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第43話・1964年 『国内最上位に実業団進出』

スポーツイベント・ハンドボール2022年8月号(7月20日発行号)で特集の通り、日本のハンドボールは7月24日、「伝来100年」を迎え、新たな発展に向け力強く踏み出しました。
積み重ねられた100年はつねに激しく揺れ続け、厳しい局面にも見舞われましたが、愛好者のいつに変わらぬ情熱で乗り切り、多くの人に親しまれるスポーツとしてこの日を迎えています。
ここでは、記念すべき日からWeb版特別企画で「1話1年」による日本のハンドボールのその刻々の姿を連続100日間お伝えします。
テーマは直面した動きの背景を中心とし、すでに語り継がれている大会の足跡やチームの栄光ストーリーの話題は少なく限られます。あらかじめご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。随所で編集部OB、OG、常連寄稿者の協力を得る予定です。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」

6月にフランスリーグで活動する有力クラブ「ステラ・サンモール」が来日、ヨーロッパから初の室内・7人制チーム。技術的な期待と合わせて伝統的なヨーロッパのスポーツ(ハンドボール)クラブに接する興味も大きかった。会員の目的別・年齢別に男女12チームを持ち、来日したのは全国リーグに加わっているトップチーム。社会人層が伸び悩む日本とはかけ離れた実情を知らされる。女子チームも同行の予定だったが、主力選手が長期の休暇を取れず中止になる。

「ステラ」は現在(2021-22シーズン)も球史をつなぎ、トップチーム(男子)は「プロクラブ資格」を申請せず“アマチュア”を貫いている。ステラとの対戦10戦のうち日本側は単独実業団が史上初めて3カードを受け持った。実業団の進出は球界の様相を変え、8月の第16回全日本総合選手権(岐阜県高山市)では大崎電気(男・東京、女・埼玉)が同一チームによる男女初制覇を遂げた。女子はベスト8を実業団勢で独占、各チームの所属は8都府県にわたり、広がりを示した。

大崎電気は1960年4月、まず男子が芝浦工業大学OBを軸にいきなりトップレベルの強力チームとして躍り出て、61年女子チームが続いた。オーナーの渡邊和美の強烈なリーダーシップによるものだ。渡邊はのちに日本協会副会長、国際ハンドボール連盟(IHF)理事~日本人初~となり、同氏他界後は子息・渡辺佳英が情熱を引き継ぎ、日本協会会長(現・名誉会長)、IHF理事などを務める。男子だけとなったチームは依然、国内最上位の実力を誇っている。

2度目の出場となった世界男子室内選手権(2月、チェコスロバキア)で日本は1次リーグD組第3日、ノルウェーを18-14で破り世界選手権初勝利。

10月10日、東京オリンピックのファンファーレが高らかに鳴った。実施を公約されながら削除の悲運に泣いたハンドボール(第40話参照)は、どのような計画で進められていたか、ほとんどわかっていない。大会後の公式資料にも記載はない。1960年ローマ・オリンピック前に検討された試案(未発表)では、男子8ヵ国(1ヵ国選手22人、監督、コーチ、ドクター計25人)による11人制。会場(芝生のフィールド)は駒沢競技場(=新設、観客席2万2000、工費約8億4000万円)と駒沢球技場(=新設、観客席3500、工費6000万円)。4ヵ国ずつ2組の1次リーグのあと各組1、2位で決勝トーナメント、各組3位で5・6位決定戦、同4位で7・8位決定戦とされる(全7日間)。ベルリン・オリンピックのような国立競技場での決勝戦は予定になかった。

第44回は9月5日公開です。


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