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旧東独SONNAR200/2.8

亡き国にて造られたる望遠

 第二次大戦に敗北したドイツは東西に分割されました。カメラやレンズのブランド「カール・ツァイス」もまた東西に分裂し、旧東独からペンタコン人民公社の製品がZEISS JENA DDRのブランド名で西側に輸出されました。

 一時期は「東のツァイス」で生まれたプラクチカというカメラで採用した捩じ込み式のM42マウントが事実上の世界標準となっておりました。当時は西側のカメラに共産圏のレンズをアダプタなしでつけられるので、たいへん面白い組み合わせを愉しむことが出来ました。

 その後、カメラの露出自動制御のためカメラとレンズでデータを交換する仕組みが必要になると、カメラ各社は独自のレンズマウントを採用しはじめ世界標準だったM42マウントは衰退してしまいました。

 いま私は、Pentax K-1にアダプタを介してM42マウントのレンズをつけておりますが、オールドレンズの味わいをデジタルで堪能できるのは、とても嬉しいことであります。

 今回、新宿御苑で旧東独ペンタコン人民公社製造のSONNAR200mm/2.8で撮ってきた写真を御披露します。

2024年5月撮影

不快な話です

 ここから先は、かなり長く、そして不快な話になります。

 読みたくなければ、どうぞ、ここから引き返してください。他人の悪口が大好物だという人にはオススメいたします。

 この春、ほぼ20年ぶりに再会した人がいます。

 私が虎の穴みたいな講座に参加した2003年に、講座の母体となったtenten撮影会との縁が始まりました。主催はアラジン先生こと荒木英仁という人で大昔に酒井法子の写真集を撮っていて、アマチュア写真家の中でカリスマ的存在でもありました。何人かのアマチュアを招いて、フォトアラジンという勉強会を開催していて、一般の撮影会参加者には許さなかったスタジオでの飲食を、フォトアラジン開催時には許すという、特別扱いがありました。

 tenten撮影会の拠点はアラジン先生の所有するスタジオでしたから、随分自由な運営が出来ました。撮影会参加者がスタジオに長く滞留して写真談義するのが愉しかったのは強く印象に残っています。

 再会した人とは、当時、tenten撮影会が本拠地としていたスタジオに勤務していた、入江という人です。

 私は、講座の講師である岡克己先生との御縁から、講座の母体であったtenten撮影会と関わるようになりました。私は「虎の穴みたいな講座」と、勝手に呼んでいるけれど、正式名称はtentenファームでした。その名称からフォトアラジンが一軍で、ファームは二軍だと思い込んだ連中が、エリート意識を剥き出しにしてファーム受講者を見下していたものでした。

 そんななかでファーム受講者として仲間入りした私は外様扱いだったし、ずっとイジメの対象にされてきました。当時はSNSが普及する前で、掲示板というものでコミュニケーションを図っていたのですが、誰でも見ることが出来る公然の場で、理不尽な言いがかりをつけられたりしたものです。

 ことにファームで教えていた「組写真」に対する蔑視は、甚だしいものがありました。

 写真は一番良いのが一枚だけあれば良い。組んで表現する意味は無い。

 ということでしたが、私からすれば、それは新しいことを勉強したくない怠惰な人が、そう言って、勉強することを拒もうとしているとしか思えないことでした。大いに反論したかったです。

 その頃の私は、老父の介護をしていたので、なにかトラブルでも起こして警察に留置される事態ともなれば、老父が死んでしまうと思っていたので、あらゆることを辛抱しておりました。そういうことでサンドバッグに適した存在だと私のことを考えられていたように思います。

  私がtentenファームで皆勤賞を獲得したあたりで老父が死去して、身軽になった私は写真の道への傾倒を深めました。たまたま群馬県高崎市にあった呉服店の写場で専属カメラマンが長期入院することになり、アラジン先生が何人か交替でカメラマン代理を送り込んだことがありました。

 私は交替要員の一人となり、何度か高崎への日帰り出張(キツかった)を経験しました。おそらくですが、写真の腕前で選ばれたのではありません。私は当時、まったく撮影未経験の被写体さんを多く撮っていたので、素人の扱いに慣れていたからだろうと思われます。成人式の前撮りなどでは、家族一同が揃っての集合写真を撮ることもありますが、みなさんが自然と笑顔になるなかで、一人だけ「笑ったら損だ」みたいな仏頂面をしている爺さまをなんとかして笑わせることが望ましいのです。

 フォトアラジンのメンバーからは
「なんでアイツが」
 と、囁かれていたし、
「自分にもやれます」
 と、図々しく名乗り出るヤツもいましたが、やれるものではありません。それをアラジン先生は見抜いていて、やれそうな私に声をかけたのだろうと思っております。

 また、tenten撮影会の一部門であるtentenフォトハイクの運営を任された時期もありました。

 かたじけなくも、ファームが二軍であると見下した連中を見返してやれる機会を頂戴したわけですが、アラジン先生の不興を買って御役御免になってしまいます。そうなった事情は、後述します。

 そんな過去の私を知る入江さんが、かつてtenten撮影会に参加していた人たちが、細々と集まる場があるからと、メールで通知してきました。折しも tentenファームを20年ぶりに再開させようという話が持ち上がっていたので岡先生に協力できるなら呉越同舟で、針の筵に座っても良いと思いながら、その会合に出掛けました。

 ところが、集合場所に行っても、知った顔は誰もいません。入江さんには三度メールをだしましたが、すべて無視されました。

 やむなく三時間後の二次集合場所に待ち構えておりますと、私がいるのを不審そうにしながら、入江さんたち御一行が来ました。まあ、喧嘩するのも大人げないと思って、写真談義に入ったのですが……

 私は入江さんの「作品」を見たことがありません。いま撮りたての写真をカメラの液晶で見せてくれたことはあるけれど、ブログやインスタグラムをやっているとは聞かないし、グループ展に作品を出したという話も、一度も聞いたことがありません。

 私は、写真作品を人に見てもらって、それで完成だと思っていますので、このnoteを始める以前には、個人サイトを運営したり、厚かましくも商用の電子書籍サイトで写真集を有料で配信したり、ブログで写真を御披露したり常に人に見て貰うことを意識してきました。

 それだから私は、入江さんとの関係は不均衡だと思っています。

 そうした下地があってのこと、その集会で「薬師」 写真を組む124という近作を入江さんに見せたところ

「なんか表情が硬いなぁ」

 と、宣います。ええ、それはそうでしょう。撮った現場は病気平癒を願う参詣客が訪れる寺院なので、神妙な顔をしていて欲しいと指示を出しましたからね。それを言っても

「いや、そういう事ではなくて」

 と、私の言葉を遮って、私が撮り手だから、被写体の良い表情を引き出すことができないのだと、一方的に決めつけてきました。

 思い返せば20年前、フォトアラジンの自称エリートどもが、他人の写真に難癖をつけるために「表情が硬い」と、しょっちゅう言ってましたね。

 イチャモンつけるには便利な言葉です。

 画面の中で被写体が笑っていようが、はしゃいでいようが
「俺には目が笑ってないように見える」
 などと、根拠もなしに言えてしまえるマジックワードですよ。

 三つ子の魂百までというけれど、人間、よほどの反省がないかぎりたった20年くらいで変わるはずが無いのだなぁと思いましたよ。

 この記事を実名で書いているのには理由があります。

 tenten撮影会の掲示板が荒らされたり、大規模匿名掲示板で参加者を叩くスレッドが立ったりしたことがありました。

 そのとき私は老父が死んで身軽になった時期だったので、揉め事を起こす覚悟で、アラジン先生に意見しました。アラシの張本人が誰であるか見当はついていたし、その当人に問いただしても否定はしなかったので、この際、出入禁止などの強い措置をとるべきですと。

 それに対して、アラジン先生は
「そんなの気にする方がオカシイんだ」
 という方針でした。
 
 掲示板が荒れたことで撮影会サイトのアクセス数は急増しており、むしろ荒らし行為を歓迎するのだということでした。

 そのことをアラジン先生は、その場にいた入江さんにも意見をただして、入江さんから
「ボクも、気にする方がオカシイと思います」
 という言辞を引き出しました。

 さらには、アラジン先生のスタジオに出入りしていた写真家の横谷宣にも同様のことを言わしめたのでした。

 その結果かどうかはワカリマセンが、諫争した私がアラジン先生によって出入禁止の処分を受けたあと、そう長く続かずに撮影会は終わりました。

 名前を挙げた人たちは、そのように考えですから、私が、こんなところで文句をつけたところで、気にもなさらないことでしょう。遠慮はしません。

 私からするとtenten撮影会という愉しかった「場」は、アラジン先生自ら潰したようなものですし、それを助けたのは入江さんと、横谷氏です。

 入江さんと久々にジックリ話してみて感じたのは、tenten撮影会の悪しき部分だけを煮詰めたような後味の悪さでした。良い面も大いにあったから、数年間にわたってのめり込み、スタッフを引き受けるまでに至ったけれど、入江さんとの再会で、良くない部分だけを思い出させられたのでした。

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