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第5話・1926年 『濃くなる学校体育カラー』

スポーツイベント・ハンドボール2022年8月号(7月20日発行号)で特集の通り、日本のハンドボールは7月24日、「伝来100年」を迎え、新たな発展に向け力強く踏み出しました。
積み重ねられた100年はつねに激しく揺れ続け、厳しい局面にも見舞われましたが、愛好者のいつに変わらぬ情熱で乗り切り、多くの人に親しまれるスポーツとしてこの日を迎えています。
ここでは、記念すべき日からWeb版特別企画で「1話1年」による日本のハンドボールのその刻々の姿を連続100日間お伝えします。
テーマは直面した動きの背景を中心とし、すでに語り継がれている大会の足跡やチームの栄光ストーリーの話題は少なく限られます。あらかじめご了承ください。取材と執筆は本誌編集部。随所で編集部OB、OG、常連寄稿者の協力を得る予定です。
(文中敬称略。国名、機関・組織名、チーム名、会場名などは当時)

バックナンバーはこちらから→マガジン「ハンドボール伝来100年」

5月27日、文部省訓令第22号によって公布された「改正学校体操教授要目」でハンドボールは高等女学校および女子実業学校第3学年、中学校および男子実業学校第2学年、師範学校(男女)第2学年の教課となることが明らかになった。学校体育としてのカラーがますます濃くなり、伝来4年目で最初の進むべき方向が定まったとも言えた。

内外を問わず、学校教育を通じてスポーツがその国に根づいていく例は極めて多い。ハンドボールはその道の扉が開けられたわけだが、大学や社会人に向けての普及プランは後回しになる。

東京では6大学が出揃った野球リーグが前年秋に始まり、多くのスポーツで大学の対抗戦が日本のスポーツの主軸となって回り始めていた。

ハンドボールも大学へのアプローチを試みてよかったのだが、今、その跡はほとんど探し出せない。

社会人層に対しても大学同様だ。企業・職場でのスポーツは1910年代に活発となり「実業団」と呼ばれる日本のスポーツ独特のカテゴリーも生まれるのだが、ハンドボールの働きかけは見えない。

「学校体操教授要目」の導入に力を注いだ事情は理解されるし、第1期とも言える1913年の「教授要目」ではボールゲーム(球技)がまったく含まれていなかったのに対し、第2期にあたるこの年の改定ではサッカーやバスケットボールとともにハンドボールが加わったのはおおいに評価もされよう。

惜しまれるのは各地・各種の指導者講習会は受講者を「教員」に限っての開催が多かった流れだ。別枠でもよかった。大学体育(スポーツ)の関係者、企業の厚生担当者へハンドボールを“伝達”すれば、小さいながらも別の展開を見通せただろう。

教育現場からスポーツ指導者、生徒たちの間から競技者が育つルートも期待できたが、“受け皿”の用意がなくては机上論で終わる。整えようにも「ハンドボール関係者」は数えるほど、いや、限りなくゼロに近かったかもしれない。

「教授要目」に加わって、教課へ傾斜、オールラウンドの目配りは、やや疎かになったように見える。

第6回は7月29日公開です。

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