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第63話・1984年 『東ヨーロッパ勢欠くオリンピック』

「ハンドボール伝来100年」を記念した1話1年の企画も後半に入ります。オリンピック競技への定着で日本ハンドボール界に国際シーンの激しい波風が吹き込み、国内のトピックスを押しのける年も増え始めます。世界の中の日本ハンドボールが主題となる内容は各大会の足跡やチームの栄光ストーリーをごく限られたものとします。あらかじめご了承ください。
(取材・本誌編集部。文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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ロサンゼルス・オリンピック(8月)は心配された通り東ヨーロッパの一部の国が不参加を表明した。各競技で内容低下は免れず、中でもハンドボールは東ドイツ(男子はモスクワ・オリンピック優勝)、ソ連(女子は同)、ハンガリー、ポーランドなど有力国が欠け大きな影響を受けた。代わって韓国男女や西ドイツなどが繰り上げ出場となる。
 
日本男子代表15人のうち8人が「モスクワ断念」から4年間トップスターの座を守って健在を示し、選ばれた。上位進出には1次リーグ初戦となるスイスを破る必要があったが13-20で敗れ、第2戦以降もペースを見失ったかのような試合ぶり。アルジェリアからの1勝で9・10位決定戦に回ったがアメリカに押し切られて終わった。優勝は男女ともユーゴスラビア、女子(6ヵ国リーグ)で韓国2位、中国3位となった。ソウル・オリンピック(1988年)からは3大陸各1ヵ国に出場権が与えられ、女子の「3大陸代表」枠はロサンゼルスが最後となる。
 
5月に東京で行なわれた「ジャパンカップ」と「国際スポーツフェア」にユーゴスラビア男子、アメリカ女子が来日、にぎやかなロサンゼルス・トライアルとなった。
 
アジア・オリンピック評議会(OCA)が9月の総会(ソウル)でアジア大会を1990年北京市(中国)、94年広島市で開くと決め発表し、北京大会から女子ハンドボールの実施が明らかになった。広島市は当初1990年の開催に北京市より早く手をあげていたが、OCAは90年北京、94年広島と振り分け一気に2大会の開催地を決める異例の提案を行ない、投票で賛成多数を得た。
 
この決定を受けて日本協会は広島大会を「アジア・ナンバーワン復活」の目標点にし、21世紀初めに「世界上位へ」と強化プランを掲げる。アジアのトップへ返り咲くのに「10年もかかるのか」の指摘もあったが、現実は険しさに直面していた。
 
オリンピックでの女子枠拡張、アジア大会での女子採用は国際スポーツ界が打ち出す「男女均等策」によるものだ。

第64回は9月25日公開です。


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