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横谷宣写真展「黙想録」を見て

時間を浪費してしまった

 まず、私なりの結論を述べますと、わざわざ見に行って時間を無駄にしてしまったというのが正直なところです。ただ、あまりに理解不能、意味不明であることが突き抜けているので、珍しい写真展を見た思いはありますが、果たして展示された作品群が写真と呼べるものなのかを含め、どこに芸術を感じれば良いのか、凡人である私には見いだすことが出来ませんでした。

写真は本来、説明なしで鑑賞できるもの

 芸術写真は、絵画と同じく視覚芸術に分類されるべきものだと思います。言葉による説明を省いても、ただ写真を見るだけで、人の心を動かすものが視覚芸術じゃないでしょうか。言葉に頼らないからこそ、言語の違いを超え世界万国の人たちに共通する「感動」を伝えられるものでしょう。ですから私は、まず一切の説明を読まずに作品を見ました。

これが写真か、なぜ写真なのか

 展示された作品群は、どれも不鮮明な写真ばかりでした。こういう表現をするのなら、写真よりも絵画の方が適しているのではないかということが、私が思い浮かべた最初の疑問点でした。
 逆パターンで、細密画を見て、これほど鮮明な描写をするのなら、なんで写真じゃイケナイのかと思うことがあります。
 それは説明を読めば、作者の意図が書かれているのでしょうが、先述したとおり、視覚芸術は言葉を用いずに鑑賞し、しかるのちに説明を読むことが望ましいと思うので、ひとまず疑問は脇に置いて、順路を進みました。

流れもなければ、繋がりもない

 写真には番号が付してあって、その順番に従って鑑賞していったところ、前後の写真に繋がりを感じないし、展示の始まり、見せ場、終わりといった流れも感じられませんでした。普通、写真展は順路に従って見るものなので並び順に意味を持たせないのは「写真家の表現としてどうなのよ」と、正直そう思いました。

写真人生もコミでの芸術か?

 ひととおり見終えてから、パネル展示のテキストを読みました。自作したレンズで撮影していること、自家製印画紙にプリントしていることにより、不鮮明な「描写」をしていることがわかりました。
 どう撮ったか、どう焼いたかはわかったけれど、それが芸術なのだということは理解不能でした。
 こんな不鮮明な写真を撮るために世界各地を放浪したというストーリーもテキストに書いてありましたが、おそらく、そういった撮り手の写真人生をコミにして「芸術」なのだろうと、見当がつきました。しかし……

まずは写真だけで唸らせてみやがれ

 写真が視覚芸術であるかぎり、テキストの内容は副次的なものに過ぎず、バックストーリーを盛り込まないと成立しないような展示を「写真展」だと称するのはカテゴリーが違うんじゃないかと思いました。
 最初に展示を一巡したとき、写真の力だけで唸らされるような、そういう写真展を期待していましたから。アマチュアの個展じゃあるまいに、流れも繋がりもなく、意味不明な並び方をした写真を何十枚も見て、あまりに理解不能だからテキストを読んだというのが正直なところです。テキストを読むことで、表現の狙いが「心理の内面に浮かびあがる映像」を、印画紙の上に再現しようとするものだとわかりました。それは成功していて、うなされて見る悪夢の一場面みたいな、そういう不鮮明さなんですよね。
 ただし、写真家として、あるいは写真作家と括られる人かもしれませんが「まずは写真で勝負しろ、テキストはオマケだ」という思いになりました。

車輪の再発明じゃないの?

 あえて不鮮明な写真を芸術として送り出すという試みを、もう半生かけてやってこられたそうですが「ソレって車輪の再発明じゃないの?」と思ってしまうことがあります。
 レンズを自作したり、自家製印画紙を使ったり、あえて不鮮明になるよう独自に工夫しているのはわかりましたが、どうして過去の写真技法を用いることを考えなかったのかが疑問です。
 銀盤写真まで遡ると露光時間が長くてやってられないでしょうけれども、組み立て暗室を担いでいって、現場でガラス湿板をつくって撮影するのなら現代でもやってる人がいます。
 誰かと同じ手段は使いたくないということなのかなぁ。
 しかし、独自に編み出した技法は、デジタル化の影響により感光剤が入手困難となり、継続を断念したそうです。そういう儚さも含めて「芸術」だと言いたいのかもしれませんが、私としては「写真家は写真だけで勝負しろ」と言いたいです。

無駄を無駄でなくすために

 そういうわけで、私の感想は「時間の無駄でした」ということですけれど無駄を無駄にしないのがモットーの私なので、noteのネタにした次第です。

追記

 私は写真と文章で綴る「フォトストーリー」を制作し、このnoteにおいて公開しております。まったくテキストに頼り切った作品であるため、これを「写真集」とは申しません。また、視覚芸術の範疇に入らず、むしろ文芸に近いものと認識しております。

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