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クリエイティブの可能性

メディアなどでたくさん見かける GOの三浦さん。広告業界の人だと思っていたが、以下のポストを見て印象が変わった。

今日のいわゆる広告におけるクリエイティブの最終目標は明確だ。商品が売れるか、売れないかだ。広告賞などでの評価もあるのだろうが、お金を出している企業側からすると、商品を売るために広告をしているのである。商品が売れなければ、その企業内で本当の意味で認められることはないだろう。

ただ、「モノを売る」ことに対する徒労感があることも確かだ。以下の山口周さんのインタビューにもあるが、消費とは破壊の一種であるという感覚が拭えず、広告がそこに加担してしまうことに対して倫理的な違和感を感じる。

しかし、「広告=モノを売るための手段」という捉え方から「クリエイティブ=より良い未来を作り出すための手段」という次元に到達できれば、この閉塞感も打破できるのかもしれない。

ただその際にはクリエイティブ業界が食べていく手段として、いわゆる企業のマーケティング費用や広告宣伝費をあてにするのはやめた方がいいだろう。それらの予算が明確に「よりモノを売るため」に用意されている以上、そのお金を使うという時点で、アウトプットが大きく制限される。「本当にこの商品を作る必要はあるか?」と問い直す自由さは担保されないと、「より良い未来を作る」というゴールに対してクリエイティブの力は発揮されないだろう。(それはいわゆる「アート」の領域であればある程度担保されているものだ。いわゆるアーティストは、代理店のような大企業に雇われていない分、収入は不安定であるものの表現の自由さは比較的担保されているケースが多い。)

ビジネスとバランスを取りながら、いかにクリエイティブの力でより良い未来が作れるのか。それはとても興味深いテーマだし、これからも考えていきたいと思う。

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