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年初の問い

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年始は、目標ではなく、問いを立ててみませんか。途中で達成できず諦めてしまうことなく、一年間ずっと問いと一緒です。問いは、タイミングによって自分の答えが変わってきますので、終わりが…
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#生き方

自分の解を 正解にする

あまり ゆっくりと時間が 取れていないのだけれど ふりかえりを  上げてみたいと思う ふりかえる元となるのは これだ 年始の問い 実は 年の半ばくらいから 問いを 意識できていなかったのだけれど 年末に なって見直し 掲げた問いに 撃ち抜かれた感じだった そうか それを問いていたのか * これを 問われたときは  今年は 何度もあった気がする そして その度に  自分らしい選択をしているのか 知らず 知らずに 問いて 行っていた気がする そういう 意味では

その選択は ほんとうに自分としての選択か

年の初めに 必ず  考えることがある それは問いだ 年始の問いを 毎年考える * 一年を 意図的に過ごせるよう 多くの人が 目標を立てる けれど 僕は目標ではなく 問いを 立てる 理由は 簡単だ 問いなら 達成度に関わらず いつでも 大事なことに  向き合い続けられるからだ かつて僕にも 目標を 立てていたことがあった 計測できる目標がいいとか  書籍を参考にして より良い目標を立ててみようと  苦心した しかし 意気揚々と  考え尽くした目標を 立てたと

信じ 愛し 進め

✳︎ 2022年が 終わりに近づき 年始に立てていた 問いに対して 1年間の行動を ふりかえる 僕は 目標を立てない 代わりに 問いを立てる なぜなら 目標は 立てたとしても 途中で 見込みがなくなると その後 意味を成さない気がするからだ 経験上 うまく機能した記憶が 残念ながら 僕にはない その点 問いなら問題ない いつでも 問えば その時 その時の解が出せる だから 何度でも 何度でも 必要な行動に 繋げていくために 向き合い続けるべき 問いを 年始に 

憤りの奥にある 機会

昨年末から もやもやが残っている 心地よいはずはない 早くなんとかしたい 気持ちもある けれど もやもやしているのは  それなりの意味があるはずだ 僕は その意味が 降りてくるのを待った * 待つと言っても  抱えている もやもやが消えるわけではない 頭の片隅にずっと 残ったままだった なぜ もやもやしているのだろう 何に もやもやしているのだろう 何日か経ったのち 少し姿が見えてきた それは 怒りと期待の混じった 憤りのような感情だった * こうであっ

光は どこにあったのか

一年どうだったのか 友人とふりかえりの話になった 起こったた出来事や 来年にどんな展望を持っているのか 一通り話をしたのち 漢字1文字で表現すると何? と 問われた いくつかの候補が 浮かんでは消え 浮かんでは消え そして 残った文字がある 【全】だ 今年は【全】の年だった ✳︎ 思えば ずっと喉が渇いてきた 満たされない何かを ずっと抱えていた どうしたら 喉の渇きが潤うのか 今年 はじめに僕が立てた問いは そこに向けた 取り組みだった いまの僕の言葉に

誰かに光を当てたければ 自らが光になれ

2018年から 目標を立てるのをやめ 一年を通じて 向き合う問いを 設定しています 今日のnoteは 2021年の問い です その2については  先のnoteにまとめているので 今日は その1について 書き下します Life perposeとして 【ひとりひとりのはたらきに光を当てる】 という言葉を掲げています この言葉は 西村佳哲さんの 著書からイメージをいただいてます 僕の立ち位置は 照明さん 舞台上の俳優に ピンの スポットライトを 当てる 舞台の暗闇の中

願いは 表現されるのを待つ

年始の問いが 決まりました ひとつは 昨年から 引きずっていた もやもやが 連れてきてくれました 問い1 憤りの底にある願いとは 何か 思った通りの展開にならない時 憤りのような感情が  身体に湧き上がります しかし その憤りは 願いがあるからこそ 生まれるもの その願いを 憤りではなく 願いという形で表現するには どんなことに意識をむけ どのような振る舞いをしたらいいのか それを考えて  行動に変えていこうと思います 問い2 願いを現実に表現するために