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『少年と狼』を読む。

昨年秋にリリースした唄人羽の『少年と狼』というアルバムがある。片目のない少年と片足のない狼の物語。

8曲で完結するこの物語の中でも、特に私のお気に入りが5曲目の「遠吠え」という楽曲だ。

今回は、この「遠吠え」に焦点をあてて、、というか、ただただ「遠吠え」が好きだということを思う存分書くだけのnoteになると思う。かなり個人的な感想だったり、私なりの捉え方で書くので、そこらへんはご理解頂きたい。へぇ〜そんな聴き方もあるのか〜くらいで、いちファンの独り言だと思って優しい目で見てほしい。

さて。なにから書こうか、、
これを読んでくださってる方たちは、おそらくこの物語がどんな話か既にご存知の方が多いだろうけど、、ざっくり説明すると、

1.ネモフィラの森
少年との出会いを狼の目線で描かれた曲
2.悪魔の少年
狼との出会いを少年の目線で描かれた曲
3.ぬくもりの日々
意気投合した少年と狼の幸せな日々
4.狼煙
狩人に見つかり狙われる少年と狼
5.遠吠え
少年は狩人に捕まり牢獄に入れられる
6.最期の銃声
少年の仇をとろうとする狼  狼vs狩人
7.眼差し
狼は崖から落ちたという噂を聞いた少年
狼を想う少年の心が描かれた一曲
8.銀翼の狼
老人となった少年が命尽きるときに狼にまた出会う

かなりざっくりすぎて怒られそうだけど、こんな感じ。そして個人的には「遠吠え」という言葉が、この物語の中で少年と狼を繋ぐキーワードになっていると思う。

というのも、この言葉は「遠吠え」という楽曲以外でも使われていて、例えば2曲目の「悪魔の少年」では、、

気づくと独り言にメロディを乗せていた
不思議な感じがした自分の声の音に
さまよう森の中で独り唄を歌った
まるで泣き声のように...遠吠えのように...

「悪魔の少年」

その見た目から人目を避けて孤独に生きてきた少年は、唄を歌うことを覚える。絶望に打ちひしがれる少年の歌声は、まるで「遠吠え」のようで、その歌声に導かれるように狼が現れる。これが少年と狼の出会いなのだ。個人的には「泣き声」と「鳴き声(=遠吠え)」がリンクしてるのでは?と勝手に思ってる。

4曲目の「狼煙」では、そんな少年の歌声と狼の遠吠えが「歌い合う」と表現されている。

狼の背に乗った少年は揺れながらそっと口ずさむ
月夜を灯す歌...遠吠えひびく...二人は歌い合う

「狼煙」

意気投合した少年と狼。しかし、狩人に見つかり狙われる。狩人との因縁、逃げる少年と狼、ヒリヒリしたこの曲の中で、ここの歌詞だけは、一瞬だけど、なんだかあたたかい気持ちになる。

そして5曲目の「遠吠え」。
少年に銃弾が当たらないよう自分が囮となり背に乗る少年を振り落とした狼。しかし結果的に、少年は狩人に捕まって牢獄に入れられてしまう。

鎖に繋がれ囚われてる少年の心を支えてたのは
月夜に響く遠吠えが君の声だと知っていたから

「遠吠え」

あぁ、、ダメだ。
文字だけでも泣きそうだ。

独りで生きてきた少年は狼と出会い、唯一心を許す狼と幸せな日々を送っていた(3曲目の「ぬくもりの日々」に、二人のじゃれあう様子が描かれている)。しかし狩人に捕まり、離れ離れになってしまった少年と狼。孤独な牢獄の中で聞こえた「遠吠え」が《狼は生きている》という希望に繋がったはず、、

ここで6曲目の「最期の銃声」の歌詞にも注目してほしい。

力を失った少年を縛り
狩人は城へと引きずってゆく
二人を狼はじっと見つめ
崖の上から月夜に吠えた

少年に届くように...無事を知らせるように

「最期の銃声」

狼もまた少年を想っていた。自分は無事だと知らせる「遠吠え」がきっと少年に届くと信じて。この5曲目と6曲目で離れ離れの少年と狼が「遠吠え」によって心を交わしているように描かれている。

さて、5曲目の「遠吠え」の話に戻る。
後半の歌詞にも注目してほしい。

二年が経ち、少年は解放される。
街中の冷たい視線を浴びながら、狼と出会った森へと足を進める。あのとき狩人から逃げ切った狼がいるかもしれないという僅かな希望を持って。しかし、二人で過ごした湖に狼はいなかった。少年は、また独りになってしまったのだ。

堪えきれず君の名を叫ぶ...しわがれた声...ふらついて転びながら...
まるで遠吠えのように響く...泣き声が...

「遠吠え」

もう号泣。
精神的にも体力的にも限界であろう少年が最後の力を振り絞って、一縷の望みにかけて辿り着いた湖に狼はいなかった。「堪えきれず」にその絶望の全てが詰まっているようで、感情が爆発する。
さらに、このあと7曲目の「眼差し」には狼の名前が出てくる。アルバムを2度3度と聴くと、このシーンで狼の名前を叫ぶ少年の姿が鮮明に浮かび、さらに涙をさそう。

少し遡って少年と狼の出会いのシーンを思い出してほしい。そう、なんだか歌詞の構成が2曲目の「悪魔の少年」の「遠吠え」と似ている気がする。2曲目では悲しい“歌声”が「遠吠え」のようだったという比喩表現。ここでも同じ比喩表現として使われているが悲しい“泣き声”だ。「歌声」は「泣き声」に変わってしまった。そして「悲しみ」の感情にも変化がある。少年の孤独の悲しみではなく、狼を失った悲しみだ。少年にとっていかに狼の存在が大きかったか、失った悲しみが大きかったか、より二人の絆は強かったのであろうと想像してしまう。

そしてラストの「銀翼の狼」。

瞳を閉じるとほら今でもまだ記憶は銀翼の狼へ
どこかで響く遠吠えに君の名を呼び続けてる

「銀翼の狼」

狼を探し続けた少年も老人となってしまった。
それでもまだ記憶の中で生きている狼。
これまでの二人の物語を思い返しながら、少年の狼に対する愛情が強く現れている歌詞に胸が熱くなる。

そしてこの「銀翼の狼」には、私の最大の胸熱ポイントがあるので是非とも紹介したい。

やがてその左目も年老いて光を失ってゆく...
人々がほら「唄い人が来たよ」と集まり笑ってくれる
友よ...君と寄り添ってた暗闇は今こんなにも眩しい

「銀翼の狼」

もともと見えない右目に加えて、左目も見えにくくなってしまう。それを「光を失ってゆく」という表現にしているのだけど、その後の歌詞に「眩しい」とあるのだ。もちろんこの「眩しい」は単純に「光が強すぎて真っ直ぐに見れない」という意味より、「あまりにも美しくてまともに見れない」というような意味合いで使われている気がする。しかし、「眩しい」を「光を失う」と一緒に使っているところが、なかなかハイセンスだなと思うのだ。

狼と出会ったことで心は晴れたと思っていたけど、波乱万丈な日々は少年にとって「暗闇」だったのかもしれない。そして狼を失った少年は街中で唄を歌い始める。狼を想い、狼に贈る唄だ。それは街の人々の心を変えていく。少年は人々に受け入れられ、その歌で讃えられるほどの存在となったのだ。いつしか、少年の周りには人々が集まり、笑顔をも生みだす。それはきっと「悪魔の子」と呼ばれ嫌われていた少年にとっては「眩しい」ほどの景色だったのだろう。

初めて聴いたとき、「ここは《明るい》じゃないんだ」と思った。私にとって、ちょっとした違和感?のような感じだった。でもこうして考えてみると、やはりここは「眩しい」という言葉が最適なんだろうと思う。さすがだ。

それに加えて、この「眩しい」の歌い方の優しいこと。まるで狼に語りかけているようにも聴こえる。直前のほんの少しの間も絶妙だ。さらに、その後の光が差し込むような、まさに「眩しい」メロディが毎回のように涙を誘う。

なんだかんだでアルバムの好きなところを書いただけになってしまった。いや、、「銀翼の狼」の「おそいよ」の一言で涙腺崩壊してしまうこととか、「風が撫でる」とか「日々を拾う」とかの表現が好きだとか、青いネモフィラの花言葉のこととか。まだまだ書きたいことはあるけど、上手くまとまりそうにないので止めておく。笑

もちろん私個人の見解なので、本人は全然そんなつもりで書いたんじゃないというところもあるかもしれない。偶然かもしれないし必然かもしれない。深読みしすぎかな、、と思うところも多々あるけど、聴けば聴くほど深読みしたくなる物語なのだ。その行間にさえも数々の物語があるような気がする作品なのだ。きっと描ききれなかったところや描かなかったところも、たくさんあるのだろう。実際、「少年の生い立ち」を描いた『エピソード0』が昨年末のライブで披露されている。また本人も「他にストーリーがある」というようなことを言っている。たとえ私の知らないアナザーストーリーがあったとしても、それが私の描いたものと違っていたとしても、きっと今以上にこの作品が好きになるだけだろう。きっと今以上にアルバムを聴き込んで更に深読みしてしまうだろう。

100万人が1回しか聴かない音楽より
1人が100万回聴いてくれる音楽がいい

よく口にしていた言葉をふと思い出す。
まさに、そんなアルバムだと思う。

「音楽」として聴いていると、どうしてもメロディと一緒に流れるように聴いてしまう(もちろん、そのおかげで物語がすんなり入ってくるのは事実だ)。それでも十分に魅力的な作品だということはわかる。だからこそ是非とも、「物語」としての『少年と狼』も、じっくり味わってほしい(やはり今回は特にブックレットの存在が大きいと改めて実感している)。きっとそれぞれの心の中に自分だけの「少年と狼」が描かれると思うし、より一層、メロディと歌声が心に響くはず。

10年後20年後に聴いたとき、もしかしたら別の見方が出てくるかもしれない。それはそれで楽しみだ。

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