オリンピックまで、あと10週間なのに !?

いずれの形で開催するにしろ、そうでないにしろ、まだこの時点でやり方が決まっていないなんて!

数千億円規模の国際イベントの始末を考えたら、スケジュール的にはとっくにアウト・・・ですよね? 
キャンセルの作業だって、そう簡単じゃないわけで。

優柔不断なトップに振り回される現場というのは、どこの社会にもあるもんです。
でもそれが、世界的に注目されるビッグイベントであれば、実務を担当している方々の心労たるや、察して余りあります。

しかも、意味や背景はさておき、物理的に考えたら、

「この状況で、この規模の国際イベントを、“滞りなく” 実施することは、もはや不可能」

です。

常識で考えたらわかります。
そもそも問題になっているコロナ自体、一年半以上にわたって、根本的には何も解決できていないのですから。

そんなこと、実はみんなわかっている。でも、諸々の事情で言い出せない。
仮に、心の底から一点の曇りもなく「大丈夫」と思っている人がいたら、それこそ怖い。

だとすると、いつ誰がそれを言い出すか。
すでにチキンレースになっていませんか。

チキンレースが怖いのは、周りを気にするあまり、止まるタイミングを逸してしまい、みんなが崖から落っこちること。
日本はまさに今、そんな感じになっています。

すでに、海外の人すら、心配してくれていますよね?
選手を送り出す側から見れば、決して他人事ではいられない。

だって現時点に至っても、「こういう形でやります。そのためにこんな準備をしているから、不測の事態でも大丈夫です!」という情報を見たことがないんです。

万が一、全てがうまくいったとしても、それはラッキー以外の何者でもありません。到底、それをリスクマネジメントのおかげ、と言うことはできない。

逆に、うまくいかなかったとします。多分、その可能性は低くはないと思います。その時は、またぞろ「想定外」って言って片付けるんでしょうか?

なぜ「辞めよう」と、誰も言い出さないのか。というか、言い出せないのか。

え、みんな言っている?

いえいえ、それは、単なる市井の人々。
イベントの開催判断に影響する責任ある人たちは、誰もそんなことは言っていない。

でも、少し引いて考えてみましょう。

この時点で、ガンバって開催をするメリットは、誰にあるのか。

国民ですか?
でもこの期に及んで、自らの健康や生活を犠牲にしても、「感動する姿」を見てみたい人って、本当に多数派なんでしょうか?

観客?
上記「国民」に準ずる。健康や生活を犠牲にしてまで見たい人。そんなにいないと思います。

アスリート?
これが一番説明力がありそう。わたしもここは、捨てがたい。
でも、それを支える社会が揺らいでいる時、それは本当に最優先なのか。
政治の決定によって、すでに暮らしが崩壊している飲食店やいろいろな産業の人々の「幸せ」を考えると、アスリートの「夢と希望」は、どこまで優先されるべきなのか。

などと考えると、「辞めよう」と言い出せない理由は、推して計るべし。
お金、ですよね。名誉、もあるかな。それともプライド?

でも、(ここ数日、ぼったくり男爵とか、損切りとかのニュースが流れていますが)ぼったくりはさておき、損切りは早いほど傷は浅く済むわけで。

そこ、どうなんでしょう。す○総理。

・・・という、飲み屋のグチのような話はさておき、以下、視点を変えて、少し建設的に。

日本は、空前絶後のおっきなチャンスを逃したなぁ〜、と、わたしは思うんです。

振り返って1984年のロスアンジェルスオリンピック。
現在の商業主義オリンピックの起点と言われる大会ですが、実はあの大会こそ、イノベーションの典型ではなかったかと。

聞くところによると、あの時、オリンピック開催に立候補した国は、アメリカ以外一つもなかった。それはなぜか。

68年のメキシコシティは、南アフリカの参加に伴いアフリカ諸国がボイコット。
72年のミュンヘンは、パレスチナゲリラの銃乱射。
76年のモントリオールは、10億ドルの大赤字。
80年のモスクワは、ご存知西側諸国のボイコット。

こんな状況が続いている中で、赤字覚悟で立候補する都市なんて、そうそうありません。
なにせ、その時までは、アマチュアリズムバリバリで、主催は「国」、つまり、税金で賄われていたんですから。

要するに、あの時、オリンピックは存亡の危機にさらされていたんです。
コロナの今とは事情が違えども、決定的な危機状態。

そんな中、唯一手を挙げたのが、ロスアンジェルスでした。
ロスの任意団体「南カリフォルニアオリンピック委員会」が、「公的資金を使わないで、民間でやります」と、奇跡的に立候補した。

その上で、やり手ビジネスマンのピーター・ユベロスを雇って、諸々の条件闘争やコストの徹底的な削減、さらには放映権や協賛システムを発明し、結果、2億ドル以上の黒字まで計上。新しいオリンピックの道を切り拓いたわけです。

それが、今のスタイルのオリンピックにつながり、ふたたびの繁栄を生み出すことになる。

だから、そこが問題なんでしょ!

と、憤る気持ちもわかります。
それだけ見れば、金満オリンピックの元祖なわけですから。

でも実はこのピーター・ユベロスさん、上がった利益は「アメリカオリンピック委員会」や「南カリフォルニアオリンピック委員会」に寄付しちゃっているんですね。
そして本人は、慰留を振り切ってさっさと退任。これまた赤字で苦しんでいたMLBの財政再建に転身したんです。彼は、決して「ぼったくり男爵」なんかじゃなかった。

ちなみにこの黒字は、アメリカのスポーツ振興の財源となってます。

オリンピックが今のような金満になったのは、ロスの成功を横目で見ていたIOCのサ○ランチや、彼の盟友のアディ○スラーが、その儲かるシステムを横取りし、我が物としていったから。
以後、民間団体にすぎないIOCは、肥大の一途を辿っていき、今日に至る。

(以上、https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/supporter/17.html より、あくまで個人的な「意訳」です)

この辺りの政治的な事情はさておき、大事なのは、ピーター・ユベロスをリーダーとしたチームの、イノベーション能力。
これこそ、今回の東京オリンピックが、目指すべき姿だったのではないかと、わたしは思うのです。

要するに、危機的な状況を逆手にとって、「商業主義、金満で行き詰まりつつあったオリンピックの最後の大会」から、「新しいオリンピックの最初の大会」に脱皮させる、決定的なチャンスだったのではないかと。

やめる。

という究極のカードを手にして、新しいオリンピックのカタチを発明できていれば、それこそ世界に誇る大会になっていた。
仮に損切りをして、大赤字になったとしても。

どうやって?

そんな答えは、わたしごときには分かりません。
ただ、「ネット時代」と「コロナという地球規模の危機」を契機にするのであれば、早々に「バーチャル(リモート)」型のオリンピックに舵を切ると言う手は、誰でも思いつく。
もちろん、コスト削減は、前提としてですよ。

その上で、バーチャルを核にして、新しい経済システム、スポーツシステムを生み出す。

これだけの時間と、これだけの「追い銭」を浪費しているんです。
早いタイミングで舵を切ってさえいれば、そこそこのイノベーションは、実現できていたに違いありません。

大体からして、この国のトップは私たちに、「出来るだけリモートで、新しい働き方を」と強いている。だったらオリンピック自体を、「リモートで、新しい形に」しないでどうするの。

もしそこにチャレンジしていれば、いろ〜んなチャンスや、才能が生まれる可能性があったはずなのに。

おそらくスポンサーだって(メディアも)、そちらに舵を切っていた方が、新しくて、大きなメリットを享受できていたに違いありません。

まぁ、後知恵だから言えることでもありますが・・・。

でも、時すでに遅し。

多分この国は、このまま「商業主義の最後の大会」、しかも、パンデミックを言い訳にした大赤字の大会に突っ込んで行くんだろうなぁ。
膨大な赤字を、なんの生産性にもつなげられないまま。

崖っぷちは、すぐそこにあります。
まさか、ジャンプして、空を飛ぶつもりですか?

そもそも、最終の責任者って、誰なんでしたっけ・・・。




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