法務省とGoogleが提携?

5月1日の日経社会面、「中傷動画の削除」に関する記事を読んで、思ったこと。

今回は(も?)ちょっと面倒な話、かつ、ほぼ独り言なので、興味ない人は適当にスルーしてください・・・。

さて。

この新聞記事の冒頭に「誹謗中傷の投稿削除などを巡り、法務省がグーグルと提携した」とありました。

ネット環境下での、個人に対する誹謗中傷やプライバシー侵害はあってはならないこと。しっかりと検討し、取り組みを行なうべきなのは、今更言うまでもありません。わたしも、そこは、大いに同意。

と言いつつ。

気になったのは、この記事にある「など」という言葉。
これ、何を指して「など」なんでしょうか?

記者の方は、他にも書き切れない要素があったから、あまり気にしないで「など」と書いたのかもしれません。

でも、この話。メディアにとっては結構キモな話なので、思わず少し考えこんでしまいました。

なぜかと言うと、最近わたしの友人から、「ネット上の検閲、削除」が頻発している、と聞いたから。

彼は、「世の中の支配層(種類はいろいろ⁉︎)の圧力で、それらのカウンターになる情報が、自由をモットーとするデジタルメディアでさえも削除されるようになった」と言います。

嘘か誠か。

そこは、相応の検証がいりますが、わたし自身も、ここのところ何度か「?」と思ったことがあったんです。

わかりやすいのは、先の米国の大統領選挙。

かのトランプ候補が、あまりにもフェイクな情報ばかり流すので、主要なソーシャルメディアがアカウントを凍結した、というニュースを見た時です。

トランプ善し悪しではありません。
自主的に凍結、という事態に「?」と思いました。

もう一つは、あるプラットフォーマーが、自社利益のために、実はこっそり投稿情報の取捨選択をしていた、というニュースを見た時。

民間企業ですから、法律に触れない限り、どんな判断をしても構いません。成否は全て、自分の責任。

でも、少し前まで、「自分たちはあくまでプラットフォーマーなので、コンテンツの是非にはタッチしない」と言っていたのではないですか。

それなのに、いきなり「判断」し、削除した。

しかも、大統領選挙という、ものすごく大事な局面で。
そこには、どういう力学が働き、どういう「判断基準」があったのでしょうか。

そもそも、そんな話になったのは、こうしたプラットフォーマーが、巨大な情報空間として、人々に大きな影響を与えることになったから。
そうでなければ、問題になんかなりません。普通の民間メディアが何をしようと、「法律に触れない限り」とやかく言われる筋合いはない。

でもって。

法律上は、プラットフォーマーは、中身には責任を持たなくていいんです。
というか、そもそもそれは想定されていなかった。

一方、放送は、その中身について、強く法律で規制されています。公序良俗、人権、真偽、公平性などなど。
なぜなら、そもそもの位置付けとして、「広く社会に影響がある」ことが前提になっているから。
なので、免許という形で、国にコントロールされるのは、ある意味正しい。

でも、通信は違います。通信は、むしろ中身に触れてはいけない。なぜなら送受信者間の「秘密」を守ることが、優先されるから。
電話も郵便も、そこはとても大事。傍受されていたら怒ります。それこそ法律違反。

だからこそ、「中身が不適切だから流さない」なんていうことは、許されないはずなんです。

でも、ここで問題(というか、想定外)が二つ発生。

プラットフォーマーは、通信事業者ではなく、それを利用する「サービサー」でしかない。だから、正しくは、通信の法律に従がう必要はない・・?

でも、ついこの前までは、自ら「中身には関与しない」って言ってたんですけどね。

だからフェイクニュースだって、法律に触れない限り、読み手のリテラシーの問題、と、放置していても許された。

もう一つ。

この通信のルールは、原則「1対1」の利用を想定していたということ。昔は技術的にそれしかできなかった。
けれどももはや、通信だって、一度にたくさんの人に情報を送れるから、テレビみたいなものじゃないの、というお話。
マスメディアと一緒。影響力は莫大。ならば、中身を無視していいはずはない。
ここが想定外。

こちらは、技術革新の賜物ですね。技術に法律が追いついていないという、典型的なケース。

そんな中で、今回の「提携」の話が出ているんです。

くりかえしますが、誹謗中傷やプライバシーの侵害はもってのほか。一般法に基づいて、きちんと処罰されなくてはなりません。

民間企業がそこに協力するのは然るべき。
あるときは協力せず、あるときは協力する、などという恣意性があってはいけない。

でも、その基準や内容って、国と民間が「提携」して、裏で決めるものなのでしょうか?

もちろん既存の法律に基づいての判断なら、ある程度理解できる。でも、事後でなく、事前に牽制的に記事の削除をする場合、その、基準は何? 
しかも、何がどう規制・削除されているのか、私たちが知る術がない。

さらに「など」って何?

わたしは特にここが、すごく気になりました。

誹謗中傷だけ? そのガイドラインは? 本当に公平?
「不適切な投稿」って、どこまでを指すの???

まだ、立法もされていないのに、国の機関が民間大手と組んで、運用的に情報のコントロールをしていく。

それに乗じて、大手民間ネットメディアも、次々と、自主的に中身の取捨選択を始める。今や、「AI」を使って、自動的に削除を進めている。

なんか、嫌な感じがするんですよね。

知らないうちに、情報を統制されていたりしませんか?

翻って。

じゃぁお前、誹謗中傷やプライバシー侵害を、野放しにしていいと言うのか!!

というお叱りもあるかもしれません。

でもそれ、情報管理の前に、他にも対策があると、わたしは思うんです。

もちろん、こうした時によくある「表現の自由」を、盾にするわけではないですよ。

わたしが言いたいのはこういうこと。

どんな記事も、「出典」が示されてこそ、信憑性が約束される。ならば、どんな言説も、「発信者」が特定されるなら、発言の責任が明確になる。

なんで、ソーシャルって、匿名なんでしょうか。

誹謗中傷も、叩きも、炎上も、匿名だからこそ始末が負えなくなるのではないですか?

表現の自由はある。でも、それは、個人として責任を負える形で保証される。

個人が情報を発する時、その責任が誰にあるのか。
そこを明確にすれば、ヘンテコな裏技を使うことなく、既存の法律と、社会常識でコントロールできると思うんですけど。

現象に対する対策も大切だけど、原因を潰すことがもっと大事、と言ったのは誰でしたっけ?

ヘンテコな裏技(運用)や、「など」という抜け道を許していると、情報空間(≒社会)は、どんどん歪んでいくような気がします。

この記者の方が「など」と書いたその辺り、本当はどのように思っていたのでしょうか。

小さな言葉じりへのめくじら、と言えない気もしません。でもわたしは、こここそ、メディアの存在理由の核心的な領域だと思います。

うっかり「など」と書いて、見過ごしてはいけない。

あ〜、今回も、ややこしい話になってしまった。しかも、長い。反省。

でも、備忘的に。



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