見出し画像

数字は言語であり、伝達ツール

※過去に自分が書いた記事を引用しています。

**

タイトル:数字で着膨れしてない?

数字。データ。分析。
ビジネスの枕言葉になりつつあるよな。
いや、仕事じゃなく日常でもよく見る。
口コミサイトだって、数字を提供してる。

確かに数字は、分かりやすい。
感覚が介在しない分、誰でも同じように情報を扱うことができる。
データ、数字にはブレがない。
だからと言って、正しいわけじゃない。
確かに数字は便利だけど、それに執心しすぎて、逆に身動きとれなくなってない?って話をしたい。

感覚より数字の方が優れているっぽい風潮があるのは、なんだか悲しい。
感覚は、その人自身の統計結果、もろもろを端折って表された結論。
その裏に、根拠に、数字が存在している。
細かい数字を出すよりも、感覚で答えを出す方が、手っ取り早いと正直思っている。
「なんとなく」ってだいたい芯食ってるから。

その代わり、感覚を覚えるためにも、その確度を上げるためにも、沢山の情報を吸収しておく必要はある。
AIの機械学習と同じこと。
機械がやってることは、人間がやってることを数値化してやってる。
偏った情報だけ集めたら、データだって、数字だって、的確な指標を出すことは難しいわけで。

そして、機械は数字という言語を使用するから、数字を上手に扱うことができる。
逆に人間はと言えば、言葉という感覚的な言語を使うから、数字に強い人は多くないと思う。

僕から見ると、数字に捉われすぎて、その仕事ばかり増えている印象がある。
そして、データを集めるのは良いし、たくさん、こまかく、数字を出すのも良いんだけど、肝心の人間側が扱いきれてない。

一応、今まで所属した会社は、どこもそう。
めちゃくちゃ大手の会社に入ったことはないから、そっちは知らないけど。
数字を打ち込むこと、数字をまとめることばかり躍起になって、全然活かせてない。
変わったのは「数字を集める作業」であって、「数字を使った施策」は取られてないように見える。

数字が貯まれば、法則は見えるけど。
それをどうアクションに変換するかは、人間の仕事だからね。
それができないから数字を使うことを考えたんだろうけど、そもそもできないんだったら、数字があっても出来ないよ。

あと、これは何かの本で読んだことだけど。

研究にはセンスが必要らしい。
研究って大概数字と計算を使う。
ということは、数字を扱うにもセンスが要るとも言える。たぶん、言える。

その本に書いてたことをざっくり説明すると、
「数値の羅列にある違和感に気づくこと。目の前の気になるを数値化すること。そして、仮説という想像力がなければ、何も見つけられない」
って感じだったと思う。
言ってしまえば、数字を扱うのも、感性と想像力が必要ということだ。

センスじゃ太刀打ちできないから、数字を使うんだろうけど。
その数字を利用するのにも、センスが必要。
数字を集めるよりも、まず、センスを磨いた方がいいんじゃない?って思う。

こういうこと言うと、
「じゃあ、どんな磨き方が良いのか、データを取ろう!」
とか言い始めたりする気がする。
やっぱり鬼ごっこって、色褪せない楽しさがあるんだな、って気づくよね。

数字ってすごい発見だし、発明だからさ。
そういうのはすごい人に任せとこ。

僕はゆっくり今を味わう生き方で良いかな。

**

なかなかに皮肉が混じった文章で、自分でも驚いてる。
たいぶストレス溜まってるな、これ(笑)

だいたい皮肉が出るときってのは、過去の自分を見てる気がしてヤキモキするからだと思う。
僕だって、『数字=正義』みたいに思って、いっぱいデータ集めて営業したら、、、
「で? それがどうしたの? どうしてほしいの? 君に何ができるの?」
って言われたんですよ。

もう。完敗です。
正直に、「あ…すみません。良ければウチから仕入れませんか?」と素直に言いました(笑)
結果的には買ってくれました。
その後は普通に顧客として関わっていて、悪役を買って出てくれたことを今でも感謝してます。

そういう経験をして、数字はあくまで『感覚を可視化するための言語でしかない』と考えるようになりました。
だから、数字で何かしらのデータが出たら何かできると思えないし、結局それを活かす先がないと、それは電卓で占いをするのと同じこと。

言葉だって、分かりやすい文章構造にして、伝わる言語で話さないと、何言ってるか分からないわけです。数字だって、同じです。

超絶便利な発見ではあるので、お互い心地よく向き合っていきたいです。
人も、数字も。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?