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新春特別対談!日本男女代表監督が語るハンドボール、日本…etc

新春特別企画として、『スポーツイベント・ハンドボール』2021年2月号では男女の日本代表監督を務めるウルリク・キルケリー(女子)、ダグル・シグルドソン(男子)両氏に対談をお願いした。新型コロナウイルスの影響で対面はかなわなかったが、オンライン上で実現。ハンドボールのこと、お互いのこと、日本のことなど、トーク内容は多岐にわたった。本誌では8ページにも及んだ貴重なロングインタビューをぜひお楽しみいただきたい。

トップ画像左:ウルリク・キルケリー(Ulrik Kirkely Hansen)
1972年1月5日生まれ、デンマーク出身。現役時代はGOG(デンマーク)などでプレー。監督としては男子はGOG、バーレーン代表、サウジアラビア代表など、女子はベイエン、ラナース(ともにデンマーク)を率いてきた。2016年から日本女子代表監督で、20年8月からはデンマークリーグの強豪で、チャンピオンズリーグにも参戦中のオーデンセ(デンマーク、日本代表の池原綾香がプレー)との兼任。

右:ダグル・シグルドソン(Dagur Sigurdsson)
1973年4月3日生まれ、アイスランド出身。現役時代は湧永製薬、ヴァルル(アイスランド)、ブッパータール(ドイツ)などでプレー。監督としてはオーストリア代表、フュクセ・ベルリン(ドイツ)、ドイツ代表(すべて男子)などを指揮し、16年から日本男子代表監督に。ドイツ代表監督時代にはリオデジャネイロ・オリンピック(16年)で銅メダル、ヨーロッパ選手権(16年)で優勝に導いた。

「お互いに交流はある。ウルリクとの会話は私にとっても貴重」(シグルドソン監督)「ダグルのことは指導者としても人間としても尊敬している」(キルケリー監督)

―両監督ともお忙しい中、ありがとうございます。まずはお互いの印象について教えてください。そもそも、普段交流はあるのでしょうか。

ダグル・シグルドソン監督(以下、S)―NTC(味の素ナショナルトレーニングセンター)や(ジャパンカップなどの)大会で時間がある時は、会って話すこともあるし、(SNSの)フェイスブックでお互いにフォローしあって、誕生日を祝い合ったりという交流があるよ。

ハンドボールに関していうと、とくに私にとっては彼との会話は貴重だ。なぜなら、ウルリクは長くアジアの男子代表チームで指導者をしていた(プロフィール参照)から。(チームの情報だけでなく)アジアの大会はヨーロッパとはシステムも異なるし、そうした情報はとても有益だ。また、今は日本の女子代表を率いていて、彼がどのように問題に対処し、解決しているのかも興味深く見ている。

ウルリク・キルケリー監督(以下、K)―普段の交流に関してはダグルの言うとおり。彼のことは指導者としても人間としても尊敬している。とてもいい人だしフレンドリー。日本で彼のことをよく知るようになったよ。2人ともとても忙しいので、なかなか時間を取ることはできないんだけれど、お互いに助け合うために、チャンスがあれば話しているよ。

―では次に、ハンドボールを始めたきっかけを教えてください。

S―両親ともにアスリートで、父はアイスランドでは有名なサッカー選手、母は優れたハンドボール選手だった。そして、2才上の兄が地元のクラブで運動をしていて、多分6~7才の時にそれについていったことが始まりだと思う。クラブでは18~19才までハンドボールとサッカーの両方をやっていて、それからハンドボールの道に進むことを決めた。そういうスタートを切ることができたのは幸運だったと思う。アイスランドのクラブには多くのスポーツ部門があって、子どもはいろいろな競技をやってみて、どれが好きなのか、自分に合っているのかを試すことができるんだ。

K―5~6才で始めたと思う。私の場合は両親が地元のスポーツアリーナのマネージングの仕事をしていた影響がある。当時はハンドボールも数あるスポーツの中の1つだったね。サッカーやテニスなど、多くのスポーツに触れたよ。12才からはハンドボールにより焦点を当てることに決めた。ハンドボールはもちろんだけど、スポーツをすること自体が私の人生の大きな部分でもある。

今でもハンドボールをおおいに楽しんでいるし、ほかのスポーツにもいつも興味を持っているよ。

―なるほど。では指導者をめざしたのはどうしてですか?

S―指導者を始めるのは早かった。私は多分15~16才からで、最初は10~11才の少女たちのチームのコーチだった。ヨーロッパ、とくにスカンジナビア諸国は結構事情が似ているとは思うけど、そういうことはよくあるんだ。

そして、プロフェッショナルの指導者のキャリアはオーストリア1部のブレゲンツから。その時はちょっと不思議な感じだった。なぜなら、まだ私は選手としてプレーしていたから。4年間はプレーイングコーチだったんだ。

―なぜプロの指導者になろうと?

S―なぜかというと、選手としてのキャリアが終盤を迎えてきた時、そのあとになにをすべきかがイメージできていなかったんだけど、そんな時にチームのスタッフが勧めてくれたから。じゃあトライしてみようかと(笑)。

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1997年の熊本世界選手権をアイスランド代表として戦い、
その後は湧永製薬でもプレーするなど、
日本との縁が深かったシグルドソン監督

K―私も14~15才で指導をし始めて、ダグルと同じように10~11才の少女チームを見た。その時から、ヤン・ピュトリック(デンマーク女子代表を率いてシドニー、アテネの両オリンピックで金メダル獲得。2012~14年には彼が監督でキルケリー監督がコーチを務めた)とはいっしょにコーチをしたりしていて、おもしろいことに、そのあとデンマーク代表やオーデンセで仕事をすることになった。だから、ダグルも言ったように、スカンジナビア諸国では、こういうことは得てして起こるんだ。若いハンドボーラーは、少年少女を指導しながら選手としても成長していく。

そして、私は25才の時に、選手よりも指導者をもっとやりたいということに気づいたんだ。それで現役選手としての最後の数年はプレーイングコーチをした。地元のスヴェンボーのクラブでね。でもフルタイムではなくて、同時にグラフィック関係の仕事もしていた。だからとても忙しかったけど、当時はまだ若かったし、子どももいなかったから時間は作れたんだ。振り返っても充実していたと思う。

もちろん今は子どももいて、その時とは状況が違うけど、5年前に日本代表の監督をすることになって、今は今で幸せな時間を過ごすことができているよ。

―両監督がチームを率いるうえで大切にしていることはなんですか?

S―う~ん、言葉で表すのは難しいんだけど…。コーチングには指導者のキャラクターが表れる。選手たちに対して、どうプレーすべきか教えないといけないし、選手たちがそのコーチングを、そして指導者を信じられるかどうかが大切になる。

僕の場合は、時には(こんなハンドボールがやりたいという)自分のゴールやエゴを犠牲にしてでも、目の前にあるチームのために最適なことをしなければならないと考えている。選手選考もチームをよくするためということが一番だ。

K―ダグルが多くを話してくれたが、つけ加えるなら、ハンドボールのことだけではなく、チーム全体のマネージングなども考えていなければならないということ。

そして、私が最も重視しているのは、指導者自身がどんな人なのかということを選手やスタッフに見せないといけないということだ。強い面も弱い面もあるのは人として普通のことだから。今日のリーダーシップの中ではコミュニケーションが非常に大切になっていて、選手に対してだけではなく、ほかの人への接し方や試合のマネジメントの仕方など、コミュニケーションがリーダーシップの中で非常に大事になっているからね。

「デンマークはモダンハンドボールのロールモデル」(シグルドソン監督)「アイスランドは本当の世界トッププレーヤーを輩出している」(キルケリー監督)

―興味深い示唆ですね。では、ハンドボールに関して、お互いの国の特徴や印象を教えてください。

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