どうして英語ってこんなに難しいの?: (12) 失われた古代英語の文字たち
さて英語の難しさのお話、今回で12回目です。
前回の11回目は、先週特に「スキ」を集めた#英語の記事に選ばれました。
読んで頂いてありがとうございました。
語学は筋トレであるという内容の記事。
英語を英語の正しい発音方式に則って英語を話すと、舌や口の周りの筋肉が筋肉痛気味になって、顎が痛い、舌が疲れたー、と感じるようになります。
そうなればしめたもの。あなたの英語発音は上達の過程にあること間違いなし。
頑張ってくださいね。個人差はあるにせよ、数週間から数か月で絶対に成果が出ます。筋肉は決して裏切りませんよ(でも日本語のマッスルメモリーを凌駕するくらいの努力をして英語舌を鍛えないで途中でやめてしまうと衰えます)!
英語の喋り方のコツというよりは、学び方の役に立つような内容、英語の学び方のヒントとなるような内容を日本語で書きたいなと続けているシリーズなのですが、わたしが何度も強調して書いていることは、
しかしながら、英語の場合は、書き言葉と話し言葉が乖離している現象を解消しようとした、日本明治の言文一致運動などとは別の問題でした。
歴史問題が諸悪の根源なのですが、英語の場合は、理由は二つ。
ドーヴァー海峡の向こうに居座っていたノルマン人のウィリアム征服王がフランス語をイングランドにもたらしたこと。
15世紀のグーテンベルク活版印刷の普及によって印刷物に英字が印刷されるようになり、不便だとされる言葉がどんどん省略されていった結果、たくさんあった文字が厳選されて、現在の26字に落ち着いたというもの。紛らわしかった Þ などはYに似た形に変形してゆき、その頃に消滅してしまいました。
書き言葉の洗練による利便性は、やがて英語の音素を残されたアルファベットだけでは正しく表記できないという問題を引き起こしました。少ない音で多くの音を代用しようとしたツケですね。
English is not a phonetic language.
英語のアルファベットが英語の音を表記できないのは、古代エジプトの表意文字をフェニキア人が改良したアルファベットが英語を話す人たちによって作られたものではないからということもありますが、実は現代英語の母体となる言語を話していた人たちは、現代の26文字のアルファベットよりもより良い表記方法を持っていたのです(私は個人的にはそう思います)。
下記の表によると、以下の6つの言葉が、11世紀から14世紀ごろまでの中世初期の古代英語には使用されていました。これらを使うと英語独特の不思議な音を見事に表記できます。
舌を噛むTHとか=ルーン文字起源の <Thorn or þorn (Þ, þ)>
曖昧母音のアとエ、オとエの中間音とか、
不可解極まるOUGHの書き分けとか、
長母音の正確な表記とか。
つまり英語においても、平仮名や片仮名に近い、発音そのままの表記を自前のアルファベットによってできたわけです。
しかしこの表は不完全。ロングエス Long S 、ウィン Wynn、ング ŋ などがこの表には含まれていません。
より正確には、現代英語から失われた古代英語文字の数は、9字または12字。
それぞれの文字におのおの面白い歴史と逸話がありますが、かつては英語もすべての音を正確に特別な文字によって表記しようとしていたということをこれらの失われた文字の存在から理解できます。
英語の理不尽さの極め付けは、フランスからウィリアム征服王がフランス語を英語に導入した混乱によって引き起こされた歴史の複雑さによるものですね。
1066年のウィリアム王によるヴァイキング成敗によるイングランド征服より、英語は複雑になるのです。
ウィリアム征服王は世界史の授業で習いましたよね?
英語の好きな方は是非とも、この辺の歴史を勉強されてください。
英語の勉強に非常に役立ちます。日本史でいうところの平安時代後期の始まり、藤原摂関家の勢力が衰えて、元天皇である上皇による院政が始まった頃のこと。
ヴァイキングのルーン文字
さて、フランス語が英語に混入する以前のこと。
中世ヨーロッパの海の支配者ヴァイキングの言葉のルーン文字というと、ファンタジーゲームなどを思い出されるかもしれませんが、ルーン文字のさまざまな文字は現代にも受け継がれていて、古代英語の時代には、立派な正統的英語の一部でした。叙事詩の「ベーオウルフ Beowulf」などはルーン文字入りの古代英語で綴られています。
表音文字ではない、外国語の音を表記する、国際発音記号 International Phonetic Alphabet (IPA) というものがありますが、発音記号に使用される多くの文字はルーン文字などの古代文字由来。
という文章。英語ネイティブスピーカーや英語の達人の方は、瞬時に以下のような記号に頭の中で置き換えて発声しているのです。もちろん無意識に。
ルーン文字由来の文字は、14世紀、15世紀ごろまでは英語の文献には普通の使用されていて、それらの中には19世紀、20世紀まで生き残っていたものもあります。
またフランス語の二重母音には合字というルーン文字そっくりのアルファベットがありますよね。でもこれはローマ由来のラテン文字。
OとEを合わせて、Œ, œ:発音は[œ]
AとEを合わせて、Æ, æ:発音は[ɛː]
これが英語に含まれるようになったのは、ウィリアム王のイングランド制覇以降のこと。
ドイツ語ではウムラウト表記して、ラテン文字26文字では表現できない音を言い表します。
フランス語はアクセント記号を付けることで、フランス語特有の音を表現します。
ヨーロッパの言葉には、ギリシア文字由来のロシア語のキリル文字も知られています。アルファαとベータβのギリシア語を語源とするアルファベット、いろんなヴァリエーションがあるのです。
失われた日本語の文字
日本語でも語源に基づいた正しい表記のために、同じ音でも、いまでは失われた別のひらがなを利用して、正しい意味を書き表したりもしました。
日本語の場合は音は同じですが、どういう音からその言葉が生まれたかで、「わゐうゑお」の「ゐ」と「ゑ」が太平洋戦争が終わるころまでは、ア行の「い」と「え」と区別されて使用されていました。
「ゐ」と「ゑ」は、奈良時代には存在したというWiウィとWeウェという音のための文字でしたが(おそらく中国語の漢音の影響)、平安時代には、ア行の「い」と「え」と一緒になったとか。遣唐使を廃止してのちの国風文化の影響でしょうか。
いろは歌には「ゐ」と「ゑ」がありますよね。でも発音は平安時代には区別されなくなっていたそうです。
いずれにせよ、文字は変わりゆき、その時代に必要とされない古い言葉や文字は失われて忘れ去られてゆくのです。
「じ」と「ぢ」は同じ音だけれども、英語のNeatにあたる「ちんまり」という言葉に接頭辞の「こ」を付けると、「こぢんまり」と表記されます。「こじんまり」では文法的には間違いですね。
「ず」と「づ」も同じように区別されますね。七月は文月と和風に表現されますが、八月は葉月。
「はづき」であって、「はずき」は現代日本語では正しくない。「つき」という音が他の単語と連結して続く音として濁ったために、「す」に濁点では論理的ではありません。
でもいつの日か、「ぢ」や「づ」は、「ゐ」や「ゑ」のように失われてしまうのかもしれません。
漫画の世界では、様々な擬態語、擬音語が考案されていて、そんな中のどれかは未来の日本語となるのかもしれません。
あたらしい日本語文字も作られました。日本語に存在しなかった外来語のVを「ヴ」、Wを「ウィ」、Fを「フィ」と表現するのは今ではごく当たり前のこと。ヴァイオリンとかフィールドとか。
でもですね、VやFの音はきちんとしたトレーニングを積まない限り、日本語話者の方には発音不可能。ヴァイオリンは、バイオリンという音でほとんどの人が発音しています。非常に難しい音。
VやFは、バ行やハ行の似た音で代用しているのが実情ですが、VやFという呼気が強くて荒っぽい音は、平明な音の美しさを特徴とする日本語には似合いません。
あまり知られていないかも知れませんが、F音は強い発声によるもので、日本語のハ行の音とは全く別物です。
失われた古代英語の文字を解説してみると
RobWordsさんは、古代英語には9つの現代英語から失われた文字があったとユーモアたっぷりに語ってくださっています。英語音声しかないのですが、さすがに英語歴史の専門家らしい美しい発音の英語を駆使されます。
そこでですね。私が個人的になくなってしまって残念至極である、という文字を厳選して、解説してみます。
<1> THORN = Þ, þ
英語やアイスランドなど、欧州北方の言語にしか存在しないユニークな音。
以前、こちらで語りました。
海の戦士ヴァイキングも使っていた、舌を噛んで息に雑音を加えることで押し出すという個性的な音。
英語を母語としない人で、このThの発声に悩まぬ人はいないと思えるくらいに不思議な音。
だからラテン文字では表現できず、古代英語が筆記されるようになって、ルーン文字由来のこの文字は大変に重宝されたのですが、筆記体は崩れてどんどんラテン文字のYに似てきて、代わりにThで表記されるようになったのです。
でも英語世界でもこのことを残念に思う人が多くて、イギリスなどでは古風な表現をお店の名前などに使ったりします。YeのYは、実はThornなのです。
<2>ETH/ɛð/ = Ð, ð
これは上記のTHORNと同じく、現代英語のTHを表現する文字ですが、冒頭の文字限定で、古代英語の書物には最頻出文字。
Ðat と書いてThat という具合なので、ほんとによく使われたのですが、この文字もラテン文字に長い歴史の中で淘汰されてしまいました。こういう特殊な文字が生き残っていれば、英語発音の特殊さを誰もが理解してくれたのにと私は思います。
Thumbs Up!はÐumbs Up!
Thank youは Ðank you。
でもDと紛らわしいかな。
<3> ASH (Æ)
これは非常に面白い文字で、現代英語でも非常によく出くわします。この文字はアッシュとカタカナで表記されます。
このAとEを引っ付けた文字は現代フランス語では今でも現役。
英語でも国際発音記号でお馴染みです。日本語にはないアップルのアですね。
でもこの文字はブリタニカ百科事典でよく見かけます。そして伸びる場合の発音はイー。
英語世界の最も権威ある百科事典であるブリタニカ。ウィキペディアに世界一の百科事典の地位を脅かされても、やはり権威ある辞典であろうという努力を続けていて、読み応えあります。
でもこの æ は古代英語とは全く無関係。ブリタニカが英語世界の権威ある百科事典の普及にあたり、英語話者の教養人が崇拝するラテン世界の要素を取り入れたくて、フランス語的な表記にしたかったという、何ともおかしな理由からこの文字が取り入れられたのです。
この文字があると、伸びるEはこのæ で書いて、eggのような短いEと一目で峻別できて便利なのですが。
<4> YOGH (ȝ)
この文字は英語で頻出するghの喉の奥を震わせる音を表記できる文字。
なんて言葉に出てくる音ですが、ghには単語のどの位置に現れるかで、全く別の音になる不可解極まりないスペルですが、このYoghは喉を使う伸びる音の場合限定なようです。
古代英語ではややこしいghやoughを発音において合理的に区別する方法があったのですね。
他にもアンパーサンド &や、ダブル・ユーのWYNN (ƿ)などもありますが、私が是非とも復活させてほしいと願う、失われた英語文字は、Thを明確に区別する ðとþ ですね。
26文字で全て表音しようという無理
ここまで見てきたように、古い英語には、英語というユニークな言語を表現する文字が実はたくさんあったのですが、複雑な文字を捨てて、現代の単純な言語体系を作り出すことで、英語は国際言語となることを可能としたように思えます。
おかげで、発音がなんとも分かりにくいものになってしまいました。まるで共産主義中国の簡体字のよう。簡体字は毛筆の草書体由来の漢字ですが、所詮は略字なので、台湾の方が使われる、象形文字に由来する由緒正しい繁体字の味わい深さは皆無。わたしにはそう思えて仕方ありません。
言語は変わり続けるもの。
日本の方はきっと日本語の書き言葉の変遷をご存知でしょうが、英語の歴史もまた学んでみると面白いものですよ。
語学専門の先生は理屈で考えないで覚え込みましょう、などと説得力のないことをよく言われますが、理不尽な英語発音や英語の表記法の歴史をたどると、何ゆえにあのような難しい表現や使用法が生み出されたのかがわかるのです。
さらに歴史を学ぶと英語に山ほどあるサイレントレター Silent Letters が理解できるようになる。
Silent B: Doubt, Bomb, Lamb, Debt,
Silent P: Receipt, Psychology, Pseudo
Silent D: Wednesday,
Silent K: Knock, Knight, Knife, K
Silent G: Gnome, Foreign, Align, Campaign, High,
Silent T: Castle, Mortgage, Fasten, Christmas, Apostle, Ballet, Rapport
Silent H: Rhythm, Hour, When, Where, Hustle, Scheme,
Silent W: Answer, Wrist, Wrinkle, Wreck, Two, Sword
Silent L: Almond, Balm, Walk, Could, Salmon
Silent I: Business, Parliament
Silent U: Biscuit, Build, Guitar, Baguette, Silhouette, Guess
などなど、上げてゆけばきりがないほどですが、それぞれの発音しない音にはそれなりの歴史があり、ルールも存在します。
でももう十分に長い記事ですので、今回はここまでに。
この投稿が、英語という言語への理解を少しばかりでも深める一助にでもなれば、本当に幸いです。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。