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第67話・1988年 『夏休みに全国小学生大会』

「ハンドボール伝来100年」を記念した1話1年の企画も後半に入ります。オリンピック競技への定着で日本ハンドボール界に国際シーンの激しい波風が吹き込み、国内のトピックスを押しのける年も増え始めます。世界の中の日本ハンドボールが主題となる内容は各大会の足跡やチームの栄光ストーリーをごく限られたものとします。あらかじめご了承ください。
(取材・本誌編集部。文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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アジアで初めてとなるオリンピック・ハンドボールは韓国・ソウルを舞台に男子12、女子8ヵ国の参加で行なわれた。
 
「6位入賞」をめざした日本男子はヨーロッパ勢4ヵ国と韓国に囲まれた1次リーグで勝点を奪えず、アメリカとの11位決定戦を24-21で取った1勝に終わった。ロサンゼルス大会と似た経過に外国チームとのオリンピックへ臨む戦略の違いを再び見せつけられた。韓国は東ヨーロッパの強豪を僅差で退ける好調を示し決勝進出、ソ連に25-32で敗れたものの銀メダル、見事な試合ぶりだった。
 
韓国女子は1次リーグで前回大会優勝のユーゴスラビアに敗れ、決勝リーグでは1敗のハンデを背負うことになるが、ノルウェーから1勝のあと最終日、最強ソ連を21-19で破る劇的な“逆転金メダル”の快挙を遂げた。
 
日本は男女とも韓国をしのぐことが世界で戦える道標となった。
 
国内では夏休みの新イベントとして「全国小学生大会」が始まった。小学生に全国大会は必要かの議論は80年代後半から日本協会がテーマにあげ、実績のある愛知県・名古屋市協会を中心に議論を重ね、不要論も消えなかったが、次第に待望論が張り出した。開催地に2巡目国体最初のハンドボール会場地となる京都・田辺町(現・京田辺市)が意向を示し具体化へ弾みがつく。初大会は京都国体に先駆け8月、男子20、女子16チームの参加で開幕した。
 
国体は毎回、開催地の熱気が際立ち、課題を背負いながら新サイクルを迎えた。国際大会や日本リーグなどトップゾーンの状況が変化し、今後は適正規模と大会経費の“宿題”とともに「ノン・アマチュア競技者」の扱いも新展開が予想される。日本協会は「最高の技と力を披露しハンドボールの魅力を伝える機会に」との方針をすでに打ち出し、日本リーグ勢の参加は規制しないとしていた。
 
日本協会は2月2日に創立50周年の節目を迎えた。競技人口(高校、高専以上)は3291チーム、6万562人(うち女子は1237チーム、2万991人)。高校チームは全体の75.2パーセント、依然高い割合を占めた。一般・学生層の拡張をすべての面で「いかに図れるか」。次の50年を「ハンドボール時代」に飛躍させる大きなカギとなることを改めて浮き彫りにした。
 
高校男子の登録人数が3万831人と宿願の3万人台を初めてマークした。

第68回は9月29日公開です。


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