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第82話・2003年 『アテネ出場願う声援届かず』

日本にハンドボールが伝来して100年になるのを記念した1話1年、連続100日間にわたってお送りする企画も終盤です。21世紀に入っての20年間は“あすの課題”でもあります。大会の足跡やチームの栄光ストーリーは少なくなります。ご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

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アテネ(ギリシャ)・オリンピック(2004年)アジア予選の年だ。

男子は3大会、女子は6大会続けて桧舞台を踏めず、近代オリンピック100年目、新世紀最初のチャンスをつかまなければ展望はさらに暗くなる。日本協会はシドニー・オリンピック予選に続いて男女予選開催の招致に成功、「9月、神戸」と決めた。

主管の兵庫県協会は会場(グリーンアリーナ神戸)をホーム一色にと愛好者、ファンを誘う関連イベントを企画、広い年代の観客を迎える策に熱をこめた。日本協会は国際ハンドボール連盟(IHF)が理事会の開催を希望したのを受けた。IHF理事の来場でレフェリングの公正が保たれるとの“読み”もあった。

この動きを知ってか知らずか、男子は中東圏からのエントリーがなく日本、韓国、中国、台湾、女子は台湾が姿を見せず、極東3ヵ国とカザフスタンのいずれも4ヵ国1回総当たりとなった。

6日間の大会は連日満員の熱気に包まれ、男子の日本は台湾を26-22、韓国と22-22の引き分け、中国も31-24と突き放したが、韓国は台湾に40-27と大勝、中国との最終戦に勝てば日本と勝点5で並び得失点差で上回る。日本戦のあと所属するドイツリーグへ戻っていた主砲・尹京信を“再入国”させ32-21で快勝、日本は望みを断たれた。

女子は混戦模様で日本は中国に20-21、韓国に24-24、中国、韓国はともにカザフスタンを破ったあと直接対決、21-21の引き分け、中国が勝点5で首位を決めた。日本-カザフスタンは残念にも“消化試合”となってしまい日本は22-24で4位。

男女とも勝機をつかみながら惜しくも及ばなかったが、勝負どころでたくましさを発揮する韓国、中国との差が現われた。試合後、市内各所でOB、OGを中心とした観客たちが試合を振り返り語り合う光景は、この地域のハンドボール熱を印象づけた。

IHF理事会は、北京オリンピック(2008年)から大陸予選のほか新たに「世界最終予選」(Olympic Qualify Tournament。OQT)の施行を決め発表した。世界選手権の上位に自動的出場権を与える現行に国際オリンピック委員会(IOC)が“改正”を求めていたという。北京大会から女子も男子と同数の12ヵ国となることが明らかになった。

第16回世界女子選手権(12月、クロアチア)で日本は中国(19位)を上回る16位。神戸のオリンピック予選を勝ち抜けなかった韓国は3位に食い込み、アテネ行きを決める執念をのぞかせた。

アジアにおける中東勢に“対抗”するため「東アジア・ハンドボール連盟」(EAHF)が4月日本、中国、韓国の「3者協定」に基づいて設立された。台湾、北朝鮮、香港などの加盟を促していくことが確認され、事業として翌年から男女の「東アジア・クラブ選手権」を毎年開くと申し合わせた。

3月、日本車椅子ハンドボール連盟が設立された(日本協会加盟は2005年)。

第83回は10月14日公開です。


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