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国立国際美術館『インポッシブル・アーキテクチャー』・建築家達が求めた「夢」を観る

美術館で開催される展覧会と言えば、絵画や彫刻、オブジェなど「アート」と呼ばれるものが展示されるが、時には全く異なるもの、一見アートとはかけ離れたように思えるものも「美術作品」として展示されることもある。

現在、国立国際美術館で開催中の展覧会では、そんな「作品」が展示されている。

国立国際美術館『インポッシブル・アーキテクチャー』

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ここにあるのは全て「建築」、中でも「実現されなかった建築物」の構想図や図面、3DCGで作られた映像などが展示されている。それらを観ることで、作られた当時・もしくは現在の建築家達が求めた「夢」は何だったのか?を感じ取る。

時代を超越する建造物の数々

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ここに展示された建築物は、塔・橋・ホールといったものから、東京都庁ビルの新築案として構想されたもの、東京オリンピックの新国立競技場で廃案になったザハ・ハディッド氏の初期デザイン、1つの建造物にとどまらず、東京湾に巨大な塔を打ち立てて居住や施設を作る構想など、都市一帯の改革案といって大規模なものまで、どれも大胆かつ革新的なものばかり。
例えば、

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写真の建造物は、ロシアで計画された『第三インターナショナル記念塔』。当時の構想を元にCGで再現したもので、会場では模型と動画などで、中の構造まで観ることができる。

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外枠は、斜めに掲げられた支柱と、らせん形の骨組みによって構成される。その中にある立方体やピラミッド型の建造物が、会議場などの施設となる。
一定の法則に従った直線と曲線が混じり合いながら上を目指す、まるで天に存在する太陽を指差しているかのような外観と、その中に大きな存在感を見せる物体の数々。しかも、その高さは400メートルという、現在の東京スカイツリーより高いものが構想されていた。
もう、これは塔というより巨大なアートのオブジェを観るようで、美術館でこのような展覧会が行われるのも「建造物は『作品』である」ことを主張するようでもある。

この塔について、美術館・アート情報のWebマガジン『artscape』などで記載されているが、

「第三インターナショナル記念塔」ウラジーミル・タトリン

それによると、塔が構想されたのは1919年。その時代に、あまりに大胆かつ特徴的なフォルムの建造物が構想されていたことに驚かされる。

他にも、私達にとって記憶に新しい、東京オリンピックの新国立競技場で廃案になった、ザハ・ハディッド氏の初期デザインも、模型や映像、図面の一部が公開されていた。

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画像引用元:日本スポーツ振興センターサイト内、新国立競技場 国際デザインコンクール受賞ページより

これらを含め、場所も日本、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、ドイツなど、世界各国様々だ。

IMPOSSIBLE?…No.

でもそれらは全て、実際に建築物として造られていない。ということは、

実現しなかった=現実的ではなかったのか?

その答えは、展覧会のポスターに描かれている。

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展覧会のポスターには「IMPOSSIBLE(不可能)」に字消し線が引かれている。主催側の意図として「実現しなかったが不可能ではない」を表現するものと思われるが、それが展覧会の全てを物語っている。

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展示物の一つ。安藤忠雄氏が考案した、中之島の中央公会堂に巨大な卵形のホールを入れてしまうという案では、過去の建築物を残しつつ新しいものを創ろうとする意図が見える。

また、ザハ氏の新国立競技場デザインは、当初から報道などで散々なことを言われたが、建築物としては工期が短縮できる形状や建築部材など様々なものを考慮しつくし、その中で曲線を主体としたデザインを盛り込むなど、現実的に可能だったことが解説されている。
つまり、どの建造物も、

過去のものや人と調和し、かつ先進的なものを目指していた

ことが見える。
それらが実現されなかった理由は、当時の技術的な問題や、他の案が採用された、革新的すぎたなど様々。中でも新国立競技場は、建築費の高騰などが問題視された末に廃案になった、そもそも選考に問題があったなど様々な話が報道されたが、これもまさに一例と言える。

そんな、時代を超越するような構想の数々に驚かされると共に、アートとはまた別のものを、建築物を別の視点で「観る」ことができる、そんな展覧会だった。

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