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センスの溝は、埋められるのか。


センスが何かは、うまく定義できないけれど。
なんだかよく分からないこの溝は、センスの違いによって生まれている。
それは、むしろよく分かる。

仕事に復帰して、1年ほど。
そんなことを日増しに実感するようになりました。


同じものを見てるはずなのに、捉え方が全然違ったり、会話がチグハグになる。
その原因は、知見の有無にあると思っていたけど、どうやら違うらしい。

どっちかと言えば、『センスの差は、知見によって埋めることができる』と表現したい。
だから、何か見えない壁や溝を感じた時、それは知識や経験の差が生み出したのではなく、センスの差を感じ取っている。

そう言い切れる、とは言えませんが、一側面として正しいと感じています。

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個人的な「センスとは?」の話します。

僕にとってのセンスは、『視界』です。
『視野』と言うよりも、『視界』です。

主な違いは、視点と想像。

例えるなら、

虫から見た人間と、鳥から見た人間は違います。木に止まった虫と、地面を歩く鳥でも、見え方は違います。
これが、視点。現実的な視界。

今見えている人間が、どこから来てどこに行くのかを、頭の中に描けるか否か。そして、その人間を見ている自身を含めて、イメージしているか否か。
これが、想像。情緒的な視界。

生まれながらに、もしくは幼少期の間に、各個人の『視座』が決定していると思っています。
幼少期にそれはすごく感じていました。

高い低いの感覚はなく、単純に「違うな...」と。
周りと違う自分が、“間違っている”と思っていました。

保育園の先生ともうまく行かず、5歳ぐらいで『社会不適合者』なのかもしれないと感じていました。

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視座の高低や、教育の云々は知らないけれど。
センスは、基本的に固定だと思っています。
それが基準だし、その基準が動くことはほぼありません。

幼い頃からの知り合いと、いつ会っても、「変わらないな〜」と感じる理由と同じです。

けれど、その基準からどこまで視界を広げるかは、その人の知見によって変わります。

いろんな経験をすることで、ミクロな世界からマクロな世界まで、体感することはできます。

元々視座が高い人は、やはりカバーできる範囲が多くなる。見えてれば近寄れるけれど、見えてないものには気づけません。
ただ、視座が高い人も、その定点に留まっていては、視界の深度はゼロです。深みは出ません。

どんな視座からスタートしたとしも、そこから拡げてなければ、ゼロはゼロ。
動いていくことで、センスの差は、埋まっていきます。

見て、聞いて、経験して。
様々な立場を知ると、感じること、考えることは自然と移りゆくものです。

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さて。

最後に、冒頭の話に戻ります。

「今感じている溝が、センスの差だ」
そう断じました。

今僕が感じているのは、差分です。
埋まらない溝が、目の前にあります。
正解はありません。

けれど、正直に言えば。
合わせるのに悪戦苦闘してます。
伝わらないし、汲み取られることもなく。
僕自身も、うまく感じ取れないことが多い。

この溝が、滴り落ちる雨粒が溜まるように。
次第に大きな違和感になる。
掴んでしまった違和感の感触は、拭っても何故か消えない。

一旦、自分が達成したいことが完遂するまでは、今の会社に勤めようと思っています。

さて、どうなることやら。
それでは。

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