見出し画像

ワークショップ第03回『オリエンテーション』【物理学部】[20210517-0523]

みなさんこんにちは。J LAB物理学部の部長を務めているyuumaです。
上の写真は去年の夏に長野県で撮影したアンドロメダ銀河です。特に本文と関係はないのですが,美しいので記念すべき初回の写真に採用しました。

本記事はコミュニティ内で行われたワークショップ(以下WS)の記録を残すために書かれているものです。初めての記事なので,まずは自己紹介をしようと思います。

プロフィール
・東工大理学院物理学系B2
・ものづくり系サークルに所属
・宇宙と物理学とゲームが好き

コミュニティに入ったキッカケ
J LABに初めて出会ったのは数学の動画でした。動画を漁っていると所長が物事を掘り下げて色々なことを発信している人だということを知り,より密なコミュニケーションを取るチャンスだと思いコミュニティに入りました。
おかげ様でいろんなバックグラウンドを持った人たちと関わる機会を持つことができ,自分が主体的に活動できる場所まで頂けています。

自己紹介はこの程度にして,物理学部の初回WSの振り返りをしていきます。

1. 今回のテーマ

今回は「物理に対してどのようなイメージを持っているか」ということを軸にWSを展開しました。基本的に思うがままに文章を投下していくスタイルにしましたが,お題が抽象的過ぎるためこちらが設定した以下の質問に答えていく形で文章を投下してもOKというスタイルを取りました。

その質問がこちらです。

① そもそも「物理・物理学」とはどのようなもの・学問だと思いますか? また,そう考えた理由として自身の経験,考えがあれば教えてください。
② 一般的に物理学では数学を用いて理論が展開されます。では,果たしてこの世界は数学で記述できるものだと考えられるでしょうか?
③ あなたの人生で物理・物理学を実感することはありますか? あるならどのような状況で実感するのかを教えてください。

これらの質問は,物理学部の初回WSということもあり,皆さんが物理に対してどのような関わり方をしているのかについての情報収集・共有を目的として投げたものです。

大半の方がこれらの質問に沿って自分の考えを展開してくださり,スレッドでやり取りをしていくうちにいろいろ話を発展させることもできました。一部の方は自由に文章を投下され,とても有意義なWSになったと思います。以下ではやり取りの一部始終をログ形式でまとめて,適宜補足をしていこうと思います。

2-1. ①についての記録

Tetsu
自分は物理の勉強が古典物理で止まっているので、そのさきのことはわかりません。
その範囲でいうと物理学は、世の中の現象を可能な限り単純なモデルから出発して説明しようとしている学問だとおもっています。
「古典物理は"素朴な"素粒子論」と教わるところから学習を始めたのでそう思っているのだと思います。
yuuma(上への返信)
確かに最初に物理学として習うのが古典力学で,「ma=F」というよくわからない方程式を認めて理論を展開していますよね。
しかも,現実世界を扱うのに大きさのない「質点」での運動ばかり議論して,高校物理では大きさのある物体をあまり扱いませんよね。
「古典物理は"素朴な"素粒子論」というのは僕も何度も聞き覚えがあるフレーズなのですが,そもそも"素朴な"素粒子論とは一体何なのでしょうか。
Tetsu(上への返信)
自分が当時聞いたときは、世の中の現象は素粒子の運動で説明できるという立場のことをさしていた気がします。
素朴なというのは、それ以上分割できない粒子という概念が怪しい、と聞いた覚えがあります。
運動方程式は、ある瞬間の粒子の運動によって、次の瞬間の粒子の運動が決まるという単純なモデルで説明するためという認識です。

-------------------------

Takuma Kogawa
目に見えないもの(エネルギーなど)を目に見える数式等の形で表現するものと考えています。高校まででやるような球を落下させたときに速度を上昇させる原因、エネルギーの変換など、法則があるのかないのかわからないようなものの法則をあるモデルの中で発見するのが物理学の範囲と思います。法則をどのように応用するかは科学全般の領域と考えていて、物理は科学のベースにあるようなイメージです。当方薬学部出身ですが、文部科学省のホームページで確認できるコアカリキュラム(https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/iryou/1326073.htm)でも物理はそれなりに学ぶように求められています。

-------------------------

Hiroto
物理学とは何かを語るため、まずは自然科学とは何かを考えました。
---------
⓪自然科学とは、人間の知覚の理解に関する「方法論」および、それにしたがって行われる行為である。自然科学とは「ある」ものではなく、「する」ものである。自然科学を自然科学たらしめる要件は以下である。
①素材として、究極的には人間の五感による「観察と実験」のみを要請する。
①'「観察と実験」の適切さは、「再現性」によって判断される。再現性を担保するため、できるだけ詳細な状況説明が求められる。「再現性」は、科学をできる限り客観的な行為にするために求められるものであるが、究極的に科学が依存するのは自らの五感、つまり「主観」である。
②素材の解釈には、形式科学である数学によって記述される「適切なモデル」と、その中で正当性が担保される「論理」のみを用いる。
②'「適切なモデル」の適切さは、"モデルが対象としている範囲で生じる"現象との「整合性」で判断される。提唱されたモデルは、いつでも未知の現象によって反証される可能性を孕んでいる。
以上が、自然科学の要件である。
---------
物理学は自然科学に属すため、上の要件を満たします。数学は形式科学であるため、上の要件を満たしません。
「幽霊の存在性」は自然科学の対象ではありません。①'で要請される再現性が満たされないためです。(現在週刊少年ジャンプで連載されている「Dr. STONE」という科学マンガは、このあたりの科学が相手にする対象(幽霊等の話題)に関しても噛み砕いて触れており、非常に教育的書物であるなぁと感心しています。)
次に物理学を他の学問と区別するための要件は何かを考えました。
---------
物理学とは、自然科学が対象とする「もの」に関する自然科学的な理論と現象の総体である。したがって究極的には自然科学と物理学とは等価である。
しかし、物理学という語を使用するのが躊躇われる領域もある。つまり、物理学という語には特有の「偏り」があるとは言える。以下、物理学の意味の偏りを列挙する。
・あるスケールの中で定義される概念として、それ以上分けにくい最小に近い概念が絡むことが多い(粒子や波や天体)
・扱える対象が多いモデルを指向する傾向にある。(統一的な理論を求めているイメージ。操作と結果の単なる博物学的集積は物理学ぽくない。)
---------
上で見たように、物理学をバシッと分類することができませんでした。おそらく歴史的には物の理、つまり目に見える物体の運動を研究した学問だったのでしょうが、扱う対象を多様化させる指向のもと、領域として肥大化し続けた結果が今の物理学なのではないかと思います。「統一的解釈」、、ロマンがありますね。

-------------------------

谷本
モデルを使って物理現象を説明したり予測したりする学問。

-------------------------

ほうむたろう
物理に対するイメージは目の前に起こる物理空間の事象を情報空間に拡張する言語体系。
緻密に考え尽くした先に訪れる細かいことは置いておいて、と突然いろんなものを投げる感じ。
中二的なストーリを構成する世界設定には物理用語がたくさん盛り込まれている。
そんな中二心をくすぐってくれる色々を世界に提供し、現実にも役に立ってしまう学問。
yuuma(上への返信)
確かに物理学は直感とは異なるようなロマンあふれる結果をもたらしてくれることは度々ありますよね! 人間のご都合解釈によって生まれたとしか思えないものが今の生活に不可欠なものを生み出すきっかけとなってるのは物理学のとても面白い側面だと思います。

-------------------------

にしむらもとい
僕のイメージでは、物理も数学も大きくは違いはないです。どちらも人間の内的な認知のルールという認識で、対象に外的世界を含むか含まないかの違いで分けられてはいますが、外的世界「そのもの」を記述しているとは感じられません。人間は自分の思考を抜け出すことはできませんから。なので、僕の中では宇宙の統一理論とかいう言葉にも若干の違和感があります。ただ、その「宇宙」を「人間」という意味で解釈すれば、物理学も究極のところで人間を扱う学問なのかなという気もしてます。そういう見方をすれば、正直、数学も物理も哲学もあるいは博物学的な羅列的な知の技法も、学問とは全て「人間とは何か」という問いから永遠に出られないものだとも思っています。

2-2. ①のまとめ・コメント

「物理・物理学とはどのようなものか」という質問に対しての皆さんの回答は概ね上のような感じでした。抜粋して列挙してみます。

・単純なモデルを出発点として現実世界を説明する学問
・エネルギーなど,目に見えないものを数式などの目に見えるものとして表現するもの
・歴史的には目に見える物体の運動を研究した学問だったが、扱う対象を多様化させる指向のもと、領域として肥大化し続けた結果が今の物理学となっているのではないか
・中二心をくすぐってくれる色々を世界に提供し、現実にも役に立ってしまう学問
・数学も物理も哲学もあるいは博物学的な羅列的な知の技法も、学問とは全て「人間とは何か」という問いから永遠に出られないもの

多くの方に共通している事として,物理・物理学を「現実世界を何らかの方法で扱うもの」と認識していることがわかります。また,歴史的には目に見える物体の研究を行う学問だが,扱う対象を多様化させ,扱う範囲が拡大し続けている結果が今の物理学となっているのではないかという意見や,あくまでも「人間の思考」に縛られているため,「人間とは何か」という問いから永遠に出られないものだという意見も出ました。

僕の①に対する回答は,「物理学とは実験事実に基づいて,その個々の実験事実を統一的に扱う手法を開発する学問」としておきましょう。

初めて物理学において近代科学的な手法を確立したのは,イタリアの物理学者であるガリレオ・ガリレイであるとされています。すなわち,ガリレオは観察や実験を適切に行い,その結果を基にして法則を見つけ出すという手法を用いていました。そのためガリレオ以降の物理学,すなわちニュートンの力学やマクスウェルらが確立した電磁気学などは,目で物事を観察して物事に潜む法則を見つけ出すことが共通して行われていることを理解してもらえると思います。

しかし,量子力学や相対性理論は我々の直感的理解に反している理論的な予言を多く述べることから,SFチックで実験事実に基づいていないのではないかと思う人もいるのではないかと思います。「アインシュタイン最後の宿題」と呼ばれていた重力波の観測が2015年に初めて成功したように,それらの理論から得られる予言は現在の技術でやっと観測で証明できるものであったり,現在でも正しいかどうかは未解決であるものが沢山存在します。しかしながら特殊相対性理論は「マイケルソン・モーリーの実験」,量子力学は「原子についての考察」がその発端としてあるように,あくまでも理論のモチベーションは観測・実験事実に基づいており,既存の理論で生じる矛盾を解消しようとして発展してきたものです。そして現代の物理学は主にそれらの理論をベースにして発展しているため,「実験事実に基づいて」物理学は発展してきたと言えるのではないでしょうか。

相対論以降の物理学の面白い側面として,それらの理論にある制限をかければ古典物理学の理論と一致することが必要とされるということが挙げられます。例えば特殊相対性理論から導出される運動方程式は,物体の速度が光速に比べて十分遅い時にNewtonの運動方程式と一致することが必要とされたり,量子力学においても,ある種の極限を考えると古典力学と一致することが必要とされ,実際にそれらの理論はこの条件を満たしています。

このように,現代の物理学は全く新しいものについて考えているのではなく,以前の物理学の拡張をしているものだと見ることができます。僕はその要因として,我々の実験・観察技術が向上したことが挙げられると考えています。物理学の理論は絶対に正しいと思われていても,後から新しい実験結果によって理論の矛盾が見つかる可能性があります。先ほども述べたように,これは僕たちが見る世界の範囲が広がっていることを意味しており,物理学はその限界に依存しているのではないかと思っています。

3-1. ②についての記録

Tetsu
世界は数学で記述できるかはわかりませんが、人間に観測可能な範囲の世界は記述できるのではとおもっています。

-------------------------

Takuma Kogawa
生体が関係しない範囲であれば、ある程度数式で記述できて、大きな齟齬もないのだろうと思います。非生体は、あるサンプルで確認すれば「この物質はこういう性質をもっている」と一般化することができると考えるためです。一方で、生体は種差、個体差などが無視できないため、統計的な議論は可能ですが、数式で記述しようとしても無数のパターンがあるため事実上不可能と思います。世界の全体像は記述できても、個別の事柄は記述できない(しきれない)と考えます。テーラーメイド医療が目指されているのも、包括的なアプローチ(標準治療)には限界があるからではないでしょうか。

-------------------------

谷本
「世界を数学で記述する」がどういう意味なのかにもよりますが、すべての物理現象を説明するのは難しいのではないかと思います。たとえば、「科学が発展して人類が火星へ行ける日が来ても、テレビ塔のてっぺんから落ちる紙の行方を知ることはできない」という話があります。風の吹く中で落下する紙の運動は再現性をもたず、物理学が扱える物理現象ではないということです。物理学は、すべての物理現象のなかから物理学が扱える物理現象を選んで説明する学問です。

3-2. ②のまとめ・コメント

「世界を数式で記述することは出来るかどうか」という難しい話題でしたが,いろんな意見が出て面白いなと思いました。まとめると,

・人間に観測可能な範囲は数式で記述可能
・非生体や再現性を持つ現象など,観測可能な範囲でもさらに制限をかければ数式で記述可能

という大きく分けて二通りの意見が出ました。こればっかりは誰も正解はわからないと思います笑 僕の意見としては,「観測可能な範囲の中で,非生体かつマクロな範囲に着目すれば数式で記述可能」だと思います。非生体の詳しい定義はわかりませんが,現在までに発見されている無機物は全て非生体として考えていいと思います。マクロな範囲というのは,日常スケールの大きさの系の範囲という意味です。例えば,水分子1つずつに着目すればミクロな範囲で物事を考えていますが,お風呂の水をたっぷりと含んだ浴槽を系として見るとそれはマクロな範囲で考えていることになります。

物理学というのは主に数式を用いて論理的に構成されています。そして,「観測可能な範囲」の物事に着目しています。すなわち,物理学はマクロな範囲では必ず成立するように理論を構成しなければなりません。そのため,この世界のマクロな範囲では数式で記述可能であると考えています。

「再現性を持たない現象」の例として,「テレビ塔のてっぺんから落ちる紙の行方を知ることは出来ない」という言葉を引用してくださった方がいました。確かにその場その場の正確な風向きや風の強さはわからないですし,もしかしたら紙を鳥が咥えて持っていくかもしれない。そう考えると一見マクロな範囲の現象を数式で記述出来ない例があるかと思えますが,一つ見落としている点があります。それは考えている系が「非生体」で構成されていなければならないという点です。「紙」に着目しているため,あたかも紙だけで系が構成されていると思いがちですが,そこに吹く風や鳥なども考慮するならば,それらも系の構成要素として取り入れることになります。

紙に影響を及ぼすのが風のみだとしても,風の時間発展が正確に与えられていない限りでは風を起こしたり妨げたりする原因まで考慮しなければなりません。そこまで考慮すれば,そこには生体が間接的な発生原因となっている風も含まれているに違いないと思います。そのため数式で記述することができないのです。では,生体がいない火星で同じことを行えば数式で記述することが出来るのかという質問が出てくると思いますが,僕は出来ると思います。ただし,火星の風向きや風の強さ,それらに影響を及ぼす原因を完璧に知ることが出来るという前提です。そうすれば運動方程式を立式することは出来ます。ただし,影響を及ぼす原因を把握することや,把握したとしてもその厳密解を求めることは非常に困難であると思います。そのため,現実的には影響を及ぼす要素をある程度取捨選択して,有限要素法などの数値シミュレーションを行って運動を解析することになると思います。

そもそも現実の運動を解析する際には厳密解はあまり重要ではなく,着目している系に対して誤差が無視できる程度の精度の近似解が得られれば運動を解析出来たと言えるのではないでしょうか。そのため,厳密な解を得られなくても数式で記述出来たと考えています。そもそも物理学という学問は人間の観測に依るという大前提があるため,我々が満足できる精度の近似解を得ることで十分だと思います。

4-1. ③についての記録

Takuma Kogawa
素朴ですが、電車の急発進や急停止のときに体を持っていかれるところに物理学的な何かを感じます。

-------------------------

谷本
今使っているベッドのマットレスが固く、横向きで寝ると大腿骨が痛くなるので作用反作用的なあれを感じています。

-------------------------

ほうむたろう
波動方程式の恩恵をユーチューブを通して受けております。
ほうむたろう
飲み屋で絡まれたときの友人の話。
左手で相手のネクタイを引っ張りながら右掌は顔面めがけて伸ばした。
力積を最大化する実験。身体操作は物理です。
大学時代です。時効です。

4-2. ③のまとめ・コメント

いろんなエピソードが出てきて面白かったです。飲み屋の話のように,無意識的に物理を利用している人も多いのではないでしょうか。

一つ補足をしておくと,谷本さんの「作用反作用の法則」は間違いで,正確には「力の釣り合い」が成立していると表現するのが正しいです。重力の反作用力は椅子や床からの垂直抗力だと考えがちですが,地球のみの重力(万有引力)を受けているとすると,その反作用力は私たちが地球に与える万有引力となります。

さらに発展的な内容になるのですが,抗力(摩擦)は何に起因する力か考えたことはあるでしょうか。現在の物理学では力の種類は,「強い力」「弱い力」「重力」「電磁気力」の4つに分類されています。そのうちの前者2つは原子内部の話にならないと現れない力であるため,重力か電磁気力のどちらかに起因すると推測することができ,正解は電磁気力に起因する力となります。もちろん重力の影響も少しはあるでしょうが,そもそも重力は電磁気力に比べて10の-40乗程度の強さしか持っていません。これは電子間に働く重力と電磁気力を比較することで簡単に求めることが出来ます。物体は突き詰めていくと原子から構成されていると考えて良いため,分子間に電気的な力が働く際には重力の影響は無視して良いのです。さらに,マクロに見ると電荷を持ってないように見えても,接触面では電荷の偏りが影響すると考えられるため,抗力や摩擦は原子間の電気的な反発力(=電磁気力)が直接的な原因だと推測できます。ただし,摩擦が生じる具体的なメカニズムについては未だわかっておらず,極低温物理実験によって明らかにしようとしている研究もあります。ちなみに重力は電磁気力以外の力と比べても同じくらい弱く,これも物理学の謎として残っています。それを解明する鍵を握っていると思われているのが超大統一理論と呼ばれるものです。これは4つの力を1つにまとめて記述することを目的とした理論で,この理論の完成が物理学の一つの目標となっています。

5-1. その他の記録

本章では上記の質問に答える以外の形で答えてくださったものをまとめています。

コバ
私は高校で物理の履修すらしていない、ズブの素人です笑
そんな私が物理に対して興味があることは、物理を研究している方のモチベーションの源泉です。
というのも、ロケットで宇宙を目指したり、天体の動きを観察したりすることに私自身はほとんど興味が無いからです。
私が哲学するのは、それがせざるを得ないからなのですが、yuumaさんを見ていると、物理へのモチベーションはもっと前向きなモノのような印象を受けますので、モチベーションの源泉を教えていただきたいです!
yuuma(上への返信)
僕の人生において物理学(科学)への興味を持たせたきっかけは大きく分けて2つあります。
一つ目として,これが最も重要なイベントだったと思うのですが,幼稚園の頃から「Star Trek(スタートレック)」というアメリカのTVドラマを見ていたということです。 僕の親がアメリカドラマ好きで,Star Trekをスーパー!ドラマTVで見ているのを僕が横で見始めたのが全ての始まりです。当時はアクション性の高さや,「データ少佐」という,とても特徴的なアンドロイドのキャラクターが好きで見ていたのだと記憶しています。

2つ目の要因として,東進で苑田先生の授業に出会えたことですね。僕は学校の物理を一切聞かずに苑田先生の授業を受けていた悪い子だったのですが,苑田先生の授業がなければおそらく物理学科に進もうと思わなかったと思います。(受験時には工学か理学かで相当迷い,このコミュニティでも相談した結果,より高度な物理学を自分の満足行くレベルで学べるのは物理学科しかないなと思ったのが進学の決め手です。)
苑田先生の授業を受けて,物理学がほんの僅かな仮定のみで論理的に全てを構築していく分かりやすい,自分の性に合っている学問だなと当時は思いました。(今は考えが少し変わりましたが。)その綺麗な学問体系に惹かれてより一層物理を勉強したいと思うようになりました。

-------------------------

にしむらもとい
数学もですが、特に物理学に関しては、「シミュレーション仮説」的なイメージがかなり強くあります。この世界が全て高次元で設計された仮想空間という考えですね。そんなもの、人間が認知から出られない存在であることを考えれば、当たり前というかそれこそ意味のない考えですが、そういう思考をしたことのない人にはわかりやすいと思うので、僕も例としてよく使います。我々が「プログラミングされた世界」内のプログラミング知性であるなら、世界内で実験を繰り返す中で、よい「アブダクション(仮説形成)」を何度か経験すれば世界のプログラミング言語の文法をかなりの精度で「言い当てる」ことは可能かもしれません。でも、そうやって死ぬほど頑張って言い当てたものも、高次存在からすればただの「仕様書」であり、誰かが残業でやっつけただけのものかもしれません。バグが絶対にないとすら言い切れない。そんなものの解明に、なぜ我々はそこまで躍起になっているのか、僕は常に不思議に感じています。そして、究極までいけば、我々はプログラミング世界から出ることは叶わないわけですから、どれだけ「努力」しても物理的装置に直接手だしはできません。自らの手で「計算機」という実在に触れることはできないという意味です(さっきからずっと比喩が続いていますよ)。プログラムを介して操作することで、物理装置を動かすことはできるようになるかもしれませんが、AIは直接実在物を触る(感覚する)ことはできません。我々が行なっている物理学的な思考は「こんなもの」ではないでしょうか。もっと単純化するなら、我々の認知より高次元な概念が世界に存在するなら、我々は三次元の立体の影を見ている二次元世界の住人みたいなものだということです。六角形の影を見ているからと言って、それの三次元での「形」を厳密に言い当てることは不可能です。六角柱の底面が垂直に影を落としているのかもしれませんし、立方体が斜めに影を落としているのかもしれません。我々にとって「時間」とは過去から未来に「流れる」と認知されるものでありますから、「実際には時間は流れてなどいない」と言われても、当たり前ですが体感はできません。その辺をハッキングできれば、もしかしたら時間の流れを無視した(未来からエネルギーを取ってくる)エネルギー回路でも作ることができればこの世界では無双できるかもしれません笑 なんてのはさておき、結局最後の最後で手詰まりになることはわかっていても、それでもどうにかして高次元に保管されている誰かが残業して完成させた「仕様書」を何が何でも見たいと感じる本能、これもその「仕様書」に記述されているのでしょう。我々は永遠にこの思考のループからは抜け出せないようです。
世界、宇宙、何でもいいですが、それは「粒」で構成されているのか、無限に「連続的」なのかというところで、いまの物理学では「無限」というのは否定されつつあると思います。専門家ではないので誤った認識があればご容赦ください。こういう場なので、多くを切り捨ててわかりやすい表現を取らせてもらいますと、その辺の現代物理学へのシフトのタイミングで起きた「気づき」は、プログラミングにおける画像処理らへんのことなのかなと、僕は感じております。遠景だと処理軽減のため無視していた(存在していない)細かいデザイン(性質)が近景だと表示される(どこかのスケールを境に突然現れる)というような、この世界の描画(比喩ですよ)の規則があるのかなとなんとなく認識してます。距離感にかかわらず全てを描画し続けていると、この宇宙ですらリソースが尽きるのかな、なんて考えたりもします。
yuuma(上への返信)
物理学を勉強し,研究したところで究極的にわかることはこの世界の「How」であって,根本的な「Why」を解明することができないということでしょうか。間違っていたら申し訳ないです。
そのような意味なら確かにその通りだと思います。何故私たちが存在し,このような物理法則が成り立つ世界が創られているのか。さらにこの世界を支配する高次元的な存在があるのか否かということは完全にはわからないと思います。少なくともそれは今の物理学や自然科学の守備範囲ではないと思います。ただ,人間は今までも人間自身が想像できること以上の成果を生み,文明レベルを上げてきたと僕は思っているため,今後自然科学がどのような方向に進むのかすら予想が出来ないと思います。そのため,いつか世界の「Why」を答える手がかりが少しでも見つかればいいなと期待を寄せていることも確かです。

5-2. その他のまとめ・コメント

コバさんは物理学を研究しているモチベーションについて尋ねてくださりました。僕自身は研究をしたことがないため,代わりに物理学科に所属しようと思った理由や,物理に対してのモチベーションを述べることにしました。スタートレックとの出会いが無ければ今頃僕は何をしているんでしょうか。パラレルワールドが存在していたらいつか会いに行ってみたいです。

所長は「シミュレーション仮説」を例として考えを述べてくださりました。後半の話は量子性の影響がどこまでのスケールで現れるのかという問題にも繋がっているように感じました。僕もこのような話には興味があるため,もっと知識をつけていつか答えれるようになればいいなと思っています。

6. 全体のまとめ

物理学部の初回WSとしてとても有意義なものだったと思います。沢山の意見を出してくださりありがとうございました。次回以降の物理学部WSはより「物理らしい」ことについてお話をしていく予定なので,是非楽しみにして欲しいです!

最後に,ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎さんが著者である,物理学の歴史について触れた本を紹介して終わりにしようと思います。上下巻とも面白いため,興味があれば是非読んでみてください。

朝永振一郎 『物理学とは何だろうか 〈上〉』 岩波新書

朝永振一郎 『物理学とは何だろうか 〈下〉』 岩波新書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?