『家族を想う時』が炙り出す、現代格差社会と貧困の歪み

少し前ですが、1月下旬に本邦公開中のケン・ローチ監督最新作映画、『家族を想う時』を鑑賞しました。

ケン・ローチ氏といえば、

各映画賞を獲得した『わたしはダニエル・ブレイク』など、緻密な取材を基に現実にそっくりな程のリアル感で英国の社会問題を映画で訴えている巨匠ですね。前回も含め2回引退を示唆してきましたが、3度復活したようです。引退するする詐欺!

新作の『家族を想う時』に関しては、

昨年NHKのクローズアップ現代でもトピックで取り上げられていました。今作のあらすじは、英国で増加している「業務委託契約」という名で宅配ドライバーをやっている名ばかり個人事業主が、「労基法?何それ美味しいの?」と言わんばかりの長時間低賃金労働に喘ぎ、働けば働く程貧乏になっていき家族も翻弄されていく、階級格差社会英国のリアルな現実を描いた作品です。

日本が先進国でも社会的に労働者の立場が強い、労働基準法で守られている国だという事を痛感せざるを得ない内容でした。

主人公のリッキーは元々、建設会社の従業員として働いていたいわゆる建設作業員、ブルーワーカーだったようです。英国は過去の王政と産業革命の歴史から作られたという階級社会文化が今でも強く根付いている国。職業〜学校〜文化とあらゆるところに階級の区分があり、階級によってその格差は強固に染み付いているようです。

その彼が企業をクビになり、新しい職を探すものの、現在の英国でブルーワーカーには「ゼロ時間契約」という名の労働契約が横行しており、彼は宅配ドライバーとしてその企業と「業務委託契約」、つまり個人事業主として働く以外に道がありませんでした。

彼には奥さんと16歳の息子、12歳の娘がおり、4人家族です。お金を稼いでマイホームを手に入れるという夢を叶える為に、彼は仕事を選ぶ余裕が無かった状況と推測出来ます。

映画の冒頭で宅配ブラック企業の担当者と面接をするシーンがあるのですが、履歴書を見て、

「生活保護は受けないのか?」

と問い掛けますが、彼は否定します。「俺にもプライドがあるから」と。

これは日本でもリアルな現実だと思います。誰でも、自分が生活保護受給者という身分になる事には素直に納得出来ないものでしょう。しかも生活保護を受給していると周囲に知れたらどういう目で見られるか。生活保護受給者に対する世間の目線への危惧もある。

そして日本は生活保護を申請してもすんなり申請が下りないという現実もあります。不正受給問題もあるので行政機関は若い世代にはなるべく仕事を探させて追っ払う傾向が強いようです。

リッキーはそのブラック企業の担当者から契約の諸条件を説明されます。

労働者ではなくフランチャイズの個人事業主としての契約という事や、配送に必要な車などの経費は全て自分持ちである、等です。

個人事業主は労働者と違い、勤務場所や勤務時間の拘束を受けません。但し労働者として守られるべき待遇(拘束時間上限、労災、社会保険等)も受けません。彼はその契約書にサインし、車は奥さんが介護福祉士の仕事で使用していた車を売る事で、配送用のトラックを購入しました。

因みに、奥さんは介護福祉士としてパートタイムの仕事をしている…というのが公式のプロフィール設定なのですが、映画での激務ぶりたるや明らかにパートタイムの域を超え、過重勤務社畜同様の有様にしか見えませんでした。

その奥さんの移動の足として必須だった車を売ってまでリッキーはフランチャイズ配送業という新たな仕事に掛けてしまったので、そんな簡単に引き下がれません。

して、その配送ドライバーの仕事というのが正に奴隷搾取といっても過言ではない描写で描かれていました。朝、リッキーが事業所に着くと、リッキーと同じような名ばかり個人事業主がわんさかいるわけです。

この仕事の実態は実際の配送ドライバーからの取材を元に忠実に再現したようで、1日の労働時間は15時間にも及ぶほどで、映画でも新人のリッキーが先輩同僚から尿瓶を渡されるシーンがあります。トイレなんかに行ってる暇がないくらいスケジュールが詰まっているというわけですね。

日本の労働基準法であれば、労働者は1日の勤務時間は8時間、休憩時間も60分取らなければなりません。上限を超えれば時間外勤務として割増賃金を支払わないと労働基準法違反です。

それがリッキーのような業務委託契約だと、労働基準法の定める労働者ではないので労働時間など決まっていないわけですね。これが冒頭に述べた「ゼロ時間契約」の真の意味です。

時間の拘束は受けない、貴方の自由に働いて良いですよ。但し成果は出してね。

という理屈の元、実態は労働者そのものです。配送ドライバーはどう見ても勤務場所も時間も拘束されています。

この様な劣悪な環境で両親とも2人の子供達の為に身を粉にして働く中、追い打ちを掛ける問題が起きます。16歳というやんちゃな盛り真っ最中なお歳頃の息子セブがストリートアートや万引きといった非行で学校を停学処分になったり警察のお世話になったりするのです。

ところがリッキーも奥さんも仕事の拘束時間が長過ぎて息子の始末をする暇も無く、それを巡って夫婦喧嘩がおっぱじまり、更にはグレた息子から父親の貧相な状況を揶揄するような口撃を受けた事にキレて殴ってしまったり、正に貧困家庭の実相ってこういうものなのか…と想像せんばかりの家庭崩壊っぷりが痛々しく描かれていました。

とはいえリッキーはとても誠実で家族想いです。家族を幸せに、特に子供達を立派に育てる為に粉骨砕身し、娘と一緒に居る時間を確保する為に配送車に乗せて仕事を手伝ってもらいながら団欒する場面はほっこりしました。息子セブが事件を起こした際には大幅減俸覚悟でブラック企業の担当者に休暇の確保を頼み込みます。

ところがその担当者は彼の父親として振る舞いも許しません。ある時、

「配送中に娘を乗せるな」

と注意を受けます。娘を乗せながら仕事をしているところを配送先の客に見られたのです。

「何故?配送車は自分の所有だ。個人事業主だから制限されるのはおかしい」

という旨を述べましたが、

「顧客が第一だ。それは許されない」

という理屈で娘との時間を過ごす事も許しません。個人事業主とは一体…

…という感じで終始鬱な展開が地味に、抑揚なく、リアルに続いていく物語です。

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終わった後は何とも言えない、鬱屈な気分になりましたが、これが遠いフィクションではなく、近くに存在するノンフィクションの様なフィクションであるという事を考えれば、これを他人事で終わらせてはならないとも思いました。

今世界では格差が拡大し、過去繁栄した中流層が没落していると聞きます。

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特に米国の格差が深刻である事が最近の讀賣の記事で記載されていたデータにもよく表れています。その数値を比較すると日本の格差はまだ深刻ではない事もまた伺えます。

ローチ氏は今回の様な社会弱者を描いた映画を作る度にバッシングを受けるそうです。支配階級層にとっては自分の利益こそが国益であり、自分達を脅かしかねないような真似をするローチ氏は国益を損ねる敵と見られるから、だそうです。

↑リンクのNHK『クローズアップ現代』における、映画監督の是枝氏との対談でも、是枝氏も非難を受けていたと述べています。映画『万引き家族』に対して、「犯罪者を擁護するのはおかしい」「彼らは自己責任」と。

個人的な印象として、日本は総中流社会モデルで高度成長期を経てきた歴史があるし、実際英米などに比較すれば格差も少ないし公的手当も充実している国が故に、貧困などの社会弱者は存在しない、全員が平等だと思われている節を感じます。

それが「自己責任論」を強くしている一因では無いかと思います。

「日本は皆平等。世界に比べれば公的扶助も充実している。貧困は存在しない。この国の社会で社会弱者は自己責任」

そんな事を本当に思われてそうで恐ろしくもあります。因みに私の地元は経済的地位が低く、中学校の卒業生の学力やら進学実績も芳しくない地域です。日本にも少なからずその様な地域が存在します。

自由とは何なのか。

そして自分が、社会が、国が幸福になる為にどう振る舞うべきか、今一度深く考えさせられる作品でした。

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