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第6話・1927年 『もう1つのハンドボール』

スポーツイベント・ハンドボール2022年8月号(7月20日発行号)で特集の通り、日本のハンドボールは7月24日、「伝来100年」を迎え、新たな発展に向け力強く踏み出しました。
積み重ねられた100年はつねに激しく揺れ続け、厳しい局面にも見舞われましたが、愛好者のいつに変わらぬ情熱で乗り切り、多くの人に親しまれるスポーツとしてこの日を迎えています。
ここでは、記念すべき日からWeb版特別企画で「1話1年」による日本のハンドボールのその刻々の姿を連続100日間お伝えします。
テーマは直面した動きの背景を中心とし、すでに語り継がれている大会の足跡やチームの栄光ストーリーの話題は少なく限られます。あらかじめご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。随所で編集部OB、OG、常連寄稿者の協力を得る予定です。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」

東京・神田の東京YMCAにハンドボール専用場ができた――学校体育関係者の間にこんな話が伝わったのは夏前だったろうか。

結末を先に記せば「誤り」というより同名の違うスポーツ用の施設であった。

「ハンドボール」というスポーツは世界に2つある。1つは我々がこれより5年前から親しみ始めたハンドボール、1つはスコットランドで生まれアイルランドで育ち、アメリカやカナダで盛んとなった個人競技のハンドボールで、壁(wall)に向かって左右どちらかの手でボールを打ち込み、はね返ってくるボールを相手が打ち返す。1人対1人(シングルス)、2人対2人(ダブルス)があり、壁の数も1面や4面などがある。「ウォール(wall)・ハンドボール」と呼ぶ国もあり、当コラムもそれにならおう。

東京YMCAは1917年に日本で初めてとなる室内温水プールがついた総合体育館を建てたことで知られていた。「ウォール・ハンドボール」はそのあと北アメリカのYMCAが東京に伝えたとされ、会員が増えて専用コートをオープンしたものだった。

“2つのハンドボール”は内外のスポーツシーンでもしばしば混乱を生じさせる。

名称は発展に寄与した前述の国々ではハンドボールと言えば当然のように「ウォール」を指し、彼(彼女)らは一方を「チーム・ハンドボール」あるいは1930年代からは「オリンピック・ハンドボール」と呼んで区別する。

日本では専用場騒ぎのあとは「ハンドボール」の普及が速く進む。

後日談がある。東京YMCAは日本のバスケットボールの発祥地(1909年)でもあり、有力なバスケットボールチームが活動していた。そのメンバーが「ハンドボール」に興味を持ってトレーニングがわりにプレー、1938年7月の全日本ハンドボール選手権(東京)に参加したのだ。ヨーロッパ系、アメリカ系、韓国系、台湾系の姓名による選手も多く、異彩を放った。

日本での「ウォール・ハンドボール」は1989年4月、日本協会(https://jwha.jp/)が発足、国内選手権などを開き熱心な愛好者を集めている。国際組織は「世界ハンドボール評議会(WHC)」。

第7回は7月30日公開です。

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