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どうして、彼女でなくてはならなかったのか


今日は不謹慎とも取れる話をします。
誰かを恨むでもなく、ただ、仕組みに対する少しの憤りと問いかけです。

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ちょっと前に、彼女から聞いた話。
彼女の元担任だった方の奥さんが亡くなったそう。

担任の方もその奥さんも、とても良い人らしく。
家庭は明るく、前向きで、幸せを体現したような人達だったみたい。

その奥さんは、軽い体調不良を訴えて3日後。
急性心不全で亡くなったらしい。
「至って健康で、亡くなる前日も異変など見当たらなかったらしいよ」と、彼女は言っていた。


この話を聞いたとき、

「どうしてなんだろう。どうして、いつも良い人に限って若くして、急に亡くなるんだろうか」

そんなことを考えた。

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この話は、“長生きしているのは良くない人”と言っているわけではない。

正直に言ってしまえば、「他の人ではダメだったのか?」ということ。


街中などで、誰も得しないような迷惑でしかない行動をする人が居たりする。
構図として考えても、必要悪にすらならないであろう人。

そう言う人たちの命が、彼女に移植できるわけじゃないけれど。
誰かが、あの時、あの瞬間に、命を落とさなくてはならないルールだったとしたら。

それは彼女でなく、彼らでもいいじゃないか。
どうして、多くの人から慕われて、好かれている人が選ばれるのか。

そんな風に思うぐらい、『良い人』がこの世を発つのは早くて突然だと思う。

何か意味があるとして、担う役割があったとして。
他の方法はなかったのか、と。

やはりどうしても釈然としないものがある。

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この話に終わりはないけれど、彼女は満足していたのだろうか。
それに、周りの預かり知らぬところで踠いていたのだろうか。

もしかすると、本人は「やっとか、、、」と思ってたり、するんだろうか。


自分の余命が知れたら、僕はどうするだろうか。
そう考えると、今の自分と違う日常を歩むんだろう。

もしくは、少しでも延命する方法を探すかも知らない。それこそ、一生をかけて。

巡り巡って、僕に、僕らに、
「おい!生きてるか?!お前の人生、生きてるか?!」
と檄を飛ばしてくれたのかもしれない。
それこそ、自らを賭して。

不条理に打ち勝てる人間に、なりたい。

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