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第62話・1983年 『熱狂の中でロサンゼルス出場権獲得』

「ハンドボール伝来100年」を記念した1話1年の企画も後半に入ります。オリンピック競技への定着で日本ハンドボール界に国際シーンの激しい波風が吹き込み、国内のトピックスを押しのける年も増え始めます。世界の中の日本ハンドボールが主題となる内容は各大会の足跡やチームの栄光ストーリーをごく限られたものとします。あらかじめご了承ください。
(取材・本誌編集部。文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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11月18日千葉・市川市民体育館。満員2000人の熱気が異様とも言える雰囲気を創り出す。
 
ロサンゼルス・オリンピック男子アジア予選。この日まで参加4ヵ国はいずれも4戦を終え優勝は4勝の韓国と3勝1敗の日本に絞られていた。日本の1敗は5日前、韓国との1回戦(岐阜・大垣市)で20-24と先勝を許したものだ。ソウル・オリンピック(1988年)が決まった韓国は9月自国での第3回アジア選手権で日本の3連覇を阻み初優勝、勢いがある。
 
窮地に追い込まれた日本を日ごろは熱さを表にあまり出さないハンドボールファンが燃えて支えた。試合は期待通りに進む。GK井藤英忠(湧永製薬)が美技を連続させ前半14-9とリードだ。後半開始早々、井藤が韓国選手と激突して負傷退場、あっと言う間に17-17に追いつかれた。さらに韓国に7mT。このピンチを治療を終えた井藤が戻って鮮やかに防ぐ。場内の興奮は最高潮、日本の攻撃陣が奮起する。得点のたびに大歓声が爆発する中、5点を連取、残り5分22-17、そのままのペースで25-19と快勝し3大会連続のオリンピック出場(モスクワを除く)に望みを残す。
 
試合後、会場を出る日本チームをファンが待ち受け大きな拍手が送られる。
 
この日、台湾は中国に敗れ5敗、規定でほかの国が得失点差の争いとなった場合、台湾戦の勝敗(スコア)は対象にされなかった。このため最終日(11月20日、東京・駒沢)で台湾戦を残す韓国は日・中との4試合で勝点6、得失点差7が確定、日本は中国に2点差以上で勝てば韓国を上回ることになった。中国は日本に勝っても日・韓に勝点で及ばない。
 
日本-中国1回戦は11月15日東京で行なわれ、日本が27-23。最終日の勝算は充分に立てられた。超満員の3000人の観客で埋まった“決戦”は日本が前半20分9-4と主導権を握り、後半は乱打戦となったが日本は余裕があり27-20で快勝、ロサンゼルス行きを決めるとともに前年のアジア大会、2ヵ月前のアジア選手権の雪辱を果たした。“胸のすく2日間”であった。
 
男子の活気に比べ同時に北海道・函館市を会場として日本、韓国、中国の3ヵ国2回総当たりで開かれていた女子のロサンゼルス・オリンピックアジア予選で日本は波に乗り切れず、ずるずると3連敗、最終日を待たずして敗退が決まってしまった。首位は中・韓両国が3勝1敗で並び得失点差で上回った中国が、翌年の3大陸代表決定戦(中国)への進出を決めた。
 
日本は「打倒ニッポン」を無二の目標としてきた中国と韓国から1勝も奪えず押し切られた。

日本がこのあと追いつき再び追い越すのは厳しいとの印象が色濃く浮かんだ。

第63回は9月24日公開です。


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