強情を張っていた部分が少なからずあり、後々自らそれを振り返っている様子があるが、『君に~』の〈僕〉もまた、過去の自分を省みるように自己分析している。

後になって冷静になれば
そんなに嫌な日々だったのか

愛は甘えられるもの
許してくれるもの
だからいつだって一方的だった
やりたいようにやっては誰か傷付けてきたのか

同じように自己分析してはいるが、『僕は~』と比べてこちらは、より他者へ視線が向いている。自身の、人との関わり方を見直そうとしている。

『君に叱られた』の〈僕〉は、他者による「叱る」という自分へのアクションを受けて、目が覚めたように認識を改めている(それは〈わかった〉に象徴される)。

愛がなければ生きていけない

例えば世界にたった1人の君には叱ってもらいたい

これは〈友達なんかいらないって思ってた/ずっと〉のラインに代表されるような、『僕は僕を好きになる』に見られた「他者を拒否・拒絶」する態度が、解きほぐされていることを示している。

このように『君に叱られた』には、他者の言葉やコミュニケーションを素直に受け入れようとする様子が描かれており、実質的に『僕は僕は僕を好きになる』と直結していると言っても過言ではない、新章の続編として成立していることがわかる。

〈僕〉は段階を経て人との関り合いを拒絶しなくなり、〈叱られた〉ことへの態度をはじめ、人の言葉を受け入れる度量が徐々に育っているのだ。

素直に聞けるから

そもそも採り入られたアクションが「叱られた」であることが秀逸である。

肯定のみの「褒められた」でもなく、ただ感情をぶつけるだけの「怒られた」でもなく、良くない部分・改めるべき言動を理性的に指摘し相手を律する「叱られた」

この表現でこそ、〈僕〉が〈君〉から筋の通った道理を突きつけられハッとした様子が見て取れる。〈僕〉側に誤りがあったと〈僕〉自身が認識し、心境が変化する様を描くことができている。

大人になって初めてだった
いつもはあんなやさしい君に叱られた

他者の言葉を受け入れる様子を描くにあたり、的確に「叱られた」が採用されているのだ。

そう思えば、以下のフレーズからは、〈僕〉は他者からの影響を受けて変化し、そして更なる影響・変化を望んでいることがわかる。

僕を叱って
君が叱って
ちゃんと叱って
素直に聞けるから

壮大な一曲を経てゼロ地点に立ち戻った『僕は僕を好きになる』から進み、『君に叱られた』は、より前へ、前へと進む意志を見せているように思える。

(音楽面、特にイントロを対比してみても、朝日が昇る瞬間のような静けさと心地よさがある『僕は僕を好きになる』と、駆け出したくなる高揚感に満ちた爽快な『君に叱られた』とで、それぞれのイメージが重なっているように取れる)

『Sing Out!』までは一方通行で"愛"を放っていたが、『僕は~』とそれを経た『君に~』を並べてみると、主人公たる〈僕〉は、そうした他者の存在、他者からの愛を受け入れられる心境が段階的に育っていっている

『僕は僕を好きになる』に関するnoteにて、「この曲の〈僕〉は『Sing Out!』の愛を受け取った側では?(『Sing Out!』に救われた側のストーリーでは?)」との指摘をざっくばらんにしてしまった。

しかし『君に叱られた』と並べてみると、愛を素直に受け取れるようになる様子が想像以上にじっくりと描かれているように見えてくる。

同時に、『Sing Out!』の愛はただ優しく肯定するだけでなく、"愛ある厳しさ"も内包されていたのだと気付くことができる。いや、そもそも読み取れる形で書かれていないので「ここで更に補強された」とするのが正しいだろう。

新章のはじまりである『僕は僕を好きになる』、その地続きのメッセージとしての『君に叱られた』。

それは新世代の新たなストーリーであると同時に、最高地点の『Sing Out!』ともまた地続きの物語であることが、対比しての読み解きでわかるのだ。

まとめ

そんな楽曲である『君に叱られた』、そしてその前譚である『僕は僕を好きになる』のそれぞれのセンターを務めるメンバーが、かつて他者とのコミュニケーションの不和や、それによって傷付けられた経験を語ったことのある賀喜遥香ちゃんや山下美月ちゃんが担うことがまた、なんとも象徴的である。

それこそ『Sing Out!』を齋藤飛鳥ちゃんが中心に伝えていったように、「だからこそ」なメッセージとしてより強く受け取ることができるようにも思う。

ひとつの「当事者」であったからこそ、楽曲の持つメッセージを説教臭くなく、真摯で切実なものとして発することができる。

まあ、そこら辺は脇に置くとしても、『僕は僕を好きになる』『君に叱られた』の2曲が明確に地続きだと捉えると、この2人、"かきした"が背中合わせの存在であると認識することができて、とてもエモい

2人が乃木坂46の先頭に立つ存在として先輩後輩の関係にあるだけでなく、山下への憧れを持ってグループ加入した賀喜ちゃんが、彼女と手を取り合い乃木坂46の新章へ共に進むのだと思うと、それはもうただただエモい

3、4期生も既に加入からの経歴を積んでおり、「新メンバーの大抜擢!」という形でこそないが、いやだからこそ、連綿と続いている乃木坂46の精神を着実に受け継ぎ、新たな向きへと説得力を持って語り継ぐことができる。

5期生加入を控えた今、次なる世代で新章を突き進んでいく為のファクターが『僕は僕を好きになる』であり、そして『君に叱られた』であるのだ。

という感じで語ってしまうと「世代交代」をゴリ推しているようにも見えるかもしれないが、しかし奇しくも、新章に突入した2021年に乃木坂46は10周年を迎えている。

それを祝福することはつまり、加入から現在まで活躍し続けている、今なおグループに所属している1期生7人(※卒業を発表している高山一実ちゃん含む)の存在を何より祝福することである。

真夏キャプテンが就任から丸2年を迎えたこと等も含め、まだまだ1期生の皆さんには活躍してもらわないと困りますよお。

もちろん2期生、3期生、4期生、そしてまだ見ぬ5期生も。

愛。

以上。




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