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人間関係の"関係性"のトコロ

これは1年半前の日記。

この日記を書いた後の2023年度の期間は、「関係性」について考えさせられることや、意識して構築していく体験が多かった。 

自分の立場や役割というものを考えて、行動や発言を決めていく。ということ。

新卒の時は本当に立場や役割というものがフワッとした認識しかなく、感覚的にわからなかった。取り敢えずそれっぽくやってみるものの、表層的にしか掴めてない言動によって何度も壁にぶつかった。
ここ数年でちょっとずつ積み上げてきたけれど、2023年度は仕事とプライベートの境が曖昧に過ごしていたので特に意識をする場面が多かった。
慣れないことに頭が爆発しそうになりながら、それでも必要なことだったので手探りで頑張ってたなぁ。

関係性がなかった僕達は、何かしらの関係性を持ち名前を呼ばれることによって初めて顔をもつことが出来る。ただ、そんな仰々しい拘束は窮屈だ。友達とか、恋人とか、家族とかそういう関係性を超えた所に、ただそこにいる”あなた”として現れてくる。そういう場所で人と人は初めて出逢いなおせるのだと思う。

上記ブログより

役割や立場が出逢いと共にある時(仕事など)は、その枠から抜け出す事が苦手だし、役割や立場を取っ払って考えるとそれらを全うすることが難しくなる。この問題がずっと引っ掛かり、スムーズに社会生活が送れなかった。

仕事上だけでなくプライベートにも「立場と役割」の概念を当てはめ意識しながら過ごす。という経験を1年間してみて思ったことは、
過剰適応させるのはしんどいなぁ…ということと、関係性を能動的調整するには必須なのだなぁ…ということ。

私が望んでることは、「街中でベンチに座ってるその人に「今日の調子はどう?」と話した時にただその人として応えてくれたら他人との関わりとしてはそれで満足だ。ただありのまま佇んでいるところ、他者としてただ生きてるところを、そばでみさせて欲しい」と思った時から、なにも変わらない。

(仕事などで)役割が必要な時はやればいいが、プライベートでも役割が常にあるのはしんどい。関係性を調整する道具としての「立場や役割」も、多くの人がプライベートでも意識してるのだなと知れたと同時にその渦中にはいたくないなと思った。


考えるのがしんどい、というのもあるし
流れに身を任せたい、というのもあるが
一番はただ佇んでるところをみたいだけなんだよなという事。

それ以上もそれ以下も求めていない。
初対面で色んな人と仲良くなるのが得意でも、関係性を維持するのなんか苦手やな〜〜という原因も腑に落ちた。

関係性がどうであるか、どうしていきたいか、ということがそもそも興味がないのだ。"関係性"を立場や役割というものから切り離したいんだ。


そんな事に気付いた。



追記.
それでも、関係性でしか繋がれない僕たちは。というタイトルもそうだよなぁ…。と思っている。
どう越えていこうかな。ずっと出会い直したい。創り続けて壊し続ける、流動し続ける、みたいな形以外にないかな。


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