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書いて話すということ

人前で話をすると、緊張のあまり自分でも何を言ってるかよくわからなくなることが多かった。

苦手なことなのに、なぜかそういう機会に出くわすことが多い。
例えば子どもの授業参観の後の懇談会。
「最近のお子さんのご様子を教えてください。」とか、「この1年でお子さんが成長したな、と感じることを教えてください。」など。

毎日見てる我が子のことなのに、しどろもどろになってしまう。
毎回こうなので、もう少しマシな状態にしたいなと思うようになった。

とはいえ、頭の中で考えているだけでは形を成さない。考えをまとめる練習、つまり書く練習をした方が良いだろうという考えに至った。

ちょうどその頃ラジオを聴き始めていて、番組にメールでメッセージを送ったり、Twitterにツイートをし始めていた。もちろん、メッセージが採用されて欲しいという願望があったが、これこそ書くためのトレーニングになるんじゃないかと考えた。

以来、ほぼ毎日何かしらの文章を書いてきた。
メッセージは送る前に、パーソナリティーが読みにくくないか、意味が通じるかをチェックするために、軽く読み上げてから送った。

書くこと、読むことを繰り返しているうちに、段々と人前で話すことが苦手ではなくなってきた。
咄嗟に振られても、緊張はするけれど言いたいことの6割くらいは言えるようになってきた。

そこで気づいたことがある。
そもそも、自分の中で話がまとまってなければ、声に出しては言えないのである。

冒頭に上げたように、子どもの学校のクラス懇談会のときに、
「最近のお子さんのご様子を教えてください。」とか、「この1年でお子さんが成長したな、と感じることを教えてください。」と振られても、少なくとも私にとっては、急なことなので、咄嗟に言えなくて当然なのである。

ここで、「少なくとも私にとっては」と書いたのは、毎回聞かれることがほぼ決まってるのに直前になるまで、そのことをすっかり忘れてしまっているからである。

聞かれることは、おおよそ検討がつくなら、あらかじめ要点をまとめておけばいいし、可能ならメモに書いておくといい。
もし、その場で急に話すことになったら、自分の番が来るまでに他の人の話を聞きながら、自分の話すことを考えるとさほど焦らないで済む。

いま書いたことはとても当たり前のことではあるが、メッセージを送るタイプのラジオリスナーになってから、自分が変化したこと、成長したことだ。
実感しないと分からないことってあるなと思う。




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