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国際女性デーに考える

国際女性デーの今日、私はコロナの濃厚接触者になってしまった娘を家で見ながら仕事をしていた。娘はまだ3歳。「会議中だから静かにしてね」と言っても、もちろん理解はできない。私は集中しきれない頭で、画面オフのまま会議に参加をした。

今日のGoogleのトップページにはこんなリンクが貼ってあった。「#未来に残さない偏見」。うんうん。偏見が特定の人々を生きずらくする側面はあるし、もちろん改善した方がいいだろう。でも、30代女性の私の立場で世の中を見ると、問題は偏見というよりは、具体的な解決策のなさにあるような気がする。

私のこれまでの人生を振り返ると、「女性だから」「女性なのに」という偏見で苦しめられた記憶はない。私は文系だったけど、同じ高校の理系クラスには男性と同じくらい女性がいたし、会社に入ってからも女性だからと簡単な仕事を振られる、ということはなかった。もちろん、女性だからと評価を下げられたこともない。世界を見渡すと、まだまだ男女差別が残っている国や地域はあると思うが、日本の標準的な家庭で育った私の体感としてはあまり偏見を肌で感じることはなかった。

ただ、子供を産んでからは風景が変わった。今までと同じように働きたいと思っても、育児があるため時間の制約がある。コロナが流行してからはさらに大変で、予期せず発生する休校、休園のたびに在宅勤務 with 子供の状況になり、パフォーマンスはさらに低下。明日、どのくらいの仕事量をこなせるか分からない日々が続く中で自信がなくなり、仕事へのモチベーションも落ちていった。

「夫ともっと分担しては?」と思われるだろう。私ももちろんそうしたい。そして、夫も「家事・育児は女の仕事」という偏見があるわけではなく、平等に分担したい、と言う。ただ、会社の仕事が忙しすぎるということだ。(実際に忙しそうではある)。この状況の中で「家事育児は女の仕事という偏見をなくそう!」というスローガンを掲げることは本当に有効なことなんだろうか?

私はむしろ、具体的な解決策が欲しい。私は、家事育児を女性である私が多めに担うことは嫌ではない。夫のように、子供をみる時間もないような生活は味気ないだろうなと感じる。ただ、仕事もやりがいを持ってやりたいという思いも同時にある。単純にこの理想を叶える具体策が欲しいだけなのだ。それはどうしたら可能になるだろう?

仕事に関しては、平日は8時間の勤務時間が保証されれば、仕事の見通しを立てやすく、気持ちも維持しやすいだろうと思う。今の会社では子供の世話に当てられる休暇があるが、「忙しかったら休んでいいよ」という消極的な選択肢より、「働きたかったら、1時間後にベビーシッター手配するよ」のような働きたい気持ちに寄り添う選択肢が欲しい。あるいは、企業側でその負担ができないのであれば、地域のコミュニティの中で困った時には支え合うような関係性を模索するのもいいだろう。

また今、私の会社は女性管理職を増やそうという動きがあるが、「管理職=男性」という認識を反転させて「管理職=女性」を増やそうとするのは安易な考えだと思う。管理職の働き方が見直されないまま、もし「育児も頑張りたい」という女性を管理職にしたら、その女性は育児をやっていない管理職よりもずっと大変な思いをするだろう。今は、そのような「どんなに大変でも上に行きたい」というアグレッシブな女性が管理職に選ばれているように思うが、「管理職」を絶対視しないキャリアの築き方を模索してもいい。

人がどのように働きたいか、生きたいか、にはグラデーションがある。「家事育児は女性の仕事」「女性に学歴は必要ない」といった考えをなくすことが大事というよりも、それぞれの人の思いは単一ではないということを理解し、それぞれの思いが実現できる社会、制度、地域などのあり方を想像し、作り出していくことが、女性活躍という意味でも大事だし、女性だけでなくあらゆる人が幸せに生きられる社会のあり方ではないかと思う。

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