あなどれない予祝『森沢カフェ』を読んで
読みました。
森沢 明夫著『森沢カフェ』潮出版社.2020
たとえありふれた一日であっても、
これでいいんだ、と思える瞬間ってないですか。
そう語りかけられているようでした。
著者は不意打ちな事が起きた時、「よっしゃー!」と楽しんじゃう。
あるいは、「私はこうしてる。あなたもよかったらどう?」という
日常の細部まで味わい、いとおしむ様子。
自分を楽しませるエッセイでした。
でもね。軽やかに読めるだけでなく、時に以下のような「箴言のピース」が見つかります。
「じつは、あたりまえに感じているモノほど、絶対に失いたくない
失ったら困るもの」p.165
あなどれない予祝p.81
昔から日本では「予祝」と呼ぶ前祝いの風習がある。
(一説に)春の花見は、秋の豊作への願いを込めた予祝であったとも。
未来の成功を予め祝っておくと不思議なことに人生がそっちの方向に。
人生は振り子のごとく。
何か良くないことが起こったとしても、ふり幅が大きい時こそ
「次は良いことが起こる。」と前祝いをしてしまう著者。
そんな風に前祝いしていいものなのか。と。最初私にとって「?」でした。
現実的でかなう範囲の夢を抱いていると、自身の行動がそちらベクトルに向かい、短めの目標を意識して言語化すると、少しずつ道筋がついてきたりすることがあります。もちろん思いがけない壁や山もあるのですが。前祝いするって、そういう夢や目標を意識してポンと「おめでたい位置づけにしちゃう」ことなのかも。
山道を歩いていく時に、この「あなどれない予祝」を時々引き出しから取り出して「一つの考え方に偏らなくていい。そこもあり、かな。」と自分なりに眺めてみようかな。
秋晴れの朝。
シュッとした清涼感のミストを浴びた読後感を得られました。
さ。これで行きつ戻りつのレジュメ修正に戻れそうです。
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