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第72話・1993年 『日本リーグ、プレーオフ導入』

日本にハンドボールが伝来して100年になるのを記念した1話1年、連続100日間にわたってお送りする企画も終盤です。21世紀に入っての20年間は“あすの課題”でもあります。大会の足跡やチームの栄光ストーリーは少なくなります。ご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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4年後に熊本で世界男子選手権を!! 夢のような話が持ち上がった。

2002年のFIFAワールドカップの開催地にもれた熊本県商工界の関係者と日本協会副会長(当時)・渡辺佳英との会話の中で生まれ、渡辺は世界選手権の開催が2年おきとなり(第71話参照)可能性はあると見通した。

膨大な経費を熊本側が調達するという計画も日本ハンドボール界には魅力であった。日本協会は諸会議で検討のあと、6月の全国評議員会で承認し、9月に招致委員会が発足。国際ハンドボール連盟(IHF)の決定は翌年9月の第25回総会となる。

日本はこの年の男女世界選手権への道を揃って閉ざされていた。8月の第24回アジア女子選手権(中国)は4位、9月の第7回アジア男子選手権(バーレーン)は3位。「アジア・ナンバーワン」の座奪還は“難易度”を増すばかりの印象を強める。「熊本世界選手権」はこれ以上ない“起爆剤”だ。国内でのハンドボールへの関心を高める期待もかかる。

日本リーグは事業化のカラーを強めるため、このシーズン(1992年6月~93年2月)から男子にプレーオフ制度を導入、3月にレギュラーシーズンの上位3チームによって行なった。当分の間、東京開催とし一般ファン開拓も目的の1つとされた。女子は1995年2月(94~95年シーズン)に採用される。

ユース、ジュニア層の強化策が望まれる中、中学生世代を対象とした「JOC(日本オリンピック委員会)ジュニアオリンピックカップ」が3月、大阪協会の情熱も手伝ってスタートした。

8月、愛知・豊田市で開かれた第36回全日本教職員選手権で初めて「全日本教職員マスターズ」が企画され評判となった。現在の「全日本マスターズ」の母体である。

第73回は10月4日公開です。


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