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お年玉を純粋に喜べないのはなぜだろう?

明けましておめでとうございます。
そして初めまして。宮崎です。

突然ですが、2020年の目標は『1日1日を大切に。毎日の生活を濃く意味のあるものに。』です。
就職するまで残り3ヶ月。1日1日を大事に過ごしていなって思いと、社会人一年目として、色んなことを最速で吸収したいと思って、この目標にしました。

でもすごく定性的な目標だから、どうしたら実生活に落とせるだろうって考えた結果がこのnoteです。

誰に見てもらうわけでもなく、日常の疑問や考えを色濃く反映できるものにして、未来に繋げられるnoteにできたらなって思います。


さて、今日は新年一発目らしくお正月のお話をしたいと思います。


今日のテーマは『お年玉』です。


【1】お年玉をもらいたくない。

これまで、自分は毎年親戚から10人近くからお年玉をもらえていました。
それが今年になって成人になったため親と祖父母からしかもらえなくなりました。

そうです。先述の通り、来年から社会人になるからです。
なので、妹は例年通り、たくさんの人からもらっていました。

けれども不思議と私はもらえなくなった事に安心感を覚えました。
そうです。むしろ嬉しかったのです。

今日は『なんで嬉しかったのか』というのを考えてみました。


自分の事をよく知っている人は、わかると思うのですが、自分は、家族が大好きです。もちろんそれは祖父母にも当てはまります。

そんな私は小学生の時、祖父母の家に行くと毎回お小遣いをもらう事が少し苦手でした。お金をもらって純粋に喜ぶという考えが自分にはあまりありませんでした。(なんか変にとんがって子供らしくない...笑)

ただその真意は、会う理由がお金のためと思われたくなかったところにあります。
会えることが嬉しくて、お金はむしろお金のために来ていると思われたくなかったのです。だからできればお小遣いをもらいたくなかったのです。


そんな中で、祖父母や親は違いますが、毎年2回しか合わない人から、大量のお金を貰うことは
①対価を提供できないということ
②それ目的で来ていると思われるのが嫌だということ
この2点が個人的なストレスになったと思います。


【2】お年玉ってなんであるの??

こうして考えると、なぜお年玉ってあるのかなと不思議に思ったので調べてみました。

調べてみてわかったのは、現在のお年玉はお金が主流ですが、もともとはお餅だったことです。

そもそも一連のお正月行事というのは、新年の神様である「年神様」を家に迎えて・もてなし・見送るための行事です。年神様は、新しい年の幸福や恵みとともに、私たちに魂を分けてくださると考えられてきました。

では、どうやって年神様から魂を分けていただくのでしょう?

鏡餅が年神様の依り代であるように、家にいらした年神様は鏡餅同様に餅玉に依りつきます。すると、餅玉には年神様の「御魂」(みたま)が宿ります。
この年神様の御魂が宿った餅玉が、その年の魂となる「年魂」です。
そして、年魂をあらわす餅玉を、家長が家族に「御年魂」「御年玉」として分け与えました。これがお年玉の由来です。

お年玉がいつから始まったのかは諸説ありますが、江戸時代には庶民にも浸透していたといわれています。また、お餅だけではなく品物やお金を渡すこともあり、こうした年始の贈り物を「お年玉」と称するようになりました。

出典:https://allabout.co.jp/gm/gc/404101/

【3】今年のお年玉

そう考えるとお年玉って、子供達に新年に向けて頑張ってほしいという想いを込めて渡してくれていたのかな?って思いました。

だから、今年もらった親からと祖父母の分は、新年頑張るために使おうと思いました。

このお年玉の唯一好きだった点は、自分の好きな『還元』が文化としてあるところです。
これまでもらった分を下の世代に渡していく。それが文化としてあるのがすごく素敵だなって。

来年は初めて『渡す』側になります。
いとこに渡すんだろうなあ。
『渡す』側になるのは、なぜかすごく楽しみです。笑

なんか自分らしいな。




拙い文章でしたが、もし読んでくださった方がいらっしゃれば
一読していただきありがとうございました。

良い1日をお過ごしください。

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