「頭がいい」って結局さ、

こんにちは、タイトルの割にあんまり頭は良くない渡海です。

突然何を言い出すんだコイツはと、ヤバめの塾のセールス文句か何かかと、お思いの方もいらっしゃるかもしれません。

でもどうにも思ってしまったので、とりあえずここに書き記しておきます。

突然ながら僕はクイズが好きです。

テレビで特に観るものがないなと思ったらクイズ番組を探しますし、YouTubeでゲーム実況ばかり見てる中で唯一まともに好きと言えるYouTuberもQuizKnockの皆さんです。

QuizKnockの皆さんは高学歴で、クイズに用いる知識は、小中高、さらには大学まで学んできたものへの、いわば『プラスアルファ』でありましょうが、かく言う僕はあまり勉強が得意ではありません。

学校で勉強したことはさほど覚えていませんし(苦手科目は尚更)、得意な方であるはずの現代文や古典などでさえ、一歩「お勉強」に寄って文法的な話をされると頭痛がしてくる始末です。

ですがその割に、わたくし渡海悠、クイズはちょっと得意なんです。

これを整理すると「学校の勉強は苦手だったけど、難問や雑学になら対応できるよ!」ということなんですが、だとすると、「知識」って何なんでしょう。「頭がいい」って、一体どういうことなんでしょう。

学校のテストでいい点取れればそれ即ち「頭がいい」のでしょうか?

それとも、他の人が知らないことをたくさん知ってたら、それこそを「頭がいい」と言うのでしょうか?

僕はいわば『プラスアルファ』ばかりに手を伸ばして基礎をおろそかにしている人間です。これは多分、「頭がいい人」なのではなく、「頭がいい人に話を合わせられるだけの、結局のところ普通の人」なんだと思います。

基礎知識があるということは、説明のレベルを、敷居を下げて、伝わる相手を多くできるということです。もちろん実際のところは、知識量だけあって説明が下手な人というのもそれなりの数いるのですが。

「木は本(もと)から」とか、「砂上の楼閣」とか。ことわざや慣用句にも、基礎の重要さを説くものは多く存在します。

説明を求められたとき、「何がわからないのかわからない」とか「どう説明したらいいのかわからない」とかなったら、もったいないですよね。

本当の意味で「頭がいい」人というのは、多分知識のレベルで自分に及ばない人を置いてけぼりにしない人のことなんだろうなと思います。多くを知っているだけではどうにもならないんですね。

でも、ということはですよ。僕の思う「頭のいい人」って、才能とか学歴とかで決まるものじゃないとも言えるわけで。

だって、何事にしてもだいたいは「わからない」から始まる。

それをきちんと埋めて、そこからさらに積み上げて。言うは易しというだけかもしれないけれど、それだけができれば、誰かの「わからない」に寄り添ってあげられる。

だって、その「わからない」は、過去の自分の「わからない」と同じかもしれないから。だから自分の「わからない」が「わかった」に変わった流れを教えてあげられる。置いてけぼりにしなくて済む。

それが「頭のいい人」なら、きっと誰でもなれるでしょ?

・・・と、ここまで言っときながら自分が有口無行では世話ないので、僕も為すべきはきちんと為していこうと思います。

このご時世、幸か不幸か時間はたっぷりあります。僕も皆さんも、この機に色んな「わからない」を「わかった」に変えて、「頭のいい人」を目指してみませんか?

2020年4月22日、未だに片付いてない炬燵の中で。渡海悠

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